尾久車両センター
テンプレート:車両基地 尾久車両センター(おくしゃりょうセンター)は、東京都北区にある東日本旅客鉄道(JR東日本)東京支社の車両基地。
宇都宮線(東北本線尾久支線)の尾久駅に隣接していて、列車密度、速度共に高い東北本線(宇都宮線・高崎線列車)の運行に支障を来たさずに数多くの回送列車を安全に捌くため、上野駅から当センターへの分岐点までの東北本線列車線は複々線となっている。この間の客車列車の回送には、推進回送と呼ばれる特徴的な方法が採用されている。
配置車両の車体に記される略号
「東オク」…東京支社を意味する「東」と、尾久を意味する「オク」から構成される。国鉄時代にも使用された表記だが、1969年3月の東京鉄道管理局分局により東京北鉄道管理局の管轄となり「北オク」、1957年までは「東ヲク」と表記されていた。
配置車両
2014年4月1日現在の配置車両は以下の通り[1]。
電車 | 気動車 | 機関車 | 客車 | 貨車 | 合計 |
---|---|---|---|---|---|
5両 | 0両 | 0両 | 55両 | 50両 | 110両 |
電車
- E655系電車(5両)
- E655-1(特別車両)を除く5両が配置されている。E655-1は東京総合車両センターの配置。
客車
- 皇室用客車(8両)
- 御料車4両、供奉車4両の計8両が配置されている。
- お召し列車・御乗用列車の運用が前述のE655系に受け継がれたため全車が保留車となっており、東京総合車両センター内の大井御料車庫で保管されている。
- マヤ34形客車(1両)
- 軌道試験車。1両(2004)が配置されている。保留車。
貨車
過去の配置車両
推進回送
テンプレート:Vertical images list 推進回送(推回)とは、機関車牽引の列車を通常とは逆向きの、客車を先頭、機関車を最後尾とした推進運転で回送する方法である。1934年にそれまでの機関車付け替え方式に代わって導入された。
当センターが受け持つ寝台特急に代表される客車列車は上野駅発着であり、同駅での転向(折り返し)が必須となる。しかし、これらの発着に使われる列車ホーム(13 - 17番線、地平部分にあるため、地平ホーム、また低いホームとも呼ばれる)は、頭端式ホームという行き止まりの構造であるため機回しができない。そのため機関車の付け替えを行わず、推進回送が行われている。
つまり、上野駅を出発する下り客車列車は、車庫である当センターで車内準備を整え、大宮方に機関車を連結し客車を先頭車として上野駅に向けて回送され(推進回送)、上野駅で乗客を乗せた後、機関車の付け替えを行わずに今度は機関車を先頭として出発する。逆に、上野駅に到着した上り客車列車は、機関車の付け替えを行わずに上野方に機関車を連結したままの状態で客車を先頭として当センターに向けて回送される(推進回送)。
推進回送で実際に運転を担当するのは最後部の機関車に乗務する運転士であるが、運転台のない先頭の客車には正規の運転装備に代わるものとして、可搬式のブレーキ弁、警笛、前照灯、無線が用意され、非常時のブレーキ操作を行う推進運転士が乗り込み、後部の運転士と連絡を取りながら運転される。その際に使われる警笛は小型で、音色が豆腐屋のラッパに似ていることから、推進運転士は「ラッパ屋」の別名を持つ。なお、この区間の回送運転は田端運転所所属の運転士が担当する。
また、推進運転士の視界確保のため、尾久所属の緩急車にはワイパーが装備されており、「夢空間」やE26系では前照灯も設けられた。
推進運転の際の速度は45 km/h以下、推進運転士のない場合は25 km/h以下に制限されている。
特殊な運転扱いにも関わらず現在まで続いている理由は、回送が約11分間程度と短距離のため、機関車付け替えに比較して、時間的、経済的に有利との判断からとされている。
歴史
上野駅の開業以来、東北方面への客車車庫は同駅構内に置かれていた。しかし大正時代の上野駅改良にともない、客車区の機能を他に移転することになり、尾久地区に客車操車場が新設されることになり、1920年着工。当初は王子駅管轄下とされたが1924年に貝塚操車場として独立、さらに1929年6月20日に尾久操車場と改名。操車場内に尾久客車区が設置された。また操車場建設と並行して東北本線列車線の経路付けかえが行われ翌21日から列車は新設された尾久駅経由とされた。
1934年5月には、田端機関庫上野分庫が廃止され尾久分庫に業務移管。さらに1939年10月には尾久機関区に昇格し、その後長期にわたり基本的に田端区は貨物列車、尾久区は旅客列車の担当となった。
上野 - 本車両基地間の列車線は1931年から複々線となっていたが、当初は上野駅高架ホームからは尾久操車場に、地平ホームからは大宮方面につながる構造であり、地平ホーム⇔操車場ならびに高架ホーム⇔大宮方面の列車は日暮里駅構内の渡り線で転線を行う必要があった。これがダイヤ編成上の支障となっていたため1968年10月1日ダイヤ改正を控えて操車場への分岐点改良が行われ、同年9月29日からは高架ホーム側・地平ホーム側双方の線路から出入区できるように改められたほか、増発された列車本数に対応するため、大宮駅北方に東大宮操車場を新設し尾久客車区東大宮派出が設置された。
1994年12月1日には品川運転所が廃止となり、同所配置車両が転入した。また2004年6月1日の組織変更で尾久客車区から尾久車両センターに改称された。
- 旧称の尾久客車区が示すようにかつては客車、それも上野駅発着の夜行列車が数多くあったため寝台車が多数配置されていた。また特急「はつかり」のキハ81系置換え後は、首都圏唯一の特急形気動車の検修基地となった。
また2014年度に予定されている東北縦貫線開業時には、田町車両センター(現・東京総合車両センター田町センター)の機能を当センターへ移管させる計画がある。
脚注
参考文献
関連項目
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