近鉄東信貴鋼索線
|} 東信貴鋼索線(ひがししぎこうさくせん)は、奈良県生駒郡三郷町の近鉄生駒線信貴山下駅から、信貴山朝護孫子寺の入口である信貴山駅までを結んでいた近畿日本鉄道(近鉄)の鋼索鉄道(ケーブルカー)線。
路線データ
概要
生駒線の前身となる信貴生駒電気鉄道が、生駒線と接続して関西本線王寺駅から信貴山へ東側より入るルートを確立するために開業したが、1930年に近鉄の前身である大阪電気軌道(大軌)とその子会社の信貴山急行電鉄が現在の信貴線・西信貴鋼索線を開業させると、そちらの方が大阪市からは至便なルートとなったことにより、乗客は減少した。その後、近鉄に統合された後も細々と輸送を行っていたが、周辺が住宅化されると路線が道路整備の支障となり、乗客もさらに減少していたことから、1983年に全廃された。
運賃は大人片道350円(1983年当時。他線区の駅から信貴山駅までの運賃は、信貴山下駅までの運賃に350円を合算した金額)であった。
運行形態
1983年当時
- 運行本数:終日約20分毎、1日42往復
- 所要時間:10分
歴史
- 1922年(大正11年)5月16日 信貴生駒電気鉄道により、山下(後、信貴山下) - 信貴山間開業
- 1964年(昭和39年)10月1日 近畿日本鉄道(近鉄)に合併され、同社の東信貴鋼索線となる
- 1983年(昭和58年)9月1日 全線廃止
駅一覧
全駅、奈良県生駒郡三郷町に所在。
駅名 | 営業キロ | 接続路線 |
---|---|---|
信貴山下駅 | 0.0 | 近畿日本鉄道:生駒線 |
信貴山駅 | 1.7 |
廃止後
当線廃止後、麓側(信貴山下駅側)から約700mの路盤は、並行する道路の拡幅用地に転用された。その山側に続く約200mは、1986年に開校した信貴ケ丘高等学校(現・西和清陵高等学校)の用地の一部に取り込まれた。山側(信貴山駅側)の約800mは、枕木などが残されたまま遊歩道となった。信貴山下駅の鋼索線ホームは廃止後も残されていたが、1995年頃の駅舎改築に伴って撤去された。信貴山駅の駅舎と駅前広場はバス待合所・発着所に転用されている。
代替交通として、奈良交通が信貴山下駅 - 信貴山 - 信貴山門間でバスを運行している。もとは信貴山もしくは三室園東口までの運行であったが2012年4月28日より早朝・夜間を除き近鉄バス信貴山上線の終点である信貴山門へ終点が変更された[1]。
車両は2両のうち、コ9形は三郷町立三郷北小学校に譲渡され、中庭に保存されている[2][3]。コ10形は解体され、車輪などの部品が信貴山下駅構内に展示されている。
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東信貴ケーブル廃線跡。枕木も残る。
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バス待合所として使用される旧信貴山駅舎
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廃線跡