蒲田電車区
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蒲田電車区(かまたでんしゃく)は、東京都大田区にある東日本旅客鉄道(JR東日本)東京支社の運転士が所属する組織である。1996年12月のダイヤ改正までは車両が配置される車両基地であったが、その後も検査部門は残っており、京浜東北線の電車が留置されて仕業検査も行われている。
運転士乗務範囲
所属車両の車体に表記される略号
「東カマ」…東京地域本社(当時)を意味する「東」と、蒲田を意味する「カマ」から構成される。
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蒲田電車区を出庫待ちするE233系1000番台
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蒲田電車区の看板
- 掲載写真はすべて敷地外または公道・踏切から撮影
歴史
- 1923年(大正12年)12月1日:品川電車区蒲田分庫にとして開設される。
- 1924年(大正13年)5月1日:蒲田電車庫として独立した車両基地となる。
- 1981年(昭和56年)6月1日 : 東神奈川電車区と分散配置となっていた横浜線の車両配置が、当区に集約。
- 1986年(昭和61年) 京浜東北線の車両配置が浦和電車区に集約された。
- 1996年(平成8年)12月1日 横浜線の大部分が横浜支社管轄になるため、横浜線の電車が大船電車区に転属し、車両無配置区となる。
過去の配置車両
現在配置されている車両はない。ただし、京浜東北線用車両の車庫としては現在も使用されている。(配置は浦和電車区。)
- 205系電車
- 1988年から1989年にかけ、横浜線用として7両編成25本の計175両が新製投入された。1991年に6両が浦和電車区から転入、新製した1両を加えて26本配置となる。1994年には6扉のサハ204形100番台を新製投入して8両編成化され、8両編成26本の208両配置となるが、前述の通り、1996年に大船電車区に転出した。
- 103系電車
- 京浜東北線用は前述の通り1986年に浦和電車区に集約され転出、横浜線用は205系電車に置き換えられて転出した。
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205系電車
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103系電車
小説『砂の器』
松本清張の小説『砂の器』には、この車庫の前身である国鉄蒲田操車場が登場するため、同名の映画やテレビドラマのロケに使われた。