アンリ・シャリエール

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アンリ・シャリエールHenri Charrière1906年11月16日 - 1973年7月29日)は、フランス小説家映画俳優

南フランスのアルデーシュ県出身。11歳の頃に母親を失い、ぐれ始めた。後にパリモンマルトルひも(紐)となるなど、環境に恵まれなかった。

1931年に殺人事件の容疑者として、フランス領ギアナデビルズ島の徒刑場で無期懲役受刑囚として過ごす。「パピヨン小説映画)」に出てくる刑務官のセリフに、 "ギアナの処刑場は人間を壊すための刑務所だ" とあるように、刑務所でのアンリ・シャリエールの囚人生活は凄惨を極めるものだった。彼はデビルズ島に服役中に幾度かの脱走を試みている。最も有名なものは1933年11月21日にアンドレ・マチュレットとヨーハン・クルジオと共に試みた9度目の脱走劇である。この脱走で彼らはコロンビアへ辿り着くが結局失敗に終わり、クルジオは2年の独房生活の後に獄死する。しかし、1944年にココナッツの実を入れた袋を用いてマチュレットと共に遂に脱走に成功。シャリエールはベネズエラ市民権を手に入れ、不幸な生活は終わりを告げる。

この囚人生活と脱獄を描いた小説「パピヨン」は、1969年に発表されると、17ヶ国語に翻訳され、累計で1,000万部のベストセラーとなった。

また、1971年には、本人が書いた小説を原作とした映画、「太陽の200万ドル」が公開され、アンリ・シャリエール自身が俳優としてキャストに名前を連ねている。彼は同時に原作脚本も担当した。

そして1973年に、彼の小説「パピヨン」を原作として、映画が公開され大ヒット、この映画に原作として参加した彼の名声はさらに高まった。

1973年、映画の撮影中にスティーブ・マックイーンに会うも、まもなく死亡した。

出演

  • 『太陽の200万ドル (Popsy Pop)』(映画): マルコー役

原作

エピソード

  • 映画「パピヨン」で、ドガ(ダスティン・ホフマン)を見送りに来た女性は、アンリ・シャリエールの実の妻である。
  • 映画の冒頭、パピヨンに「フランスは貴様達を見捨てたのだ! フランスのことは忘れろ!」と訓示する植民地司令官は、自身もマッカーシズムでハリウッドに見捨てられた経験を持つ、同映画脚本のダルトン・トランボである。
  • 映画「パピヨン」に登場する囚人の多くは実在の人物である。
    • ホフマン演じるルイ・ドガ(1890年-没年不明)は、実際に偽造の罪で15年の禁固刑を宣告され、初めの2年間をフランスのカーン刑務所で過ごす。この時にシャリエールと知り合い、その後13年間デビルズ島でシャリエールと共に過ごす親友となった。映画ではパピヨンやマチュレットと共に脱走を試みたことになっているが、実際にはドガは脱走には参加していない。しかし、コロンビアで捕らえられ、現地のバランキーヤ刑務所に収監されたシャリエールを救う為にジョセフという弟を現地に向かわせている。ドガはデビルズ島で15年の禁固刑を終え、その後はフランス領ギアナで余生を送った。
    • 映画ではゲイの美男子として描かれているアンドレ・マチュレットは、映画と同様に1933年のシャリエールの9度目の脱走に参加したことで知られる。彼は1932年にタクシー運転手殺害の罪でギロチンによる死刑を宣告されるが、当時17歳という若年であったこともあり、デビルズ島への収監に減刑されたという。映画ではマチュレットは脱走失敗後にパピヨンと共に5年の独房生活を送り、独房から出獄した際にパピヨンの眼前で没している事になっているが、実際には彼は無事に独房収監を終え、後の1944年のココナッツの実での脱走の際にシャリエールと共に脱獄に成功している。彼はその後シャリエールと共にベネズエラで市民権を取得し、現地で結婚して終生を過ごした。
    • マチュレットと共にシャリエールの脱走に参加したヨーハン・クルジオは、映画では看守に暴行を受け刑務所からの脱走自体に失敗しているが、実際にはシャリエール達と共にコロンビアに辿り着いている。しかし、彼の地で捕らえられ2年の独房生活の直後に命を落としている。映画では彼の役回りがマチュレットに置き換えられている。
    • 映画でピジョン島のハンセン病コロニーの元締めとして登場するトゥーサン(1890年-没年不明)も実在の囚人である。彼はデビルズ島でハンセン病に感染し、実際にシャリエール達3人の脱獄の手助けを行っている。彼はその後トリニダード・トバゴチャカチャカレ島ハンセン病コロニーで終生を過ごした。