ウンベルト・エーコ
テンプレート:Infobox 作家 ウンベルト・エーコ(Umberto Eco、1932年1月5日 - )はイタリアの記号論哲学者、小説家、中世研究者、文芸評論家で、ボローニャ大学教授、ケロッグ大学およびオックスフォード大学名誉会員。
北西部のアレッサンドリア生まれ。エコ、エコーの表記も見られる。現実の事件に啓示を受け、小説の執筆を開始。1980年に『薔薇の名前』(原題 Il nome della rosa)として発表した。これはフィクションにおける記号論、聖書分析、中世研究、文芸理論などの要素が絡み合った知的ミステリーである。1981年、同作でストレーガ賞を受賞。小説作品はいずれも、世界数十ヶ国で翻訳出版されている。学術書、子ども向けの本、エッセーなども数多く著している。
経歴
イタリア北部のピエモンテ州アレッサンドリアに生まれる。父のジュリオは会計士だったが後に政府から3つの戦争へ招聘された。 第二次世界大戦中、ウンベルトと母のジョヴァンナはピエモンテの山腹へ避難した。サレジオ会の教育を受けたため、作品中やインタビューなどでサレジオ会やその創設者について言及している[1]。彼のファミリーネームは、ex caelis oblatus (ラテン語で「天からの贈り物」の意)の頭文字を取ったものと一般に信じられている。これは孤児であった彼の祖父が市の職員から名付けられたものである[2]。
13人兄弟だった父に法律家になるよう強く勧められたが、中世哲学や文学を学ぼうとトリノ大学に入学。トマス・アクィナスの美論についての論文を書き、1954年に学位を取得。この時期に信仰が揺らぎカトリック教会から距離を置いた[3] 。その後に国営放送局のイタリア放送協会(RAI)でドキュメンタリー番組のプロデューサーとして勤務した後、トリノ大学でも講義を行った(1956–64)。63年グループで親しくなった一団の前衛芸術家、画家、音楽家、作家たちは、その後の作家人生における重要で影響力のある要素となった。博士論文の延長である初の自著Il problema estetico in San Tommasoを1956年に出版してからこれは特に顕著となった。この著書はまた、母校での教鞭活動の出発点ともなった。
1962年9月にドイツ人美術教師Renate Ramgeと結婚、息子と娘をひとりずつ儲けた。ミラノのマンションとリミニ付近の別荘の2つを拠点とした生活を送っている。ミラノに3万冊、リミニに2万冊の蔵書を誇る[4]。1992年から翌年にかけてハーバード大学の教授を務めた(Six Walks in the Fictional Woods)。2002年5月23日、ニュージャージー州ニューブランズウィックのラトガース大学より名誉文学博士を贈られた。イタリア懐疑論者団体CICAPの会員である[5] 。
研究
1959年に2冊目の著作Sviluppo dell'estetica medievale (中世美学の発展)を刊行した。これによって並外れた中世思想家としての地位を確立し、その文学活動が価値あるものと、彼の父親にも証明した。イタリア陸軍での18ヶ月の兵役を終え1959年にはRAIを後にして、ミラノのBompiani出版社のノンフィクション編集長となった。1975年までこの地位に就いていた。
中世美学に関するエーコの研究が強調するのは理論と実践の区別である。彼によると中世の時代に存在したのは、ひとつには「幾何学的合理性のある何が美であるべきかのスキーマ」であって、他方には「弁証法的な形相と内包」であった。それはお互いをあたかも一枚の窓ガラスのように退け合うのだという。当初は"読者反応"のパイオニアのひとりであったが、時を経てエーコの文学理論は焦点を変えた。
3年の間、エーコは真剣に「開かれた」(オープンな)テクストや記号論についての考えを発展させ始めた。そういった主題のエッセイを数多く執筆し、1962年にOpera aperta (開かれた仕事)を、世に送り出した。その中で論じられているのは、真の文学テクストは一連の意味を持つというより、意味の領域なのであるということ、またそれらは、オープンで精神的にダイナミックで心理学的に研究される分野であると理解されるということである。評価術語学は専門領域ではないのだが、エーコはこのように論じている。読み甲斐のない文学とは、読者の潜在理解力を一面的で明瞭な言葉、すなわち閉じられたテクストに制限するようなものである。その一方で精神、社会、人生の間で最も活動的であるようなテクスト、すなわち開かれたテクストは活気に満ちていて最高のものなのだ。エーコが強調する事実は、単に語彙的な意味を持つ単語はなく、発話の文脈の中で作用するのだということである。これは従来、イギリスのアイヴァー・リチャーズらによって指摘されてきたことだが、エーコはこの考えを言外の意味・含意にまで敷衍した。また発話中の言葉の不定な意味から意味の予測と補完による作用にまで意味の軸を拡張した。エーコがこういった考え方に至ったのは言語学を通してでありまた記号学によるものであって、心理学や伝統的分析を通してではない。後者のアプローチはヴォルフガング・イーザーらのような理論家によるもの、前者は によるものである。本格的な理論を発展させたわけではないが、大衆文化研究にも影響を及ぼしている。
人類学活動
エーコはVersus Quaderni di studi semiotici(イタリアの学術用語で『』として知られる)という有力な記号論ジャーナルを共同創設し、意味論や記号論に関係する学者の重要な発表基盤となった。その機関誌の基金や活動はイタリアを含むヨーロッパ全土において、記号論の影響をそれ自体の学術分野として増大させることに貢献してきた。
ヨーロッパの有名な記号学者のほとんど、すなわちウンベルト・エーコ、テンプレート:仮リンク、ジャン=マリー・フロック、パオロ・ファッブリ、テンプレート:仮リンク、テンプレート:仮リンク、テンプレート:仮リンク、パトリジア・ヴィオリはヴァーサス上に論文を発表してきた。記号論の新たな研究展望を扱う若く無名な学者にもまたヴァーサスのほとんど毎号の中に発表する場が与えられている。
1988年にレッジョ・カラブリア大学でアレッサンドロ・ビアンキ校長から建築学の名誉学位を受け、ボローニャ大学で「非西洋人(アフリカ人・中国人学者)の観点から見る西洋の人類学」という一風変わった課程を創設した。このプログラムはアフリカ人・中国人学者の独自基準で定義されている。エーコは、西アフリカのAlain Le Pichonの考えに基づいた異文化国際ネットワーク発展させ、1991年中国の広州において「知のフロンティア」という名の初の会議を開催するに至った。この最初のイベントの後すぐに"普遍探究の誤解"についての欧州・中国セミナーがシルクロードに沿って広東から北京で開かれた。後者は最終的にThe Unicorn and the Dragonという名の本となった。その中で中国とヨーロッパの知識を創造することの疑問について議論している。この書籍に関わった学者は、中国人ではタン・イジー、ワン・ビン、Yue Dayunなどがいる。ヨーロッパ人ではフーリオ・コロンボ、テンプレート:仮リンク ジャック・ル・ゴフ、パオロ・ファッブリ、アラン・レイなどがいる[6][7]。
洋の東西の相互知識を省察すべく、ボローニャでの会議に続いてマリのトンブクトゥで2000年にセミナーが開かれた。これが今度はブリュッセル、パリ、ゴアでの一連の会議につながり2007年には遂に北京で会議が行われた。北京会議の議題は"秩序と無秩序"、"戦争と平和の新概念"、"人権"、"社会正義と調和"であった。開会講演はエーコが行った。プレゼンテーションを行った人類学者は次の通りである。インド:Balveer Arora、Varun Sahni、Rukmini Bhaya Nair。アフリカ:ムサ・ソウ。ヨーロッパ:ローランド・マーティ、モーリス・オーレンダー。韓国:チャ・インスク。中国:ホワン・ピン、チャオ・ティンヤン。有力な法学者や科学者(アントワーヌ・ダンシャン、アーメド・ジェバー、ディーター・グリム)もまたプログラムに参加した[8]。
国際コミュニケーションや国際理解を容易にする対話への興味は洋の東西を問わず、国際補助語のエスペラントにも関心を抱いている。
小説
エーコの創作作品は好調な売れ行きを見せており、多数の言語に翻訳され世界中で楽しまれている。小説はしばしば歴史上の人物や書物に言及し、濃密で難解なプロットは幻惑的な展開をたどる傾向がある。
1980年出版の小説第1作『薔薇の名前』は、14世紀の修道院が舞台の歴史ミステリーであるが、その中でエーコは中世研究者としての知識をふんだんに用いている。バスカヴィルのフランシスコ会修道士ウィリアムが、ベネディクト会の見習修道士のアドソと共に、重要な宗教議論を開催するため設置された修道院での連続殺人を調査するという内容である。エーコは、読者が神学専門家でなくとも内容を楽しめるように、中世の神学論争や異端審問を現代の政治・経済用語へ翻訳することに特に長けている。薔薇の名前は後にショーン・コネリー、F・マーリー・エイブラハム、クリスチャン・スレーターら主演で映画化されている。
この小説の注目すべき事実のひとつは、根底をなす殺人事件が(リチャード・バートンによってアラビア語から翻訳された)『アラビアンナイト』からの借用であるということである。また、バスカヴィルのウィリアムの調査シーンの描写のいくつかは、コナン・ドイルによる19世紀の架空の探偵シャーロック・ホームズの特徴を換骨奪胎している。実際、直接・間接を問わず他作品へ多くの言及がなされている。それゆえ、それがメタテクスト性の作品として作用し読者に「謎解き」をすることを要求することになる。
『薔薇の名前』は、ホルヘ・ルイス・ボルヘスへの独創的かつ伝記的な賛辞でもあり、小説や映画の中で彼は、盲目の修道士であり図書館司書であるブルゴスのジョージとして表現されている。ジョージと同じように、ボルヘスは書物への情熱に身を捧げて禁欲生活を送り、晩年は目が不自由になった。
1988年出版の小説第2作『フーコーの振り子』も好調な売れ行きを見せた。この小説では、零細出版社に勤める3人の編集者らが、戯れに陰謀説をでっちあげようと思い立つ。彼らが「計画」と呼ぶその陰謀は、テンプル騎士団に端を発する秘密結社が世の中を転覆させようとしているという、巨大で深遠なものだった。物語が展開するにつれ、3人は徐々に「計画」の細部にとりつかれていく。やがて「計画」を知った部外者たちが、3人が本当にテンプル騎士団の失われた財宝を手に入れるための秘密を発見したと信じ込んでしまい、彼らの遊びは危険なものになってしまう。
1994年に第3作目『前日島』が出版された。17世紀を舞台とするこの小説で、海上に停泊した無人船に漂着した主人公の青年は、船べりから見える島を日付変更線の向こう側の「前日にある島」だと考えるようになる。しかし、泳げない主人公は身動きがとれず、自分を現在の境遇に追いやったこれまでの半生と冒険を回想するのに時を費やす。
2000年に第4作目の小説『バウドリーノ』が出版された。騎士バウドリーノは、第4回十字軍によるコンスタンティノープル略奪のさなか、ビザンチン歴史学者ニケタス・コニアテスを救う。嘘つきを自称するバウドリーノは、農家のせがれである自分がフリードリヒ1世の養子になり、やがて司祭ヨハネの幻の王国を探す旅をするまでの自らの半生を打ち明ける。しかしこの話の至るところで彼はペテンやほら吹きの才能を鼻にかけ、ニケタスは(そして読者も)彼の話がどこまで本当なのかわからなくなってしまう。
2004年に第5作目の小説『女王ロアーナ、神秘の炎』(英訳:The Mysterious Flame of Queen Loana)が出版された。昏睡状態から回復し過去を取り戻す記憶しかなくなってしまった、年老いた古書商人Iambo Bodoniを中心に話が展開する。これがエーコの最後の小説になるという噂があったが、2009年の「ロンドン・ブックフェア」でのインタビューで、自分はまだ「若い小説家」であり、この先ももっと小説を書くだろう、と本人が述べたことで打ち消された[9]。
第6作目の小説『プラハの墓地』(伊語: Il cimitero di Praga、英訳:The Prague Cemetery)は、2010年10月に出版[10]された。
エーコの作品が示しているのは間テクスト性、すなわちすべての文学作品にまたがる相互関連の概念である。彼の小説には、文学や歴史への、巧妙でしばしば多言語的な言及が豊富に含まれる。例えばバスカヴィルのウィリアムという登場人物は、修道士であり探偵でもある論理思考型のイギリス人であり、その名はオッカムのウィリアムや(『バスカヴィル家の犬』を介して)シャーロック・ホームズを想起させる。エーコは自らの作品に最も影響を与えた現代作家として、ジェイムズ・ジョイスとホルヘ・ルイス・ボルヘスを挙げている(On Literatureによる)。
著書
小説
- 薔薇の名前:Il nome della rosa (1980年:上下、東京創元社[11], 1990年)
- フーコーの振り子:Il pendolo di Foucault (1988年:上下。文藝春秋, 1993年/文春文庫, 1999年)
- 前日島:L'isola del giorno prima (1994年: 文藝春秋[12], 1999年/文春文庫(上下), 2003年)
- バウドリーノ:Baudolino (2000年:上下、岩波書店[13], 2010年)
- 女王ロアーナ、神秘の炎: La misteriosa fiamma della regina Loana (2004年:岩波書店[14], 2014年刊予定)
- Il cimitero di Praga (2010年)
学術著書
- 記号論(上下[15]、岩波書店, 1980年/岩波同時代ライブラリー, 1996年/講談社学術文庫, 2013年9月・10月)
- 開かれた作品(青土社, 1984年、新装版1997年, 2011年 ほか)
- 論文作法――調査・研究・執筆の技術と手順(而立書房, 1991年)
- ウンベルト・エーコの文体練習(新潮社[16], 1992年/新潮文庫, 2000年)
- 物語における読者(青土社[17], 1993年、新装版 2003年, 2011年)
- テクストの概念――記号論・意味論・テクスト論への序説(而立書房, 1993年)
- 「バラの名前」覚書(而立書房, 1994年)
- 完全言語の探求(平凡社[18], 1995年/平凡社ライブラリー, 2011年)
- 記号論と言語哲学(国文社, 1996年)
- エーコの文学講義――小説の森散策(岩波書店, 1996年/「小説の森散策」 岩波文庫, 2013年)
- 記号論入門――記号概念の歴史と分析(而立書房, 1997年)
- 永遠のファシズム(岩波書店, 1998年)
- 中世美学史――『バラの名前』の歴史的・思想的背景(而立書房, 2001年)
- カントとカモノハシ(上下、岩波書店, 2003年)
- セレンディピティー 言語と愚行(而立書房, 2008年)
- 歴史が後ずさりするとき 熱い戦争とメディア(岩波書店, 2013年)
共著
- カーニバル!(V・V・イワーノフ、モニカ・レクトールと共著, 岩波書店, 1987年)
- ウンベルト・エコインタヴュー集 記号論、「バラの名前」そして「フーコーの振り子」(而立書房, 1990年)
- エーコの読みと深読み (岩波書店, 1993年/新装版 岩波人文書セレクション、2013年)
- ステファン・コリーニ編、共著者は、リチャード・ローティ、ジョナサン・カラー、クリスティン・ブルック=ローズ
- エコの翻訳論――エコの翻訳論とエコ作品の翻訳論 (而立書房, 1999年)
- ウンベルト・エコとの対話(トーマス・シュタウダーと共著、而立書房, 2007年)
- もうすぐ絶滅するという紙の書物について(ジャン=クロード・カリエールと共著、阪急コミュニケーションズ, 2010年)
編著
- エコのイタリア案内(而立書房, 1988年)
- 「バラの名前」探求(而立書房, 1988年)。11名の論者による作品論
- 三人の記号 デュパン/ホームズ/パース(トマス・シービオク編, 東京図書, 1990年)
- 美の歴史(東洋書林, 2005年)
- 醜の歴史(東洋書林, 2009年)
- 芸術の蒐集(東洋書林, 2011年)
作家論
- ジュール・グリッティ 「ウンベルト・エーコ」 (ユーシープランニング, 1995年)
- 篠原資明 「エーコ-記号の時空 現代思想の冒険者たち29」 (講談社, 1999年)
- ロベルト・コトロネーオ 「不信の体系 <知の百科>ウンベルト・エコの文学空間」 (而立書房, 2003年)
- トーマス・シュタウダー 「ウンベルト・エコとの対話」 (而立書房, 2007年)
関連項目
外部リンク
- 公式webサイト
- ウンベルト・エーコ.com
- Porta Ludovica: 広範な情報
- The Mysterious Flame of Queen Loana Annotation Project, a Wiki
- Umberto Eco: Internet Movie Database
メディア
脚註
テンプレート:Reflist- ↑ Don Bosco in Umberto Eco's latest book N7: News publication for the Salesian community p.4 2004年6月
- ↑ A Short Biography of Umberto Eco 2004年3月22日
- ↑ Umberto Eco (1932-) - Pseudonym: Dedalus2003年
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ "A Conversation on Information" Interview with Umberto Eco by Patrick Coppock, 1995年2月
- ↑ Ur-Fascism (essay in The New York Review of Books, 1995年6月22日)
- ↑ "Vegetal and mineral memory", November 2003. Considers, among other things, encyclopedias
- ↑ Professor Umberto Eco at The London Book Fair Part 1 2009年6月
- ↑ Новы раман Умбэрта Эка /New novel by Umberto Eco
- ↑ 訳者は河島英昭、多数重版した。
- ↑ 訳者は「フーコーの振り子」と同じ藤村昌昭、文庫化で2分冊。
- ↑ 訳者は堤康徳。物語舞台は、中世期の神聖ローマ帝国。
- ↑ 訳者は和田忠彦。少年時代のファシズム体験を基に物語が展開。
- ↑ 訳者は池上嘉彦。
- ↑ 和田忠彦訳、他に和田訳は「エーコの文学講義」と「永遠のファシズム」などがある
- ↑ 訳者は篠原資明、「開かれた作品」は和田との共訳
- ↑ 上村忠男・廣石正和共訳