森章剛

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テンプレート:Infobox baseball player 森 章剛(もり しょうごう、1979年5月22日 - )は、福岡県久留米市出身の元プロ野球選手外野手)。テンプレート:Byからテンプレート:Byまではショーゴーテンプレート:Byの一時期は章剛を登録名とした。

来歴・人物

藤蔭高等学校では高校通算75本塁打の記録をもつスラッガーとして活躍し、テンプレート:Byドラフトで2位指名を受け中日ドラゴンズに入団。入団当初は登録名を「ショーゴー」とし背番号も一桁の0が与えられていた。

入団初年度の1998年の春季キャンプで腰を痛め、それをコーチやトレーナーに言い出せないうちに腰痛を悪化させてしまう。後に本人が語ったところでは「(当時は)走ることもバットを振ることもままならず、遠征カバンを持つだけで激痛が走るようになった」という。以後「再発が怖くて練習をセーブしたり、ちょっとでも違和感があると(練習を)やめるようになった」ということで、選手生活に大きな悪影響を与えた[1]

テンプレート:By5月1日の対読売ジャイアンツ戦で、野村空生から、当時左打者登録でありながら右打席で史上6人目のプロ初球初打席初本塁打を打つが、その後伸び悩み、スイッチヒッター転向の試みも度々繰り返し背番号も40に降格した。

その間、2001年シーズンオフに本名の「森章剛」へ登録名変更しながら、翌テンプレート:Byキャンプ直前に「章剛」へ登録名変更したものの、すでに「MORI(森)」の背ネームが入ったユニフォームが出来上がっていたため、すぐに本名に戻すというドタバタもあった。そのため、当時の名鑑などには登録名表記のバラつきが見られる[2]

テンプレート:Byシーズン後半は守備固めとして一軍で起用され、9月26日から10月11日までの全試合でスタメン出場、10月1日からの試合は消化試合になった事もあってか主に「7番・ライト」として、自身シーズン最多の3本塁打を放ちリーグ優勝に貢献、日本シリーズも経験した。また一人でマジックナンバーを3つ減らす活躍を見せ、この活躍中で打った本塁打は2本、そのどちらもチームの勝利に繋がる一打だった[3]

テンプレート:By10月に中日から金銭トレード北海道日本ハムファイターズへ移籍。テンプレート:Byは一軍帯同を勝ち取ったものの一軍出場は叶わず、同年9月に移籍からわずか1年で戦力外通告を受けた。

引退後、沖データコンピュータ教育学院で外野手兼任コーチとして学生を指導したり、独立リーグに参加していた。

その後愛知県に戻り2009年9月に安城市内にお好み焼店「ショーゴー」を開店。2010年7月には岡崎市に2号店となる「ホルモン焼 ショーゴー」を出店し、飲食業を営んでいる[1]

詳細情報

年度別打撃成績

テンプレート:By2 中日 18 36 32 3 6 2 0 1 11 6 0 2 0 0 3 0 1 11 0 .188 .278 .344 .622
テンプレート:By2 34 77 71 5 15 3 0 1 21 5 0 0 0 0 5 0 1 21 1 .211 .273 .296 .569
テンプレート:By2 10 34 32 4 7 0 0 3 16 6 0 0 0 0 2 0 0 14 1 .219 .265 .500 .765
通算:3年 62 147 135 12 28 5 0 5 48 17 0 2 0 0 10 0 2 46 2 .207 .272 .356 .628

記録

背番号

  • 0 (1998年 - 2001年)
  • 40 (2002年 - 2005年)
  • 44 (2006年)

登録名

  • ショーゴー (1998年 - 2001年)
  • 森 章剛 (もり しょうごう、2002年、2003年 - 2006年)
  • 章剛 (2002年)

脚注

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関連項目

テンプレート:中日ドラゴンズ1997年ドラフト指名選手
  1. 1.0 1.1 東京中日スポーツ・2011年2月8日付 2面
  2. ベースボール・マガジン社の出版物を例に出すと、週刊ベースボールのプロ野球選手名鑑号では「章剛」、ベースボールマガジン2002年夏季号(ユニフォーム・背番号特集)での年度別背番号一覧では「森章剛」となっている(前者では先述のドタバタも取り上げている)。
  3. 9月26日の横浜戦で先制打・9月28日のヤクルト戦で勝ち越し本塁打