アレッシャンドリ・フランカ・ノゲイラ
アレッシャンドリ・フランカ・ノゲイラ(Alexandre Franca Nogueira、男性、1978年1月15日 - )は、ブラジルの総合格闘家。リオデジャネイロ州出身。Club de luta所属。元修斗世界ライト級王者。
修斗参戦当初はアレクサンドレ・フランサ・ノゲーラと表記されていたが、2001年1月にブラジル現地での呼称に合わせ現在の表記に変更されている。
ニックネームは「ペケーニョ」。ポルトガル語で「小さい」という意味である。得意技であるギロチンチョーク(フロントチョーク)を武器に、7年に渡り修斗世界ライト級王座を防衛していたことから「帝王」とも呼ばれる。
レオナルド・フランカ・ノゲイラは実弟。
来歴
修斗時代
1998年4月26日に修斗に参戦し、当時無敗を誇っていた修斗第3代ライト級王者朝日昇を1R開始1分6秒、後に己の代名詞ともなるギロチンチョークで一本勝ち。当時ノゲイラは無名の選手であった。
1999年3月28日、大石真丈と対戦し、腕ひしぎ十字固めで一本勝ち。
1999年9月5日、朝日との修斗世界ライト級タイトルマッチで朝日を再びギロチンチョークで一本勝ちし、第4代修斗世界ライト級王者となった。
2000年8月27日、巽宇宙との初防衛戦が行われ、またもギロチンチョークで一本勝ちし、初防衛を果たした。
2000年12月17日、ステファン・パーリングにギロチンチョークで一本勝ち。
2001年9月2日、勝田哲夫との2度目の防衛戦でもギロチンチョークで一本勝ち。
2001年12月16日、戸井田カツヤとの3度目の防衛戦ではギロチンチョークを一切使わず、3-0の判定勝ち。
2002年12月14日、4度目の防衛戦は7月にKO負けした阿部裕幸との再戦となり、チョークスリーパーで一本勝ち。リベンジを果たした。
2003年8月10日、5度目の防衛戦はステファン・パーリングとの再戦となり、引き分けで王座を防衛した。
2003年12月14日、佐藤ルミナからギロチンチョークで一本勝ち。
2004年12月14日、門脇英基からギロチンチョークで一本勝ち。
2005年3月11日、ジョン・ホーキに判定勝ちし、6度目の防衛戦に成功。
HERO'S時代
2005年7月6日、HERO'Sミドル級トーナメントに出場。1回戦で所英男と対戦し、右バックブローでTKO負け。
2006年5月3日のHERO'Sミドル級トーナメント1回戦に出場予定であったが[1]、修斗の王座防衛戦リミットが迫っていたためHERO'S出場を辞退。5月12日に王座防衛戦でアントニオ・カルバーリョと対戦予定であったが、膝の負傷により欠場となり、王座を返上した[2]。
2006年8月5日、HERO'Sで朴光哲と対戦。1Rは互角に闘うも2Rではタックルを封じられ、打撃の連打で追い詰められて判定負けを喫した。
2007年7月16日、HERO'Sで勝村周一朗と対戦。右フックでTKO勝ち。
2008年6月1日、WEC初参戦となったWEC 34でジョゼ・アルドと対戦し、グラウンドパンチでTKO負け。試合後の薬物検査でアナボリックステロイドの陽性反応が出たため、1年間の出場停止処分を受けた。
2009年10月30日、10年ぶりの開催となったVALE TUDO JAPAN 09でリオン武と対戦し、パウンドでKO負け。
戦績
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獲得タイトル
脚注
関連項目
外部リンク
テンプレート:Martialart-stub- ↑ KIDは宮田と。ミドル級トーナメント開幕 BoutReview 2006年4月10日
- ↑ ペケーニョ返上。カルバーリョ×リオンで王座戦 BoutReview 2006年5月7日