荒井広幸
テンプレート:政治家 荒井 広幸(あらい ひろゆき、1958年5月15日 ‐ )は、日本の政治家。新党改革所属の参議院議員(2期)、新党改革代表(第3代)。
衆議院議員(3期)、福島県議会議員(1期)、新党日本幹事長(初代)、改革クラブ幹事長(初代)、新党改革幹事長(初代)を歴任。
来歴
福島県田村郡船引町(現田村市)生まれ。両親は旧電電公社職員。福島県立安積高等学校、早稲田大学社会科学部卒業。早大在学中から徳永正利参議院議員の公設第2秘書を務める。
1987年、29歳の誕生日直前に福島県議会議員選挙に出馬し、得票数トップで初当選(20代での当選は、福島県では26年ぶり)。1990年、福島県議を任期途中で辞職し、第39回衆議院議員総選挙に旧福島2区(定数5)から無所属で出馬したが、全立候補者9人中、得票数8位で惨敗する。
1993年、第40回衆議院議員総選挙に自由民主党公認で旧福島2区から再度出馬し、得票数は最下位の5位ながら初当選。派閥は三塚派に属し(後に退会)、1995年の自由民主党総裁選挙では、小泉純一郎擁立を主導するが、小泉は橋本龍太郎に惨敗した。
1996年の第41回衆議院議員総選挙では、小選挙区比例代表並立制導入に伴い福島3区から出馬し、旧民主党の玄葉光一郎を3,533票差で破り再選(玄葉も比例復活)。2000年の第42回衆議院議員総選挙では、コスタリカ方式により比例東北ブロックから出馬し3選。同年、衆議院議事進行係に就任。また森派退会後は2年弱無派閥のままであったが、江藤・亀井派に入会した。2003年自由民主党総裁選挙では、志帥会会長代行を務める亀井静香の推薦人に名を連ねたが、亀井は、かつて荒井が総裁選擁立を主導した小泉純一郎に敗北する。第43回衆議院議員総選挙では福島3区から出馬するが、玄葉に2万票弱の大差をつけられ、比例復活も出来ずに落選。翌2004年の第20回参議院議員通常選挙に比例区から出馬し、当選した。
2005年の郵政国会では、参議院で率先して郵政民営化法案への反対を主張し、8月8日の参議院本会議における採決では反対票を投じる。8月21日、長野県知事だった田中康夫を党代表に据えて結党した新党日本に参加し、党幹事長に就任。10月、自民党から除名処分を受ける。
2006年9月26日、小泉純一郎首相の退陣に伴う首班指名選挙では、統一会派を組む国民新党の綿貫民輔代表ではなく、自由民主党総裁に選出されたばかりの安倍晋三に投票。新党日本は、田中康夫代表が当時は国会議員でなかったため首班指名に関しては自主投票を決定していたが、国民新党側が荒井の安倍への投票を問題視し、結局統一会派を両院で解消した。
第21回参議院議員通常選挙を目前に控えた2007年7月、新党日本のマニフェストが田中代表により役員会での議決を経ずに独断で改定され、特に日本国憲法第9条に関する部分について議論が尽くされなかった点を批判。田中による党の私物化を非難し、新党日本の解党を要求したが、田中がこれを拒絶したため、荒井は記者会見で新党日本の「解党」を宣言した。新党日本総務会長の滝実衆議院議員も同様の批判を行い、荒井、滝のいずれもが新党日本を離れる。荒井は以後、改革クラブに参加するまでは無所属であった。なお、党幹事長である荒井が「解党」を宣言したものの新党日本は存続し、第21回参議院議員通常選挙での得票により、政党助成金も受け取るための政党要件をクリアした。
参院選終了後の8月、統一会派「自由民主党・無所属の会」を結成。2007年12月に参議院本会議で採決が行われた郵政民営化見直し法案には反対票を投じた。
2008年8月、民主党を離党した渡辺秀央を党首に改革クラブを結成し、党幹事長に就任。2010年、自民党を離党した舛添要一らが合流し、改革クラブは新党改革に改称。渡辺に代わり舛添が党代表に就任し、荒井は引き続き幹事長に留まった。2010年7月、第22回参議院議員通常選挙に比例区から出馬し、再選。なおこの参院選において荒井以外の新党改革の候補者は全員落選したが、比例区で2.0%の票を獲得したため、政党助成法上の政党要件を維持した。
2013年7月22日、舛添の代表辞任に伴い、新党改革代表に就任した[1]。
所属団体・議員連盟
人物
- 第39回衆議院議員総選挙で落選後、1992年から地元・福島県のラジオ局でキャスターを務めた。荒井が当時担当していた番組は今でも放送されている。
- 身長155cm[2]で、綽名は「政界の一寸法師」[2][3]。
- 安倍晋三は清和政策研究会の新人候補だった当時からの親友。自民党を除名された後も安倍シンパを公言し、安倍を側面から支援している[3]。
政治献金
しんぶん赤旗に消費者金融業界の政治団体「全国貸金業政治連盟」(全政連)からパーティー券購入により資金提供を受けている事実が報道されたが、本人は無回答である[4]。
著書
- 単著
- 共著
脚注
関連項目
外部リンク
|-style="text-align:center"
|style="width:30%"|先代:
舛添要一
|style="width:40%; text-align:center"|新党改革代表
第3代:2013年 -
|style="width:30%"|次代:
(現職)
|-style="text-align:center"
|style="width:30%"|先代:
(新設)
|style="width:40%; text-align:center"|改革クラブ/新党改革幹事長
初代:2008年 - 2013年
|style="width:30%"|次代:
(空席)
|-style="text-align:center"
|style="width:30%"|先代:
(新設)
|style="width:40%; text-align:center"|新党日本幹事長
初代:2005年 – 2007年
|style="width:30%"|次代:
(空席)
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