信貴山口駅

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ファイル:信貴山口駅鋼索線ホーム.JPG
鋼索線ホームを山上側から俯瞰

信貴山口駅(しぎさんぐちえき)は、大阪府八尾市黒谷六丁目にある、近畿日本鉄道

歴史

  • 1930年昭和5年)12月15日 - 大阪電気軌道(以下、大軌と記す)信貴線及び信貴山電鉄鋼索線(現在の近鉄西信貴鋼索線)開通と同時に開業。
  • 1931年(昭和6年)11月2日 - 信貴山電鉄が信貴山急行電鉄に社名変更し、同社と大軌の共同使用駅となる。
  • 1941年(昭和16年)3月15日 - 大軌が参宮急行電鉄との合併により関西急行鉄道(以下、関急と記す)となり、同社と信貴山急行電鉄の共同駅となる。
  • 1944年(昭和19年)
    • 1月7日 - 信貴山急行電鉄鋼索線が不要不急線として休止となる。
    • 4月1日 - 関急が信貴山急行電鉄を合併し、関急の単独駅となる。
    • 6月1日 - 戦時統合により関急が近畿日本鉄道へ改組され、同社の駅となる。
  • 1948年(昭和23年)7月1日 - 東高安駅に改称。
  • 1957年(昭和32年)3月21日 - 再び信貴山口駅に改称。旧・信貴山急行電鉄鋼索線が近鉄西信貴鋼索線として営業再開。
  • 2007年平成19年)4月1日 - PiTaPa使用開始。

駅構造

駅舎を中心に、北方向に信貴線ホーム、東方向に鋼索線ホームがL字状に伸びている地平駅。改札口は1ヶ所のみで、信貴線・鋼索線の共用。従って、信貴線と鋼索線の乗り換えは改札を出ることなく可能となっている。

信貴線ホーム(八尾布施大阪上本町大阪難波尼崎三宮河内国分大和八木伊勢志摩名古屋方面)
2面1線の櫛形ホーム。普段は西側のホームが乗降車用である。多客時は東側ホームを降車用、西側ホームを乗車用としている。
2線時代の跡も残っているが、いつ頃1線に縮小されたかは不明である。
西信貴鋼索線ホーム(高安山信貴山門方面)
信貴線ホーム同様頭端式2面1線。但し南側のホームは平常時は使われておらず、北側(改札、信貴線のりかえ口から見て左側)のホームのみ使用している。

利用状況

近年における一日乗降人員は以下の通り。

  • 2005年11月8日:1,635人
  • 2008年11月18日:1,612人
  • 2010年11月9日:1,495人

駅周辺

駅周辺は閑静な住宅街となっている。日曜・祝祭日にはケーブルの乗換えや登山客、駅近くの霊園の参拝客でにぎわう。

隣の駅

近畿日本鉄道
信貴線
服部川駅 - 信貴山口駅
西信貴鋼索線
信貴山口駅 - 高安山駅

その他

当駅の駅名は生駒線信貴山下駅とともに、誤って「信貴山駅」と呼ばれ混乱を招くことがある。

信貴山駅」を名乗る駅そのものは実際に東信貴鋼索線に存在したが、1983年(昭和58年)に路線とともに廃駅となり、現行の地図上・路線図上には一切掲載されていない。

大阪電気軌道は高安線を当駅から枚岡駅まで延伸する計画を持っていたが、昭和12年に起業廃止となった。[1]

脚注

  1. 近畿日本鉄道100年のあゆみp86

関連項目

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外部リンク

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