ワールドシリーズ
テンプレート:スポーツリーグ ワールドシリーズ(テンプレート:Lang-en)は、野球のメジャーリーグベースボール(MLB)における優勝決定戦。毎年レギュラーシーズン終了後の10月に、ナショナルリーグとアメリカンリーグのそれぞれの優勝チームどうしが戦い、その年の王座を争う。シリーズ優勝チームにはMLB機構コミッショナーから優勝トロフィー "コミッショナーズ・トロフィー" が贈呈される。また、チームも優勝記念にチャンピオンリングを製作し、選手らに贈るのが慣例となっている。俗称は秋の祭典(Fall Classic)。
MLBは北米に展開するプロ野球リーグであり、30球団中29球団はアメリカ合衆国内に本拠地を置いている。MLBを含む北米4大プロスポーツリーグに共通する特徴として、優秀な選手が世界中から北米リーグに集まる流れが確立されているということがあるため、その競技においては北米リーグでの優勝――野球ではこのワールドシリーズの制覇――が実質的な世界一ということができる[1][2]。ただし、北米四大スポーツリーグの優勝決定戦で名称にワールド(世界)と冠しているのはワールドシリーズのみである[† 1]。2010年には、MLBに次ぐ規模を持つ日本プロ野球との間でワールドシリーズ王者と日本選手権シリーズ王者を対戦させる "グローバル・ワールドシリーズ" 開催が検討されていることが明らかになったが[3]、未だ実現には至っていない。
シリーズの名称にワールドという単語が入った由来として、ニューヨーク州ニューヨークで発行されていた日刊紙『ニューヨーク・ワールド』がスポンサーをしていたため、という説があるがこれは誤りである[4]。実際には、19世紀に7年間開催されたナショナルリーグとアメリカン・アソシエーションの優勝チームによる選手権が、大仰な表現を好む当時の風潮から次第にワールドシリーズと呼ばれるようになり、これが1903年に始まって以来現在まで続くものに受け継がれた。19世紀のシリーズと現在のシリーズは、同じものとしては扱われず区別されている。現在のシリーズは、1904年と1994年の2度の中止を除いて毎年開催され、2013年終了時点で開催回数は109回を数える。
経済誌『フォーブス』の2013年10月の発表によれば、ワールドシリーズのブランド価値は金額にして1億3500万ドルになるといい、これは全世界のスポーツイベントの中で5番目に高い[† 2][5]。一方で、全米テレビ中継の平均視聴率が1980年の32.8%をピークに下がり続けており[6]、2012年には7.6%で最低記録を更新するなど[7]、課題も抱えている。
目次
現在の仕組み
ワールドシリーズまでの道のり
メジャーリーグベースボールの30球団は、15球団ずつがアメリカンリーグとナショナルリーグに分かれ、さらに両リーグとも5球団ずつ東・中・西の3地区に分かれている(右表参照)。各球団は同リーグ同地区との対戦を中心に、レギュラーシーズン162試合を戦う。この結果、各地区で最も勝率が高い球団(計6球団)が地区優勝となる。また、地区優勝できなかった球団のうち、各リーグの勝率上位2球団ずつ(計4球団)は地区に関係なくワイルドカードとなる。この10球団がポストシーズンへ進出する。この際、地区首位1枠やワイルドカード2枠にそれよりも多い数のチームが並んだ場合は、レギュラーシーズンの延長として当該球団によるプレイオフが開催される。
ポストシーズンでは、まずワイルドカード球団どうしが1試合で勝敗を決する "ワイルドカードゲーム" が行われる。この試合に勝った球団が、地区優勝球団も登場する次の "ディビジョンシリーズ" (地区シリーズ)へ進む。このシリーズでは、それぞれのリーグで地区優勝球団とワイルドカードゲーム勝者の4球団が2組に分かれて対戦し、最大5試合で先に3勝したほうが勝ち抜けとなる。そしてディビジョンシリーズの勝者どうしが、続いて "リーグチャンピオンシップシリーズ" (リーグ優勝決定戦)で相見える。同シリーズは最大7試合で先に4勝したほうが勝利し、シリーズ名のとおりリーグ優勝となる。それぞれのリーグでこのチャンピオンシップシリーズを制した球団が、ワールドシリーズへ進出する。
試合方式
ワールドシリーズはリーグチャンピオンシップシリーズと同じく、最大7試合で先に4勝した球団が優勝となる。どちらかの球団が4勝に到達した時点でシリーズは終了となり、以降の試合は行われない。
シリーズは片方の球団の本拠地で第1・2・6・7戦を、もう片方の球団の本拠地で第3・4・5戦を開催する。どちらの球団の本拠地でシリーズが開幕するかは、オールスターゲームの結果による。オールスターゲームでアメリカンリーグが勝利すればアメリカンリーグ優勝球団の本拠地で、ナショナルリーグが勝利すればナショナルリーグ優勝球団の本拠地で、その年のシリーズが始まることになる。またこの結果に関係なく、アメリカンリーグ優勝球団の本拠地での試合では指名打者制が採用される。
歴史
19世紀の優勝決定戦
現在のメジャーリーグベースボールを構成しているのはナショナルリーグ(テンプレート:By創設)とアメリカンリーグ(テンプレート:By創設)の2リーグである。しかし、今日において "メジャーリーグ" として認定されているリーグは、歴史上はこの他にもいくつか存在していた。アメリカンリーグ発足前に運営されていた "メジャーリーグ" のうち、比較的長く10年間続いたアメリカン・アソシエーションは、ナショナルリーグとの間で協定を結び、それぞれのリーグの優勝チームどうしを対戦させていた。テンプレート:Byからテンプレート:Byまで開催されていたこの選手権もワールドシリーズと呼ばれていたが、現在のワールドシリーズとは区別される存在である[8]。
ナショナルリーグは、初のプロ野球リーグである全米プロ野球選手協会(NAPBBP)を前身としている。テンプレート:Byに創設されたNAPBBPは、選手と賭博師との癒着をはじめとする数々の問題を抱えわずか5年で消滅したが、このリーグ戦で優勝したチームが全米王者であるということを初めて打ち出した点で大きな意味を持つ[9]。初代の "全米王者" はフィラデルフィア・アスレチックス(現在のオークランド・アスレチックスとは別球団)であり、翌テンプレート:Byからテンプレート:Byまではボストン・レッドストッキングス(現在のアトランタ・ブレーブス)が4連覇を果たした。NAPBBPでは優秀な選手の引き抜きが激しく[10]、レッドストッキングスが4年連続で優勝できたのも後援者の資金力によるところが大きい[11]。
1876年、NAPBBPに参加していたシカゴ・ホワイトストッキングス(現在のシカゴ・カブス)の代表ウィリアム・ハルバートが中心となって、新たにナショナルリーグが発足する。新リーグ初年度は4月22日から10月21日にかけて8チームで争われ、ホワイトストッキングスが52勝14敗で優勝した[12]。このナショナルリーグが、現在 "メジャーリーグ" として認定されているリーグの中で最初にできたものである。そしてこの年からテンプレート:Byまでの6年間は、ナショナルリーグが唯一の "メジャーリーグ" だった。ただナショナルリーグができて間もない頃は、それ以外にも多くのプロ野球チームが活動しており、中にはナショナルリーグ加盟チームより優れた実力を有するチームもあった[13]。ナショナルリーグはそのようなチームを取り込んでいく一方、経営難から日程を消化できないチームが出てくれば、それがたとえ初代 "全米王者" のアスレチックスであっても容赦なく除名して解散に追い込んだ。
1881年秋、ナショナルリーグに対抗する組織としてアメリカン・アソシエーションの創設が決まり、翌テンプレート:Byからリーグ戦が開始される。アメリカン・アソシエーションが主な客層として狙いをつけたのはブルーカラーだった。ナショナルリーグは、ハルバートが社会的地位の高い人々への浸透を目指す思想を持っており[14]、日曜日に試合を開催しなかったため、労働者の多くは球場へ足を運ぶ時間的余裕がなかった[15]。アメリカン・アソシエーションはこの層を取り込むため日曜日にも試合を行い、またナショナルリーグが禁止している球場での酒の販売も認めた。結果、アメリカン・アソシエーションは1年目にしてナショナルリーグよりも多くの観客を集めた[16]。この年の4月にリーグ会長だったハルバートを亡くしていたナショナルリーグは、テンプレート:Byにアメリカン・アソシエーションと協定を結ぶ。この協定には選手契約に関することなどとともに、両リーグの優勝チームどうしによる選手権の開催も盛り込まれた[16]。
1884年のシーズン、ナショナルリーグではプロビデンス・グレイズが、アメリカン・アソシエーションではニューヨーク・メトロポリタンズが、それぞれ優勝した。そして10月23日から25日の3日間、両チームによる3連戦がニューヨーク州マンハッタンのポロ・グラウンズで行われ、グレイズが3連勝した。年間王者をポストシーズンによって公式に決めた事例はこれが初めてのことだった[17]。元々この3連戦は全米選手権(The Championship of the United States)とされていたにもかかわらず、多くの新聞がグレイズを世界王者と称するようになり[18]、シリーズそのものもワールドシリーズという呼び名が定着した[4]。1880年代はこうした大げさな物言いが流行した時代だった[19]。この1884年は、ナショナルリーグとアメリカン・アソシエーションに次ぐ第三の "メジャーリーグ" としてユニオン・アソシエーションも活動しており、セントルイス・マルーンズが優勝したが、このリーグはナショナルリーグらに対抗して創設されたリーグであり、マルーンズはワールドシリーズには参加していない。ユニオン・アソシエーションは1年限りで解散し、マルーンズはテンプレート:Byからナショナルリーグへ移る。
1885年以降もナショナルリーグとアメリカン・アソシエーションによるワールドシリーズは継続して行われた。前年の第1回シリーズが3試合だったからといって、それからずっと3試合シリーズで固定だったのかというとそうではなく、年によって試合数はまちまちであった。1885年はナショナルリーグのホワイトストッキングスとアメリカン・アソシエーションのセントルイス・ブラウンズ(現在のセントルイス・カージナルス)による対戦が7試合組まれたが、3勝3敗1分で決着がつかなかった。最も試合数が多かったのはテンプレート:Byで、ナショナルリーグのデトロイト・ウルバリンズとアメリカン・アソシエーションのブラウンズの対戦は15試合行われ、ウルバリンズが10勝5敗でブラウンズを下した。この年から優勝チームには、ゴーハム社がデザインし製造したドーブレイ・カップというトロフィーが、女優ヘレン・ドーブレイから授与されるようになった。トロフィーは優勝を3度したチームに永久保持の権利が与えられ、それまでは前年の優勝チームから一旦返還されて次の優勝チームに渡ることになっていた。1887年のシリーズでは、怪我のためほとんど出場できなかったウルバリンズのダン・ブローザースが試合前のフィールドに出てきて、トロフィーを本塁の上に置いて見せていたという[20]。
両リーグの制度によって給料を低く抑えられていた選手たちが、テンプレート:Byに第四の "メジャーリーグ" としてプレイヤーズ・リーグを立ち上げた。新リーグは多くのスター選手を引き抜くことに成功し、観客動員ではナショナルリーグを上回ったものの、リーグ間での客の奪い合いなどが原因で経営的には失敗となり、シーズンはこの1年のみで終わった[21]。この年のワールドシリーズは、ナショナルリーグのブルックリン・ブライドグルームス(現在のロサンゼルス・ドジャース)とアメリカン・アソシエーションのルイビル・カーネルズの対戦で、7試合で3勝3敗1分の引き分けだった。プレイヤーズ・リーグ優勝のボストン・レッズは不参加で、リーグ消滅を受けて翌テンプレート:Byはアメリカン・アソシエーションに加盟する。ただそのアメリカン・アソシエーションも前年のプレイヤーズ・リーグとの競合、そして同リーグの消滅によって起きたナショナルリーグとの選手獲得競争によって大きな打撃を受けた[21]。この年のシーズン優勝チームは、ナショナルリーグがボストン・ビーンイーターズ(現在のアトランタ・ブレーブス)、アメリカン・アソシエーションはプレイヤーズ・リーグから移籍のレッズで、どちらもマサチューセッツ州ボストンに本拠地を置く球団だった。しかしワールドシリーズは開催されず、シーズン終了後にアメリカン・アソシエーションはナショナルリーグに吸収される形で10年の歴史に幕を下ろした。
結果的には、19世紀のワールドシリーズは勝者が決まらなかった1890年を最後に終了となった。テンプレート:By、唯一の "メジャーリーグ" となったナショナルリーグは2シーズン制を導入した上で、前期優勝のビーンイーターズと後期優勝のクリーブランド・スパイダーズとの年間王者決定戦を行い、ビーンイーターズが勝利した[22]。そしてビーンイーターズは1シーズン制に戻されたテンプレート:Byシーズンも優勝し、1891年からのナショナルリーグ3連覇を達成する。これによりビーンイーターズはドーブレイ・カップの永久保持が認められた。1893年11月12日、ビーンイーターズ投手のヘンリー・ガストライトがケンタッキー州ニューポートでトロフィーを展示したのを最後に、トロフィーは公の場から姿を消し行方がわからなくなった[23]。
テンプレート:Byからナショナルリーグは、ポストシーズンとして新たにテンプル・カップ(Temple Cup)を導入した。レギュラーシーズン優勝チームと2位のチームが7戦4勝制のシリーズを戦うもので、ピッツバーグ・パイレーツのオーナーのウィリアム・チェイス・テンプルがリーグへ寄贈したトロフィーが勝利チームに授与される。ただし、ナショナルリーグ王者はあくまでもレギュラーシーズン優勝チームであり、2位チームがテンプル・カップで勝ってもリーグ王者とはならない[24]。結局、このシリーズはファンの興味を惹くことができず、テンプレート:Byのシリーズをもって終了した[4][25]。4年間でレギュラーシーズンとテンプル・カップの両方を制したのはテンプレート:Byのボルチモア・オリオールズ(現在の同名球団とは異なる)だけで、残りの3年はいずれも2位チームがテンプル・カップを手にした。テンプレート:By・テンプレート:Byの2シーズンはレギュラーシーズンのみを行ったのち、テンプレート:Byにはテンプル・カップと同様の試みとして、ペンシルベニア州ピッツバーグの地元紙『ピッツバーグ・クロニクル=テレグラフ』によるクロニクル=テレグラフ・カップ(Chronicle-Telegraph Cup)が開催されたが、これもその年1度きりで定着はしていない。
ワールドシリーズの創設
19世紀には都合4つの "メジャーリーグ" が存在していたが、アメリカ合衆国ではそれ以外にも各地でプロ野球リーグが運営されていた。その中のひとつで中西部に展開していたウェスタン・リーグが、リーグの名称をアメリカンリーグへ変更した上で、テンプレート:Byのシーズンから "メジャーリーグ" になると表明する。新リーグは加盟8チームのうち、3チームをナショナルリーグのチームが本拠地にしている都市(マサチューセッツ州ボストン、イリノイ州シカゴ、ペンシルベニア州フィラデルフィア)に、さらに3チームをかつてナショナルリーグのチームがあった都市(メリーランド州ボルチモア、オハイオ州クリーブランド、ワシントンD.C.)に、それぞれ配した[26]。また、テンプレート:Byから唯一の "メジャーリーグ" となっていたナショナルリーグがその独占的地位を利用して選手の報酬を低く抑えていたため、アメリカンリーグは報酬に上限を設けない方針を採ることでナショナルリーグから多くの選手を引き抜く[27]。このときナショナルリーグからアメリカンリーグへ移籍した選手の中には、サイ・ヤングやナップ・ラジョイ、ジョン・マグローなど、後に殿堂入りするような選手も含まれていた。
テンプレート:By以来10年ぶりに2つの "メジャーリーグ" が並立することになった1901年のシーズンは、ナショナルリーグが観客動員でアメリカンリーグを上回った。しかしテンプレート:Byになると、発足2年目のアメリカンリーグが観客動員でナショナルリーグを逆転する。発足1年目のシーズンを終えたアメリカンリーグは、新たに1チームを既にナショナルリーグのチームが本拠地にしているミズーリ州セントルイスへ移転させていた。1902年は両リーグがともにチームを置いていた4都市全てで、アメリカンリーグのチームがナショナルリーグのチームより多くの観客を集めた[28]。ファンは、よりレベルの高いアメリカンリーグを選んだのだった[26]。これを受けて、ナショナルリーグは競争から協調へ路線を変更する。テンプレート:By1月、ナショナルリーグとアメリカンリーグは協定を結ぶ。この協定では、両リーグがお互いを "メジャーリーグ" として認め、全チームの球団代表の中から選ばれたひとりと両リーグ会長の計3人からなるナショナル・コミッションが設置されることになった[29]。ただこの際、1883年のナショナルリーグとアメリカン・アソシエーションが結んだ協定とは異なり、両リーグの優勝チームどうしによる選手権シリーズの開催は決まっていない。
1903年、ナショナルリーグではピッツバーグ・パイレーツが、アメリカンリーグではボストン・アメリカンズ(現在のボストン・レッドソックス)が、それぞれリーグ優勝を果たす。そしてシーズンが終盤に差し掛かっていた9月に両チームのオーナーが会談し、レギュラーシーズン終了後に9戦5勝制のシリーズを開催することで合意した[26]。ナショナル・コミッションの下で実施されるのではなく、あくまでパイレーツとアメリカンズが独自に行うものだが、2つの "メジャーリーグ" の優勝チームどうしによる選手権シリーズはテンプレート:By以来の開催となる。これが現在まで続くワールドシリーズの第1回とされている。10月1日にアメリカンズの本拠地ハンティントン・アベニュー・グラウンズで、アメリカンズ先発投手のヤングが第1球を投じてシリーズが開幕し、パイレーツが7-3で勝利した[30]。シリーズは初戦をものにしたパイレーツが第4戦まで3勝1敗と有利に進めていたものの、アメリカンズが第5戦から第8戦まで4連勝して逆転し、5勝3敗のアメリカンズが初代王者となった。
テンプレート:Byのシーズンは、ナショナルリーグはニューヨーク・ジャイアンツ(現在のサンフランシスコ・ジャイアンツ)が制し、アメリカンリーグはアメリカンズが2連覇を達成する。しかしこの年はワールドシリーズは行われなかった。前年のシリーズがナショナル・コミッションの下での開催ではなかったため、ジャイアンツがアメリカンズとの対戦を拒否したのが原因だった。ジャイアンツの球団オーナーは「ナショナルリーグ優勝チームはマイナーリーグ王者と名誉をかけて戦わなければならない、なんてリーグ競技規則のどこにも書いてないじゃないか」と主張したという[31]。ナショナル・コミッションは、テンプレート:Byからワールドシリーズの実施を規則で正式に定めた[29]。1905年のナショナルリーグを前年に引き続き制したジャイアンツはこの規則に従って同年のワールドシリーズには出場し、アメリカンリーグ優勝のフィラデルフィア・アスレチックス(現在のオークランド・アスレチックス)を4勝1敗で下して王座を獲得した。
結果・成績
1903年にワールドシリーズが創設されたときからリーグに参加している16チームは、いずれも2回以上の優勝を経験している。最も早く2度目の優勝を達成したのは1907年・1908年のシリーズを連覇したシカゴ・カブスである。ただし球団史上において優勝はこの2度だけで、翌年からは現在まで優勝から100年以上も遠ざかっている。2度目の優勝が最も遅かったのは、2008年に2度目の優勝を果たしたフィラデルフィア・フィリーズである。
一方、テンプレート:By以降のエクスパンションによって創設された14チームのうち、2回以上の優勝を経験しているのはニューヨーク・メッツ、トロント・ブルージェイズとマイアミ・マーリンズの3チームのみである。優勝経験があるチーム数も6チームにとどまり、ワシントン・ナショナルズおよびシアトル・マリナーズのように未だシリーズ出場すらないチームや、ヒューストン・アストロズおよびコロラド・ロッキーズのようにシリーズ出場経験はあるが白星を挙げた経験がない球団もある。また、エクスパンションによって創設されたチームどうしの対戦は実現していない。
歴代のシリーズ結果
アメリカンリーグ所属チーム | |
ナショナルリーグ所属チーム | |
E | 1961年以降のエクスパンションによって創設されたチーム |
球団別成績
アメリカンリーグ所属チーム | |
ナショナルリーグ所属チーム | |
両方のリーグに加盟した経験があるチーム | |
E | 1961年以降のエクスパンションによって創設されたチーム |
チーム | 出場数 | 優勝数 | 敗退数 | 優勝率 | 初出場 | 初優勝 | 前回出場 | 前回優勝 | 試合 | 勝利 | 敗戦 | 引分 | 勝率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
ニューヨーク・ヤンキース | 40 | 27 | 13 | .675 | 1921年 | 1923年 | 2009年 | 2009年 | 225 | 134 | 90 | 1 | .598 |
セントルイス・カージナルス | 19 | 11 | 8 | .579 | 1926年 | 1926年 | 2013年 | 2011年 | 118 | 58 | 60 | 0 | .492 |
オークランド・アスレチックス | 14 | 9 | 5 | .643 | 1905年 | 1910年 | 1990年 | 1989年 | 75 | 41 | 34 | 0 | .547 |
ボストン・レッドソックス | 12 | 8 | 4 | .667 | 1903年 | 1903年 | 2013年 | 2013年 | 74 | 45 | 28 | 1 | .616 |
サンフランシスコ・ジャイアンツ | 19 | 7 | 12 | .368 | 1905年 | 1905年 | 2012年 | 2012年 | 109 | 53 | 54 | 2 | .495 |
ロサンゼルス・ドジャース | 18 | 6 | 12 | .333 | 1916年 | 1955年 | 1988年 | 1988年 | 105 | 45 | 60 | 0 | .429 |
シンシナティ・レッズ | 9 | 5 | 4 | .556 | 1919年 | 1919年 | 1990年 | 1990年 | 51 | 26 | 25 | 0 | .510 |
ピッツバーグ・パイレーツ | 7 | 5 | 2 | .714 | 1903年 | 1909年 | 1979年 | 1979年 | 47 | 23 | 24 | 0 | .489 |
デトロイト・タイガース | 11 | 4 | 7 | .364 | 1907年 | 1935年 | 2012年 | 1984年 | 65 | 27 | 37 | 1 | .422 |
アトランタ・ブレーブス | 9 | 3 | 6 | .333 | 1914年 | 1914年 | 1999年 | 1995年 | 53 | 24 | 29 | 0 | .453 |
ボルチモア・オリオールズ | 7 | 3 | 4 | .429 | 1944年 | 1966年 | 1983年 | 1983年 | 39 | 21 | 18 | 0 | .538 |
ミネソタ・ツインズ | 6 | 3 | 3 | .500 | 1924年 | 1924年 | 1991年 | 1991年 | 40 | 19 | 21 | 0 | .475 |
シカゴ・ホワイトソックス | 5 | 3 | 2 | .600 | 1906年 | 1906年 | 2005年 | 2005年 | 30 | 17 | 13 | 0 | .567 |
シカゴ・カブス | 10 | 2 | 8 | .200 | 1906年 | 1907年 | 1945年 | 1908年 | 53 | 19 | 33 | 1 | .365 |
フィラデルフィア・フィリーズ | 7 | 2 | 5 | .286 | 1915年 | 1980年 | 2009年 | 2008年 | 37 | 14 | 23 | 0 | .378 |
クリーブランド・インディアンス | 5 | 2 | 3 | .400 | 1920年 | 1920年 | 1997年 | 1948年 | 30 | 14 | 16 | 0 | .467 |
ニューヨーク・メッツ E | 4 | 2 | 2 | .500 | 1969年 | 1969年 | 2000年 | 1986年 | 24 | 12 | 12 | 0 | .500 |
トロント・ブルージェイズ E | 2 | 2 | 0 | 1.000 | 1992年 | 1992年 | 1993年 | 1993年 | 12 | 8 | 4 | 0 | .667 |
マイアミ・マーリンズ E | 2 | 2 | 0 | 1.000 | 1997年 | 1997年 | 2003年 | 2003年 | 13 | 8 | 5 | 0 | .615 |
カンザスシティ・ロイヤルズ E | 2 | 1 | 1 | .500 | 1980年 | 1985年 | 1985年 | 1985年 | 13 | 6 | 7 | 0 | .462 |
アリゾナ・ダイヤモンドバックス E | 1 | 1 | 0 | 1.000 | 2001年 | 2001年 | 2001年 | 2001年 | 7 | 4 | 3 | 0 | .571 |
ロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイム E | 1 | 1 | 0 | 1.000 | 2002年 | 2002年 | 2002年 | 2002年 | 7 | 4 | 3 | 0 | .571 |
サンディエゴ・パドレス E | 2 | 0 | 2 | .000 | 1984年 | 1998年 | 9 | 1 | 8 | 0 | .111 | ||
テキサス・レンジャーズ E | 2 | 0 | 2 | .000 | 2010年 | 2011年 | 12 | 4 | 8 | 0 | .333 | ||
ミルウォーキー・ブルワーズ E | 1 | 0 | 1 | .000 | 1982年 | 1982年 | 7 | 3 | 4 | 0 | .429 | ||
ヒューストン・アストロズ E | 1 | 0 | 1 | .000 | 2005年 | 2005年 | 4 | 0 | 4 | 0 | .000 | ||
コロラド・ロッキーズ E | 1 | 0 | 1 | .000 | 2007年 | 2007年 | 4 | 0 | 4 | 0 | .000 | ||
タンパベイ・レイズ E | 1 | 0 | 1 | .000 | 2008年 | 2008年 | 5 | 1 | 4 | 0 | .200 | ||
ワシントン・ナショナルズ E | 0 | .--- | 0 | .--- | |||||||||
シアトル・マリナーズ E | 0 | .--- | 0 | .--- | |||||||||
アメリカンリーグ優勝チーム | 109 | 63 | 46 | .578 | 1903年 | 1903年 | 2013年 | 2013年 | 634 | 344 | 287 | 3 | .545 |
ナショナルリーグ優勝チーム | 109 | 46 | 63 | .422 | 1903年 | 1905年 | 2013年 | 2012年 | 634 | 287 | 344 | 3 | .455 |
表彰
脚注
注釈
出典
参考文献・資料
関連項目
外部リンク
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