ロジャー・フェデラー
テンプレート:テニス選手 ロジャー・フェデラー(Roger Federer テンプレート:IPA-de、1981年8月8日 - )とは、スイス・バーゼル出身の男子プロテニス選手。身長185cm、体重85kg。右利き、バックハンド・ストロークは片手打ち。男子プロテニス界にて重要視される数々の記録を塗り替え、築き上げている事から史上最高のテニスプレーヤーとの呼び声が高い[1][2][3][4]。また、テニスの教本のように正確無比でエレガントなプレースタイルから、最も完成度の高い選手とも呼ばれている。その規模の大きさから、スポーツのアカデミー賞と呼ばれるローレウス世界スポーツ賞を2005年から2008年にかけて4度受賞し、優秀なアスリートとして競技の枠を超えて高い評価を受けている。
目次
選手経歴
プロ入りから4大大会初優勝へ
フェデラーは、ボリス・ベッカーに憧れて、8歳からテニスを始めた。17歳の時に、ウィンブルドン選手権男子ジュニアのシングルス・ダブルス両部門で優勝を果たし、同年にプロ転向を表明。翌1999年には、ブレストで開催されたATPツアー参戦への登竜門となるATPチャレンジャーで初優勝を飾っている。2000年、シドニー五輪の男子シングルス部門の銅メダル決定戦でアルノー・ディ・パスカルに敗れた頃から急成長を始め、2001年1月には国別対抗戦であるホップマンカップにて母国スイスの優勝に貢献し、同年2月のミラン・インドアーズでようやくATPツアー・シングルス部門のタイトルを手中に収めた。この頃のフェデラーは専門家の間で期待されていたものの、メジャーな大会で目立った活躍は無く、既に輝かしい活躍を魅せていた同世代のレイトン・ヒューイットやマラト・サフィン、フアン・カルロス・フェレーロに隠れた存在であったが、2001年ウィンブルドン4回戦で第1シードのピート・サンプラスを3時間41分のフルセット 7-6, 5-7, 6-4, 6-7, 7-5 の末に破る大金星を挙げ、大きな注目を集めた。当時サンプラスは1993年大会から2000年大会の8年間に7度も優勝に輝き、ウィンブルドンでは無敵の強さを誇っていたため、この出来事はサンプラス時代の終焉が近い事を予感させる出来事となった。翌2002年には四大大会に次ぐ大規模トーナメント群であるマスターズ・シリーズ(現:ATPマスターズ1000)に所属するハンブルグ・マスターズでマラト・サフィンを破って優勝し、同年に世界ランキングでトップ10入りを果たす。
そして2003年7月、サンプラスを破った舞台であるウィンブルドンでマーク・フィリプーシスをストレートで下して4大大会初優勝を果たし、スイス出生の男子プロテニス選手として初の四大大会優勝者となった。
男子テニス界の頂点へ
四大大会の初優勝を遂げた2003年には、11月までにATPツアー大会で6度の優勝を飾っており、世界ランキングを自己最高の2位に押し上げる活躍を見せていた。そしてこの年のATPツアー最終戦 テニス・マスターズ・カップで、これまで勝つ事の叶わなかったアンドレ・アガシを初めて破り、大会初優勝を果たすと共に、フェデラーは選手として大きな転換期を迎えた。
2004年、昨年4回戦で終わっていた全豪オープンに初めて決勝まで勝ち上がり、マラト・サフィンを破って初優勝を果たす。その後、2月2日から世界ランキング1位の座に就くと、全仏オープンは3回戦敗退に終わるも、ウィンブルドン決勝でアンディ・ロディックを破って選手権2連覇を、全米オープン決勝でレイトン・ヒューイットを破って大会初優勝を果たし、1988年のマッツ・ビランデル以来16年ぶりの4大大会年間3冠という偉業を達成する。この年のフェデラーは非常に好調で、四大大会に次ぐトーナメント群であるマスターズ・シリーズで3大会、更にマスターズ・カップでも昨年に続く優勝を飾り、ランキング・トップ10同士の対戦で無敗を誇った。成績は 11大会優勝、74勝6敗(勝率92.5%)を記録。年間勝率の9割達成は1989年のイワン・レンドル以来15年ぶりの快挙であった。2004年のアテネ五輪開会式でスイス選手団の旗手を務めたが、テニス競技ではシングルス2回戦でチェコ代表のトマーシュ・ベルディハに 6-4, 5-7, 5-7 で敗れている。
2005年
2005年も好調を維持し、全豪オープンでマラト・サフィンに、全仏オープンでラファエル・ナダルに、いずれも準決勝で敗れたものの ウィンブルドンではアンディ・ロディックを、全米オープンではアンドレ・アガシを破って優勝を果した。また、ATPツアー史上初となるマスターズシリーズ年間4冠を達成する等、非常に優秀な成績を収めると共に、ジョン・マッケンローが持つ年間勝率歴代最高記録を更新する勢いで勝ち星を重ねていった。年末の欧州インドア・シーズン中に負った怪我を押して出場した年間最終戦マスターズ・カップでは、記録更新の掛かった決勝戦でダビド・ナルバンディアンに 7-6, 7-6, 2-6, 1-6, 6-7 の逆転負けを喫し、快挙達成に至らなかった。この年も11大会で優勝し、年間成績は 81勝4敗(勝率95.3%)を記録した。
2006年
全豪オープン決勝でキプロスの新星マルコス・バグダティスを退けて2年ぶり2度目の優勝を果たすと、インディアンウェルズ・マスターズとマイアミ・マスターズで優勝。ドバイ・テニス選手権では決勝でラファエル・ナダルに敗れ、2005年から続いていたハードコートでの連勝(歴代最多56連勝)を止められてしまった。続く欧州クレー・シーズンではモンテカルロ・マスターズ、ローマ・マスターズ、全仏オープンといった出場した全ての大会で決勝進出し、いずれもクレーコートを得意とするナダルに阻まれた。二人はウィンブルドンでも決勝対決となり、フェデラーが連敗の雪辱を果たして選手権4連覇を達成。全米オープン前哨戦のシンシナティ・マスターズでは2回戦でイギリスの新星のアンディ・マレー(当時ランク21位)に敗れてしまい、この年で唯一決勝進出を逃した大会となった。続くカナダ・マスターズで優勝。全米オープンでアンディ・ロディックを下し自身2度目の4大大会年間3冠を成し遂げた。秋、ジャパン・オープン出場の為に初来日し、決勝でティム・ヘンマンを下して初来日を優勝で飾っている。その後の欧州インドア・シーズンはマドリード・マスターズを含む出場した全ての大会で優勝し、マスターズ・カップは決勝でジェームズ・ブレークを圧倒して2年ぶり3度目の優勝を果たした。この年は17大会に出場して16大会で決勝進出、12大会優勝、戦績92勝5敗(勝率94.8%)とテニス史上類を見ない驚異的な成績を収めた。
2007年
全豪オープン決勝でフェルナンド・ゴンサレスを下し、全試合ストレート勝ちで優勝を果たす。4大大会では1980年全仏オープンのビョルン・ボルグ以来27年ぶり史上4人目で、全豪オープンでは1971年のケン・ローズウォール以来36年ぶりの達成であった。その後の春の北米ハードコート・シーズンはインディアンウェルズ・マスターズとマイアミ・マスターズにてギリェルモ・カナスに連敗し、欧州クレー・シーズンではローマ・マスターズでフィリポ・ボランドリに敗れてしまう。しかし、モンテカルロ・マスターズ、(当時)ハンブルグ・マスターズ、全仏オープンでは決勝に進出し、いずれもラファエル・ナダルと対戦。ハンブルグではナダルのクレーコート連勝記録を81で止めて優勝。両者はウィンブルドン決勝でも顔を合わせ、3時間45分のフルセットの末にフェデラーが競り勝ち、ビョルン・ボルグ以来の選手権5連覇という偉業を成し遂げた。続く全米オープン前哨戦のカナダ・マスターズでは決勝でセルビアの新星ノバク・ジョコビッチに敗退するも、シンシナティ・マスターズ決勝でジェームズ・ブレークを破って優勝。ATPツアー・シングルス・タイトル獲得数が「50」に到達。8月27日、彼の世界ランキング1位連続座位記録は「187週」に入り、同記録の最長保持者シュテフィ・グラフの186週を抜いて、歴代最長記録を樹立。 その後、全米オープン決勝でジョコビッチを下し、大会4連覇を達成すると同時に自身3度目の4大大会年間3冠という偉業を成し遂げた。続く欧州インドア・シーズンはマドリード・マスターズ決勝とパリ・マスターズ準決勝でダビド・ナルバンディアンに連敗するもスイス・インドアで2連覇達成。また、マスターズカップの決勝でダビド・フェレールに勝利して、通算4度目の優勝を果たす。12月には世界ランキング1位連続在位期間が「200週」に到達。この年は8大会で優勝し、戦績 68勝9敗(勝率88.3%)を記録した。
2008年
全豪オープン準決勝でノバク・ジョコビッチに敗れ、 大会3連覇を逃すと同時に2005年ウィンブルドンから続いていた4大大会連続決勝進出記録が10大会で途絶えてしまった。その後の北米ハードコート・シーズンで平凡な成績が続き、マスメディアからフェデラー時代の終焉の声が目立つようになる。欧州クレー・シーズンではモンテカルロ・マスターズ、(当時)ハンブルク・マスターズ、全仏オープンにて決勝に進出。いずれもラファエル・ナダルに阻まれた。続くウィンブルドンではウィリアム・レンショーが1881年~1886年にかけて達成した選手権6連覇の達成が期待されたが、決勝でナダルに4-6, 4-6, 7-6, 7-6, 7-9で4時間48分にも及ぶウィンブルドン決勝史上最長の激闘の末に敗れてしまい、偉業達成とはならなかった。また、2003年から続いていた芝生コートにおける連勝(歴代最多65連勝)も止められてしまった。
北京オリンピックで、フェデラーは2大会連続でスイス代表旗手を務めた。男子シングルス部門では準々決勝でジェームズ・ブレークに 4-6, 6-7 のストレートで敗れたものの、スタニスラス・ワウリンカと組んだ男子ダブルス部門では決勝でスウェーデン代表のシーモン・アスペリン&トーマス・ヨハンソン組を 6-3, 6-4, 6-7, 6-3 で下して金メダルを獲得。オリンピック翌週の8月18日、フェデラーは世界ランキング1位の座をナダルに明け渡し、世界ランキング1位連続座位記録は237週で止まった。その後、全米オープン前哨戦は平凡な成績が続いた。不安を抱えて挑んだ全米オープンでは決勝でアンディ・マレーを 6-2, 7-5, 6-2 で下し、対マレー戦の連敗を止めて大会5連覇を達成。これは1920年~1925年にかけて全米選手権6連覇を達成したビル・チルデンの5連覇以来84年ぶりの出来事であり、4大大会シングルス部門における2大会5連覇は史上初の快挙であった。その後の欧州インドア・シーズンはスイス・インドアでダビド・ナルバンディアンを下して3連覇を果たした。2008年度をもって終了するマスターズ・カップでは準決勝進出をかけたラウンド・ロビンにて1勝2敗とし、敗退。この年はシングルス部門の優勝は4大会に止まったものの、戦績 66勝15敗(勝率81.5%)と好成績を挙げた。
2009年
全豪オープン決勝でラファエル・ナダルに5-7, 6-3, 6-7, 6-3, 2-6で4時間19分に及ぶ激闘の末に敗れた。その後のインディアンウェルズ・マスターズ準決勝でアンディ・マレーに、マイアミ・マスターズ準決勝でノバク・ジョコビッチに敗れた。
続く欧州クレーコート・シーズンは、マドリード・マスターズ決勝でナダルのクレーコート連勝数を33勝で止めて優勝。続く2009年全仏オープンは、ラファエル・ナダルが4回戦でロビン・セーデリングに敗れた事で、フェデラーにキャリア・グランドスラムの達成が期待された。そんな中で準々決勝でガエル・モンフィスを下し、四大大会準決勝連続進出記録を20大会連続に伸ばし、準決勝でフアン・マルティン・デル・ポトロを下して四大大会決勝進出回数でイワン・レンドルの19大会目に並んだ。決勝でセーデリングを 6-1, 7-6, 6-4 で破り、悲願の全仏オープン初優勝を果たし、史上6人目となるキャリア・グランドスラムを達成。サンプラスの歴代1位と並ぶ四大大会14度目の優勝を挙げた。
2009年ウィンブルドン、準々決勝でイボ・カロビッチを下し、四大大会連続準決勝進出数を更新。準決勝ではトミー・ハースを下し、レンドルが持つ四大大会決勝進出数を更新する20回に到達。決勝ではロディックと対戦し、四大大会男子シングルス決勝史上最多ゲーム数を更新する77ゲームに及ぶ 5-7, 7-6, 7-6, 3-6, 16-14 の激闘の末に2年ぶり6度目の優勝を果たし、四大大会優勝数を15度に伸ばした。また、ウィンブルドン選手権7年連続決勝進出は現行のトーナメント方式になった1922年以降初めての事で、更に全仏とウィンブルドンの同一年度優勝は、前年のラファエル・ナダルに続いて、1968年の四大大会オープン化以降では史上4人目の達成であった。7月6日に発表された世界ランキングで、およそ11ヶ月ぶりに1位に返り咲いた。続く全米オープン前哨戦シンシナティ・マスターズ決勝で、ジョコビッチを下して優勝。2009年全米オープン決勝でフアン・マルティン・デル・ポトロに 6-3, 6-7, 6-4, 6-7, 2-6 の惜敗。大会6連覇は成らなかった。その後の欧州インドア・シーズンはスイス・インドア決勝でジョコビッチに敗れ、2009年度からロンドンに移転した年間最終戦ATPワールドツアー・ファイナルも準決勝で敗退。この年は4大会で優勝を挙げ、戦績61勝12敗(勝率83.6%)とした。
2010年
全豪オープン決勝でアンディ・マレーを破って優勝。これによって、自身の4大大会優勝最多記録を16に伸ばした。また、2月22日発表のランキングでイワン・レンドルの「270週」を抜いて歴代2位となった。
しかし、全仏オープンでは準々決勝でロビン・セーデリングに 6-3, 3-6, 5-7, 4-6 で敗れ、連続準決勝以上進出記録が23大会で途切れ、世界ランキング1位通算在位も歴代1位のピート・サンプラスの「286週」まであと1週と迫っていたが、6月7日発表の世界ランキングで2位に転落。続くウィンブルドンでも準々決勝にて第12シードのトマーシュ・ベルディハに 4-6, 6-3, 1-6, 4-6 で敗れてしまう。フェデラーが同大会決勝進出を逃したのは実に8年ぶりのことであり、大会後のランキングでは3位に転落してしまった。
その後は好調さ取り戻し、全米オープンの前哨戦となるシンシナティ・マスターズで優勝を飾り全豪以来7ヶ月ぶりのタイトルを獲得する。しかし、全米オープン準決勝でノバク・ジョコビッチに 7-5, 1-6, 7-5, 2-6, 5-7 とマッチポイントを握るも敗退。これにより7年連続の同大会決勝進出を逃す。地元バーゼルのスイス・インドア決勝ではジョコビッチを6-4, 3-6, 6-1 で破りツアー65勝目を挙げ、ピート・サンプラスの64勝を抜いて歴代単独4位となった。その後もATPワールドツアー・ファイナル決勝でナダルを 6-3, 3-6, 6-1 で破り3年ぶり5度目の優勝を果たした。この年は5大会で優勝を挙げ、戦績65勝13敗(勝率83.3%)とした。
2011年
開幕戦カタール・エクソンモービル・オープン決勝でニコライ・ダビデンコをストレートで下し、ツアー67勝目を挙げた。ディフェンディングチャンピオンとして挑んだ全豪オープンは準決勝でノバク・ジョコビッチにストレートで敗退した。フェデラーは続くドバイ・テニス選手権決勝とインディアンウェルズ・マスターズ準決勝もジョコビッチに敗退。更に、マイアミ・マスターズでは準決勝でラファエル・ナダルに敗退した。ハードコート・シーズンを良い成績で終えたものの、ジョコビッチが出場した全ての大会を制覇した関係で、ランキング3位に転落してしまった。
クレーコート・シーズン、モンテカルロ・マスターズは準々決勝で第7シードのユルゲン・メルツァーにストレートで敗退。続くマドリード・マスターズの初戦でフェリシアーノ・ロペスに 7-6, 6-7, 7-6 の苦戦を強いられながらも押し切り、その後の準決勝でナダルに敗退。ローマ・マスターズは、3回戦でリシャール・ガスケに6-4, 6-7 , 6-7で早期敗退とやや失速してしまった。全仏オープン、ナダルとジョコビッチの席巻が注目される中、フェデラーはそれを覆す勢いで勝ち星を重ねて行き、準決勝で絶好調のジョコビッチをセットカウント3-1で退けて決勝進出を果たす。これによりジョコビッチの開幕戦からの連勝記録を41で止め、対ジョコビッチ戦の連敗も3で止めた。しかし、決勝ではナダルにセットカウント1-3で敗退。続くウィンブルドンは準々決勝で第12シードのジョー=ウィルフリード・ツォンガに 6-3, 7-6, 4-6, 4-6, 4-6 の逆転負けを喫した。これはフェデラーにとって、4大大会における初めての2セットアップからの逆転劇であった。
全米オープンでは準決勝でノバク・ジョコビッチを相手に2セットアップ・マッチポイントを握りながらも敗退。これにより自身2002年以来となる四大大会無冠に終わった。その後の欧州インドア・シーズンは出場したスイス・インドア、パリ・マスターズ、ATPワールドツアー・ファイナルの全てで優勝。ツアー・ファイナルでは自身100回目の決勝を70回目の優勝で飾っており、更には歴代最多となる同大会6度目の優勝を果たした。この年は4大会で優勝を挙げ、戦績64勝12敗(勝率84.2%)とした。
2012年
年始に開催されたドーハ大会準決勝は背中の不調を理由に試合を棄権。続く全豪オープンは準決勝でラファエル・ナダルにセットカウント1-3で敗退。2月にはABNアムロ世界テニス・トーナメント、ドバイ・テニス選手権の2大会で優勝。その後迎えたインディアンウェルズ・マスターズでも、6年ぶりの優勝を果たし、早くもシーズン3勝目挙げた。5月のマドリード・マスターズではトマーシュ・ベルディハに勝利し、6度目の優勝を飾った。
全仏オープンでは、1回戦の勝利で史上初の全グランドスラム各50勝を達成。続く2回戦で4大大会通算234勝目を挙げ、ジミー・コナーズを抜く歴代最多のマッチ勝利数を更新するも、準決勝でノバク・ジョコビッチにストレートで敗退。
ウィンブルドンでは、準決勝で前年の覇者ジョコビッチを破り、ウィンブルドン史上最多タイとなる8回目の決勝進出。決勝ではイギリス勢74年ぶりの決勝進出を果たしたアンディ・マレーを4-6, 7-5, 6-3, 6-4で破り、ウィリアム・レンショー、ピート・サンプラスに並ぶ史上最多タイとなる7度目の優勝を飾ると同時に、4大大会通算17勝目を挙げた(4大大会優勝は2010年全豪オープン以来2年半ぶり)。そして、この優勝により大会翌日更新の世界ランキングにて、約2年ぶりに世界ランキング1位に返り咲き、その翌週のランキングで1位在位期間が通算287週となって、サンプラスの記録を抜いて男子歴代単独1位となった。
8月にウィンブルドンを会場にして行われたロンドンオリンピックでは、準決勝でフアン・マルティン・デル・ポトロとの激戦を制して初の決勝進出を果たし、史上3人目のゴールデンスラムの期待も高まったが、地元イギリスのアンディ・マレーにストレートで敗退し、銀メダルに終わった。しかし、オリンピックシングルス部門では4度目の出場で初のメダル獲得となった。その後のシンシナティ・マスターズでは、決勝でノバク・ジョコビッチをストレートで破り、シーズン6勝目を挙げた。
全米オープンでは準々決勝でトマーシュ・ベルディハに敗れ、同大会9年ぶりにベスト4進出を逃してしまう。10月の上海マスターズでは、準決勝でマレーに敗退するも、大会後のランキングでは1位を守り、男子初の在位総週300週を超える。その後のスイス・インドアでは決勝でフアン・マルティン・デル・ポトロに4-6, 7-6, 6-7の接戦で敗れた。11月5日のランキングで、昨年優勝した大会の欠場によるポイント失効でジョコビッチに世界ランキング1位の座を明け渡し、1位在位記録の更新は302週で止まった。
ツアー・ファイナルでは、決勝でジョコッビッチに敗れ3連覇を阻まれた。この年は6大会で優勝し、戦績 71勝12敗(勝率85.5%)と2007年以来の好戦績を収めた。
2013年
全豪オープンでは準決勝でアンディ・マレーにフルセットの末敗退。その後ABNアムロ世界テニス・トーナメントは準々決勝で、ドバイ・テニス選手権では準決勝で敗退。続くインディアンウェルズ・マスターズでも準々決勝でラファエル・ナダルに敗れた。
クレーコートシーズンでは、マドリード・マスターズ3回戦で第14シードの錦織圭に敗退。ローマ・マスターズでは、半年ぶりにツアー大会の決勝に進出するもナダルに敗退した。全仏オープンでは、4回戦でオープン化後史上4人目となるマッチ通算900勝を達成。しかし、続く準々決勝でジョー=ウィルフリード・ツォンガにストレートで敗退した。
芝前哨戦ゲリー・ウェバー・オープンでは、決勝でミハイル・ユージニーを下し、ようやくシーズン初タイトルを獲得。ウィンブルドンでは、2回戦で世界ランク116位のセルジー・スタコフスキに7-6, 6-7, 5-7, 6-7で敗れ、4大大会では2003年全仏以来の早期敗退を喫した。この敗戦により、2004年ウィンブルドンから続いていた36大会連続ベスト8進出記録が途絶え、大会後のランキングでも10年ぶりにランキングトップ4から陥落することとなった。その後急遽出場したクレーコート2大会でも、背中の怪我の影響もあったがランキング50位以下の相手に連敗。
8月のシンシナティ・マスターズでは準々決勝でナダルに敗退。ランキングを7位まで下げて迎えた全米オープンでは、4回戦で過去全勝だった第19シードのトミー・ロブレドに敗退してしまう。これにより、2002年以来初めて4大大会の決勝に進めなかった年となった。欧州インドア・シーズン、スイス・インドアでは決勝でフアン・マルティン・デル・ポトロに惜敗。続くパリ・マスターズでは準決勝でノバク・ジョコビッチに逆転で敗れた。ATPワールドツアー・ファイナルではラウンドロビン2勝1敗で準決勝に進出するがナダルに敗退。
2013年はツアー大会優勝が1大会のみに留まり、戦績45勝17敗(勝率72.6%)と過去10年間で最も成績が悪く、マスターズ1000以上の大きな大会でのタイトルが1つも取れなかったのは2001年以来のことであった。
2014年
年初のブリスベン国際では、決勝でレイトン・ヒューイットに敗退。続く全豪オープンでは、準決勝で第1シードのラファエル・ナダルに敗退したものの、4大大会では4大会ぶりにベスト4まで勝ち上がることができた。
2月のドバイ・テニス選手権では、準決勝でノバク・ジョコビッチに勝利し決勝進出。決勝ではトマーシュ・ベルディハを破り大会6度目の優勝とともにシーズン初優勝を飾った。また、この優勝でツアータイトル数が「78」となり、ジョン・マッケンローを抜いて歴代単独3位の獲得数となった。インディアンウェルズ・マスターズでは、決勝でジョコビッチに6-3, 3-6, 6-7の惜敗。続くマイアミ・マスターズでは、準々決勝で第20シードの錦織圭に6-3, 5-7, 4-6で敗退したが、大会後のランキングでは約9ヶ月ぶりにトップ4に復帰した。
クレーコートシーズン、モンテカルロ・マスターズでは6年ぶりに決勝進出を果たすが、同胞のスタニスラス・ワウリンカに逆転で敗れ準優勝。ローマ・マスターズでは初戦敗退。全仏オープンでは、4回戦で第18シードのエルネスツ・ガルビスにフルセットの末敗退し、同大会10年ぶりにベスト8進出を逃すこととなった。
芝前哨戦ゲリー・ウェバー・オープンで優勝。好調を維持して臨んだウィンブルドンでは、サーブ&ボレーなどの技術を駆使し、安定したプレーで2年ぶりに決勝進出を果たす。決勝では歴代単独最多8回目の優勝を目指して第1シードのジョコビッチと対戦したが、7-6, 4-6, 6-7, 7-5, 4-6のフルセットの末に敗退した。
その他経歴
慈善活動にも熱心に取り組んでおり、2003年にはロジャー・フェデラー基金を設立し、アフリカの子供たちの支援や、タイでおきた津波災害のときも自ら率先してチャリティイベントを企画して募金活動を行うなど、その活動はスポーツの枠を超えて世界中から高く評価されている。 2006年4月には、ユニセフ親善大使にも任命され、ユニセフとATPが結ぶグローバル・パートナーシップであるACE(Assisting Children Everywhere)という活動の中心人物として、世界中の子どもたちに健康と教育の機会を確保し、様々な困難から子どもたちを守るためのプログラムを推進している[1]。
2005年~2008年の4年連続で「ローレウス・スポーツ賞」の男子最優秀選手賞を受賞した。2000年に創設されたこの世界的なスポーツ賞で、男子最優秀選手賞の4年連続受賞は史上初めてである。
ツアーの選手同士の中から選ばれる「ステファン・エドバーグ・スポーツマンシップ賞」を2004年から2013年の間に9度も受賞しており、試合中のマナーやフェアプレイなども高く評価されている。[5]
私生活
2000年シドニー五輪がきっかけで、3歳年上のテニス選手ミルカ・バブリネックと交際を始め、2009年4月11日に結婚している。2009年7月に双子の娘が、2014年5月6日には双子の息子が誕生している。
サッカーのEURO2008がスイスで開催された際には、ミハエル・シューマッハ(F1ドライバー)やシモーネ・ニグリ=ルーダー(オリエンテーリング選手)、ペーター・ザウバー(F1チーム・ザウバーオーナー)らとともに親善大使に選出された。
2011年6月、米経済誌フォーブス誌が「最も稼いでいる30歳未満のセレブ」のランキングを発表し、2010年5月からの1年間で4,700万ドル(日本円で約37億6,000万円)を稼いで4位にランクインしている。[6]
2013年6月、同じくフォーブス誌での「最も稼いでるアスリート(スポーツ選手長者番付)」では、2012年から1年間でスポンサー契約等を含み7,150万ドル(日本円で約68億円)を稼いでタイガー・ウッズに次ぐ2位にランクインした。[7]
サッカーの熱心なファンである。出身地のクラブであるFCバーゼルのファンであると公言している。また、12歳までは実際にサッカーをプレーしており、テニスプレーヤーとしてのスケジュールが多忙を極めたため、サッカーを断念せざるを得なかったとも語っている。 [8]
2014年6月、アメリカの経済誌フォーブスは世界のアスリートの年収を公表した。フェデラーの年収は5620万ドル(約57億3000万円)であり、世界のアスリートの中で7位。テニス選手の中ではラファエル・ナダルを上回り、1位となった[9]。
各種記録一覧
4大大会
- 男子シングルス最多優勝記録「17回」
- ピート・サンプラス・ラファエル・ナダルの14回を上回り歴代最多。
- ウィンブルドン選手権男子シングルス最多優勝記録「7回」
- 2012年ウィンブルドンで7度目の優勝を達成。ウィリアム・レンショー、ピート・サンプラスと並ぶ歴代最多タイ記録。
- 4大大会通算マッチ勝利数最多記録「274勝(2014年全英まで)」
- ジミー・コナーズの233勝を抜いて歴代最多。
- 全豪オープンでの最多マッチ勝利数記録「73勝(2014年大会まで)」
- ステファン・エドベリの56勝を抜いて大会最多。
- 最多決勝進出記録「25大会」
- 2014年全英時点で、ラファエル・ナダルの20大会を上回り歴代最多。
- 連続決勝進出記録「10大会連続」
- 2005年ウィンブルドン~2007年全米オープンにかけて達成。
- 1930年代(オープン化以前)に達成されたジャック・クロフォードの「7大会連続」をも上回る歴代最多記録。
- 2006年・2007年の全仏オープン以外は全てに勝利。2008年全豪オープンでノバク・ジョコビッチに準決勝で敗れた事で途切れた。
- また、上記の記録を樹立後、2008年全仏オープンから2010年全豪オープンにかけて歴代2位の「8大会連続」も記録。
- 2010年全仏オープン準々決勝でロビン・セーデリングに敗れ、自己記録の更新はならず。
- ウィンブルドン選手権男子シングルス最多決勝進出記録「9回」
- 2014年大会で9度目の決勝に進出。ウィリアム・レンショー、アーサー・ゴアの8回を抜いて大会最多記録となった。
- ウィンブルドン選手権男子シングルス連続決勝進出年数「7年連続」
- 2003年~2009年までの記録。ウィリアム・レンショー、ビョルン・ボルグの6年連続を抜いて大会最長記録である。
- 最多準決勝進出記録「35大会」
- 2014年全英時点で、ジミー・コナーズの31大会を抜いて歴代最多。
- 連続準決勝進出記録「23大会連続」
- 2004年ウィンブルドン~2010年全豪オープンにかけて記録。上記セーデリングとの対戦で途切れた。
- ノバク・ジョコビッチの14大会連続を大きく上回る歴代最多記録。
- 最多準々決勝進出記録「42大会」
- 2014年全英時点で、ジミー・コナーズの41大会を抜いて歴代最多。
- 連続準々決勝進出記録「36大会連続」
- 2004年ウィンブルドン~2013年全仏オープンにかけて記録。2位ノバク・ジョコビッチの21大会連続(継続中)を大きく上回る歴代最長記録。
- 2013年ウィンブルドン2回戦でセルジー・スタコフスキに敗退したことで途切れた。
- 4大大会連続出場記録「59大会連続(2014年全英まで)」(継続中)
- 2000年全豪オープンから4大大会連続出場。ウェイン・フェレイラの56大会連続を抜き、男子では歴代最長記録。
- 第1シードでの4大大会出場最多記録「23大会」
- 2012年全米オープン時点でピート・サンプラスの22大会を抜いて歴代最多。
- 初の決勝進出からの決勝連勝記録「7連勝」
- 2003年ウィンブルドン~2006年全豪オープンにかけて記録。史上初の達成。
- 全試合ストレート勝ち
- 2007年全豪オープンで達成。男子テニス史上4人目の記録で、全豪オープンでは1971年のケン・ローズウォール以来の達成。
- 2大会における5連覇
- ウィンブルドン(2003年-07年)・全米オープン(2004年-08年)で記録。史上初の達成。
その他
- 世界ランキング1位 連続在位記録「237週」
- 2004年2月2日~2008年8月18日までの、男女を通じた世界最長記録。2007年2月26日にジミー・コナーズの男子歴代最長記録「160週」を抜き、同年8月27日にシュテフィ・グラフの女子歴代最長記録「186週」をも更新。同年12月2日付で史上初の「200週」に到達。2008年8月18日、ラファエル・ナダルが世界ランキング1位となり、記録は「237週」で止まった。フェデラーは初めて世界ランキング1位の座についてから、約4年半もの間ランキング1位を守り続けた。
- この快挙を称えて、スイスの郵政省は2007年4月1日にフェデラーを印刷した切手を発行[10]。これにより、フェデラーは存命のスイス人として初めて切手の印刷面を飾った人物となった。なお、この記念切手にはウィンブルドンの優勝トロフィーを掲げたフェデラーの姿が印刷されており、2010年2月8日にオーストリアで新たに発行された記念切手には全仏オープンでプレーするフェデラーの姿が印刷されている。
- 世界ランキング1位 通算在位記録「302週」
- 男子歴代最長記録。2010年6月7日付のランキングで、当時ピート・サンプラスの持っていた男子歴代最長記録「286週」に残り1週と迫っていたが、2位に転落してしまう。その後一時は4位までランキングを落としたが、2012年ウィンブルドン優勝により約2年ぶりにランキング1位に復帰した。その翌日更新のランキングでサンプラスの記録に並び、翌週も1位を守りきって男子歴代単独1位の記録をつくった。
- 10月15日付のランキングにて、男子では史上初の世界ランキング1位通算在位300週を達成(女子ではシュテフィ・グラフ、マルチナ・ナブラチロワが達成)した。11月5日付のランキングでジョコビッチに1位の座を明け渡し、在位総週の更新は302週で止まった。
- また、現在フェデラーが最後にランキング1位に在位していた年齢「31歳2ヶ月」は、アンドレ・アガシの「33歳4ヶ月」に次ぐ歴代2番目の年長記録である。
- 芝生コートでの連勝記録「65連勝」
- 芝生コートにおける歴代最多連勝。2003年ハーレから2008年ウィンブルドン決勝でナダルに敗れるまでの記録。それまでビョルン・ボルグが保持していた41連勝を大幅に更新。
- 芝生コートでの最多優勝記録「14大会」
- ピート・サンプラスの10大会を抜いて歴代最多。
- ハードコートでの連勝記録「56連勝」
- ハードコートにおける歴代最多連勝。2005年ロッテルダムから2006年ドバイ・テニス選手権決勝でナダルに敗れるまでの記録。また、2006から2007年にかけて歴代2位の36連勝も記録している。(3位は2011年にノバク・ジョコビッチが記録した35連勝である。)
- ハードコートでの最多優勝記録「54大会」
- ジミー・コナーズの48大会を抜いて歴代最多。
- 男子プロテニスツアー決勝戦での連勝記録「24連勝」
- 2003年10月のバンク・オーストリア・テニスカップから2005年の年間最終戦マスターズ・カップの決勝戦でダビド・ナルバンディアンに敗れるまでの記録。2位はビョルン・ボルグの15連勝である。
- ランキングトップ10選手との連勝記録「26連勝」
- 2003年~2005年に記録。コンピューターランキング制度導入以降の最多連勝。また2006年~2007年に歴代2位となる17連勝も記録。3位にはノバク・ジョコビッチ・ラファエル・ナダルの14連勝(いずれも2012~2013年)がある。
- 通算獲得賞金最多記録「79,218,415ドル」(2013年シーズン終了時点)[11]
- ピート・サンプラスが保持していた歴代1位の記録「43,280,489ドル」を更新中。現在はラファエル・ナダルが歴代2位につけている。
- 3年連続ツアー年間10勝以上
- 2004年~2006年の記録。年間10勝以上を3回達成している選手はフェデラーの他にジミー・コナーズがいるが、3年連続というのは男子プロテニス協会によるコンピューターランキング制度導入以降史上初である。
- ATPワールドツアー・ファイナル最多優勝記録「6回」
- イワン・レンドル、ピート・サンプラスの5回を抜いて歴代最多。
- ATPワールドツアー・ファイナル最多マッチ勝利数「44勝」
- イワン・レンドルの39勝を抜いて歴代最多。
ATPツアー決勝進出結果
シングルス: 121回 (80勝41敗)
|
|
ダブルス: 14回 (8勝6敗)
4大大会優勝
- 全豪オープン:4勝(2004,06&07,10年)〔準優勝1度:2009年〕 歴代2位タイ。(オープン化後では歴代1位タイ)
- 全仏オープン:1勝(2009年)〔準優勝4度:2006-08,11年〕
- ウィンブルドン:7勝(2003-07,09,12年)〔準優勝2度:2008,14年〕 歴代1位タイ。
- 全米オープン:5勝(2004-08年)〔準優勝1度:2009年〕 歴代4位タイ。(オープン化後では歴代1位タイ)
年 | 大会 | 対戦相手 | 試合結果 |
---|---|---|---|
2003年 | ウィンブルドン | テンプレート:Flagicon マーク・フィリプーシス | 7-6, 6-2, 7-6 |
2004年 | 全豪オープン | テンプレート:Flagicon マラト・サフィン | 7-6, 6-4, 6-2 |
2004年 | ウィンブルドン | テンプレート:Flagicon アンディ・ロディック | 4-6, 7-5, 7-6, 6-4 |
2004年 | 全米オープン | テンプレート:Flagicon レイトン・ヒューイット | 6-0, 7-6, 6-0 |
2005年 | ウィンブルドン | テンプレート:Flagicon アンディ・ロディック | 6-2, 7-6, 6-4 |
2005年 | 全米オープン | テンプレート:Flagicon アンドレ・アガシ | 6-3, 2-6, 7-6, 6-1 |
2006年 | 全豪オープン | テンプレート:Flagicon マルコス・バグダティス | 5-7, 7-5, 6-0, 6-2 |
2006年 | ウィンブルドン | テンプレート:Flagicon ラファエル・ナダル | 6-0, 7-6, 6-7, 6-3 |
2006年 | 全米オープン | テンプレート:Flagicon アンディ・ロディック | 6-2, 4-6, 7-5, 6-1 |
2007年 | 全豪オープン | テンプレート:Flagicon フェルナンド・ゴンサレス | 7-6, 6-4, 6-4 |
2007年 | ウィンブルドン | テンプレート:Flagicon ラファエル・ナダル | 7-6, 4-6, 7-6, 2-6, 6-2 |
2007年 | 全米オープン | テンプレート:Flagicon ノバク・ジョコビッチ | 7-6, 7-6, 6-4 |
2008年 | 全米オープン | テンプレート:Flagicon アンディ・マレー | 6-2, 7-5, 6-2 |
2009年 | 全仏オープン | テンプレート:Flagicon ロビン・セーデリング | 6-1, 7-6, 6-4 |
2009年 | ウィンブルドン | テンプレート:Flagicon アンディ・ロディック | 5-7, 7-6, 7-6, 3-6, 16-14 |
2010年 | 全豪オープン | テンプレート:Flagicon アンディ・マレー | 6-3, 6-4, 7-6 |
2012年 | ウィンブルドン | テンプレート:Flagicon アンディ・マレー | 4-6, 7-5, 6-3, 6-4 |
テンプレート:テニスグランドスラム大会男子シングルス優勝記録
4大大会シングルス成績
大会 | 1999 | 2000 | 2001 | 2002 | 2003 | 2004 | 2005 | 2006 | 2007 | 2008 | 2009 | 2010 | 2011 | 2012 | 2013 | 2014 | 通算成績 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
全豪オープン | LQ | 3R | 3R | 4R | 4R | W | SF | W | W | SF | F | W | SF | SF | SF | SF | 73–11 |
全仏オープン | 1R | 4R | QF | 1R | 1R | 3R | SF | F | F | F | W | QF | F | SF | QF | 4R | 61–15 |
ウィンブルドン | 1R | 1R | QF | 1R | W | W | W | W | W | F | W | QF | QF | W | 2R | F | 73–9 |
全米オープン | LQ | 3R | 4R | 4R | 4R | W | W | W | W | W | F | SF | SF | QF | 4R | 67–9 |
※: 2004年全米4回戦、2007年ウィンブルドン4回戦、2012年全豪2回戦、2012年全米4回戦の不戦勝は通算成績に含まない
脚注
外部リンク
テンプレート:テニス男子世界ランキング1位 テンプレート:Navboxes テンプレート:ローレウス世界スポーツ賞年間最優秀男子選手
テンプレート:Link GA テンプレート:Link GA テンプレート:Link GA テンプレート:Link GA
- ↑ 1.0 1.1 ロジャー・フェデラーの足跡
- ↑ サンプラス「フェデラーは史上最高の選手」
- ↑ サンプラス「フェデラーは史上最強の選手」
- ↑ 史上最高選手は?高まる議論=フェデラーに称賛の声
- ↑ http://news.tennis365.net/news/today/201211/95023.html
- ↑ http://www.cinematoday.jp/page/N0033058
- ↑ http://news.tennis365.net/news/today/201306/97371.html
- ↑ http://fourfourtwo.com/interviews/celebrityfans/228/article.aspx
- ↑ The World's Highest-Paid Athletes Forbes.com 2014年6月発表。
- ↑ ロジャー・フェデラーをモデルにした記念切手が発売へ 2007年04月10日 AFP
- ↑ フェデラーが歴代最多賞金