小林直樹
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テンプレート:BLP unsourced 小林 直樹(こばやし なおき、1921年[1]10月3日 - )は、日本の法学者。東京大学名誉教授。専門は憲法、法哲学。法学博士(東京大学、1962年)(学位論文「憲法の構成原理」)。長野県出身。総合人間学会会長。
略歴
学歴
職歴
- 1951年9月 東京大学教養学部講師
- 1953年 東京大学教養学部助教授
- 1959年 東京大学法学部助教授(憲法第二講座)
- 1961年 東京大学法学部教授(憲法第一講座)
- 1982年 専修大学法学部教授(1992年まで)
- 1992年 北海学園大学法学部教授・同大学院法学研究科教授(1996年まで)
来歴
旧制上田中学校(現・長野県上田高等学校)、旧制水戸高等学校(現・茨城大学文理学部)を経て、1942年東京帝国大学文学部哲学科入学も法学部政治学科転じる。二等兵、少尉等を経て、1947年高等文官試験合格。
法哲学者として出発し、1951年、東京大学教養学部で法学を教えていたが、1959年、宮沢俊義の後任として、憲法学に転籍し[2]、東京大学法学部教授(憲法学)となる。
学問上の業績
業績は多岐にわたるが、憲法学では基礎理論を扱った『憲法の構成原理』、憲法解釈を扱ったテキストブック『憲法講義(上)(下)』が主著である。また、法哲学では助教授時代の『法理学 上』がある。
論争
世間的には、『憲法第九条』で示した自衛隊「違憲合法論」が有名であるが、学界的には、『憲法の構成原理』を巡る尾吹善人との論争(後、菅野喜八郎が参加)が重要である。
恩師
恩師に法哲学者の尾高朝雄がいる[3]。 また、宮沢俊義には能力を高く評価され、宮沢の定年退官の際、宮沢本人の強い希望により、芦部信喜ら宮沢の弟子を差し置いてその後任に指名され、憲法学に転籍した。
備考
北海学園大学へは、今村成和の要請により赴任している。なお、退職する際に多数の書籍を北海学園大学付属図書館に「小林文庫」として寄贈している。
著書
- 『法理学 上巻』(岩波書店、1960年)
- 『憲法の構成原理』(東京大学出版会、1961年)
- 『日本における憲法動態の分析』(岩波書店、1963年)
- 『日本国憲法の問題状況』(岩波書店、1964年)
- 『憲法を読む』(岩波書店[岩波新書]1966年)
- 『憲法講義(上)(下)』(東京大学出版会、1980年、1981年)
- 『憲法第九条』(岩波書店[岩波新書]、1982年)
- 『立法学研究:理論と動態』(三省堂、1984年)
- 『憲法秩序の理論』(東京大学出版会、1986年)
- 『法・道徳・抵抗権』(日本評論社、1988年)
- 『憲法学の基本問題』(有斐閣、2003年)
- 『法の人間学的考察』(岩波書店、2003年)
弟子
脚注
- ↑ 長谷部恭男編『憲法本41…改憲・護憲をいうまえに学んでおくべきこと』 (平凡社、2001年)171頁[西原博史執筆]
- ↑ 長谷部恭男編『憲法本41…改憲・護憲をいうまえに学んでおくべきこと』 (平凡社、2001年)171頁[西原博史執筆]
- ↑ 長谷部恭男編『憲法本41…改憲・護憲をいうまえに学んでおくべきこと』 (平凡社、2001年)171頁[西原博史執筆]
- ↑ 棟居快行『人権論の新構成[改版新装版]』(信山社、2008年)iii頁