北斗七星

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北斗七星(ほくとしちせい Big Dipper)は、おおぐま座の腰から尻尾を構成する7つの明るい恒星で象られる星列のこと。北斗北斗星七つの星七曜の星とも呼ばれる。柄杓の形をしているため、それを意味する「斗」の名が付けられている。日本では四三の星七剣星とも呼ばれた。3等星であるδ星を除く6星は全て2等星である。このため春の星空で目立ちやすく、世界各地で様々な神話が作られている。

北斗七星を構成する星

バイエル符号 固有名 中国名
(『史記』「天官書」など正史の天文志の名)
大正新修大蔵経にある密教経典
『仏説北斗七星延命経』の名。
おおぐま座α星
α Ursae Majoris、α UMa
ドゥーベ 天枢・天魁 貪狼
おおぐま座β星
β Ursae Majoris、β UMa
メラク 天璇 巨門
おおぐま座γ星
γ Ursae Majoris、γ UMa
フェクダ 天璣 禄存
おおぐま座δ星
δ Ursae Majoris、δ UMa
メグレズ 天権 文曲
おおぐま座ε星
ε Ursae Majoris、ε UMa
アリオト 玉衝 廉貞
おおぐま座ζ星
ζ Ursae Majoris、ζ UMa
ミザール 開陽 武曲
おおぐま座η星
η Ursae Majoris、η UMa
アルカイド、ベネトナシュ 揺光 破軍

また、中国では柄杓の器の部分を作る、天枢、天璇、天璣、天権の4つを(かい)、柄の部分を作る、玉衝、開陽、揺光の3つを標または(ひょう)、あわせて斗と一字でよぶこともある。

北斗の柄の端から2番目のζ星ミザールには、伴星アルコル(中国名:輔星)が存在する。この2星は実際には3光年ほど離れており、見かけ上の二重星であると考えられている(連星であるとしたら、公転周期は75万年以上になる)。

北斗九星

宋の時代の道教の書『雲笈七籤』24巻「日月星辰部」では北斗七星と輔星、弼星と併せ北斗九星とされた。

この九星には『雲笈七籤』24巻「北斗九星職位総主」によると別名あり、天枢は第1陽明星とし以下、第2陰精星、第3真人星、第4玄冥星、第5丹元星、第6北極星、第7天関星、第8洞明星(輔星)、第9隠元星(弼星)の魂神であるとする。

星空における北斗七星

北斗七星にまつわる伝承

北斗七星の形状は、世界の様々な地方で柄杓やスプーンなどに喩えられてきた。

多くの伝承で、北斗七星は南斗六星と対をなす存在としてとらえられている。

  • アラビア地方では、北斗七星を棺桶とそれを引く3人の泣き女に喩えた。
  • 韓国では北斗のα星からδ星までをいびつにゆがんだ家と見立て、ε星はそれを建てた大工、ζ星は大工を怒って追いかける家の息子、アルコルは息子の振り上げた斧、η星はあわててそれを止めようと追いかける父親であるとする民話がある。
  • 北斗七星はおおぐま座の一部であるが、北米の先住民たちは北斗七星そのものが森の精によって空に放り投げられたであると考えていた。尻尾が長いのは、森の精が尻尾をつかんで振り回したため伸びてしまったからとされている。また、熊は桝部分の4星で、柄の3星とうしかい座の星々はそれを追う鳥の猟師とする伝承もある。
  • 中国では天帝の乗り物と見立てる説や、北斗七星を司る北斗星君という神がいる他にも、北斗七星の各々の星々に伝説がある。
    例えば、仁宗皇帝には文の包拯(包青天)、武の狄青の二人の名臣が居たが、この二人はそれぞれδ星(文曲星)、ζ星(武曲星)が仁宗を助けるために天帝の命によって天下ったものであるという伝説が水滸伝に記されている。水滸伝の主人公宋江もα星(天魁星)の天下ったものとされ、そのことから「星主」とも呼ばれている。
  • ミザールの伴星アルコルは比較的明度が低く見えづらいため、視力検査に用いられるなどして「見えると死ぬ」「見えないと死ぬ」など数々の伝説を生んだ。詳細はアルコルを参照。
  • 日本でも北斗七星の並びには、方言やアステリズムが多数存在する。 詳細は北斗七星の方言を参考。

歴史

  • 日本の幕末、江戸幕府が持っていた船に「開陽丸」があって、榎本武揚が蝦夷地(北海道)へ渡るときに用いているが、その名前は開陽星に由来する。
  • 戊辰戦争において酒井玄蕃率いる庄内藩二番大隊が掲げた軍旗「破軍星旗」(北斗七星を逆さに描いたもの。破軍星を背にして戦うと必ず勝利するという中国の故事による。)
  • アラスカ州州旗には北斗七星と北極星が描かれている。
  • ゴッホの『ローヌ川の星月夜』に北斗七星が描かれている。

北斗七星に由来する事物

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