ジョン・ロウリネイティス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

テンプレート:Infobox プロレスラー

ジョン・ロウリネイティスJohn Laurinaitis1962年[1]7月31日 - )は、アメリカ合衆国の元プロレスラーで、現在はWWEの副社長の1人である。「ジョン・ラリナイダス」などと表記される場合もある。生年は1965年ともされる。

プロレスラーとしてはジョニー・エースJohnny Ace)をリングネームに、主に全日本プロレスで活躍した。「カッター」「スタナー」と呼ばれるムーヴの創始者とされている(後述)。

ジョセフ・ロウリネイティス(ロード・ウォリアー・アニマル)は兄、マーク・ロウリネイティス(ターミネーター / フューリー)は弟にあたる。

来歴

1986年NWAフロリダ地区のFCW(フロリダ・チャンピオンシップ・レスリング)においてデビュー。当時はザ・シープハーダーズマネージャーとして、ヒールのポジションにいた。その後、ノースカロライナジム・クロケット・プロモーションズWCWの前身)に転戦し、シェーン・ダグラスとのアイドル系タッグチーム "ダイナミック・デューズThe Dynamic Dudes)" で活動する。1989年には古巣のFCWにて、弟のザ・ターミネーターとのコンビでナスティ・ボーイズとタッグ王座を争った。

その間の1988年8月、全日本プロレスに初来日。以降も全日本の常連外国人レスラーとして、小橋健太スティーブ・ウィリアムスマイク・バートンスタン・ハンセンらとコンビを組んで活躍する。1990年代全般は主戦場を全日本マットに絞り、1998年には三沢光晴三冠ヘビー級王座に挑戦。敗れたものの各種のエース・クラッシャーで三沢を苦しめた。

リングネームのエースにちなんで、入場時にオリジナルのトランプのエースカードを撒くというパフォーマンスを行った時期もある。また、ピースサインをパフォーマンスとして用いた時期もあり、その当時のタイツにはピースサインが施されていた。

2000年に全日本から三沢らが離脱したのをきっかけにレスラーを引退。全日本ではアメリカ人選手の招聘窓口も兼務していたことから、その人脈と手腕を見込まれ、引退後はWCWのブッキング部門の責任者となる。WCW崩壊後はWWF(現WWE)に移籍。同様にブッカーとして活躍し、2004年にタレント・リレーション部担当副社長、2007年には同上席副社長となるなど、エグゼクティヴとしてのキャリアを重ねている。

全日本との繋がりは現在でも強く、WWEを解雇されたレスラーが彼の紹介で全日本プロレスに参戦することも多い。また、仲田龍とも旧知の仲であるため、ノアのレスラーがWWEのダーク・マッチへ出場することもあったが、潮崎豪森嶋猛ビンス・マクマホンに酷評されてからは行われていない。

WWE入社後は背広組としての仕事が主で番組に出演することはほとんどなかったが、2011年からはビンス・マクマホンCMパンクとの絡みで番組に度々登場し、ストーリーにもRAW臨時GMとして出演した。その後、正式なロウのGMに任命され、レッスルマニアXXVIIIにおいて、スマックダウンのGMセオドア・ロングとのGMの座をかけた試合に勝利し、ロウとスマックダウンの両番組のGMに就任した。このストーリーは2012年6月のノー・ウェイ・アウトにおいて、自身の代理人であるビッグ・ショーがジョン・シナに敗れ、自身はGM解任を告げられるという形で終了した。 2013年には、レッスルマニア間近のスマックダウンに登場して、シナと戦うザ・ロックのセコンドになろうとしてロックに接近したが、叩きのめされた。 5月、小橋健太引退時にその番組にて感謝のメッセージを送った。

得意技

エース・クラッシャー(新型 / 改良型)
エースの代名詞とも言える技。かつて使用していた旧型(初期型)エース・クラッシャーを、より強力にするために改良したもの。立っている相手の前に後ろ向きに立ち、相手の顔面を自分の肩口に乗せて両手もしくは片手で固定したあと、ジャンプして身体を前方に投げ出し背中からマットに倒れ込み、その衝撃で顔面と首に同時にダメージを与える。微妙に浮かせた相手の頭部を前に引っ張り込むような体勢にし、着地の反動で顔面を肩に叩きつけた後にマットにも叩きつける。
ネックブリーカー式(リバース式)、ランニング式、雪崩式、断崖式、メキシカン・エース・クラッシャー、スタンガン・エース・クラッシャーなどバリエーションは多い。
ダイヤモンド・ダラス・ペイジダイヤモンド・カッターは、ジョニー・エースが彼に教えたことからダイヤモンド・カッターを使うようになったと言われている。
エース・クラッシャー(旧型 / 初期型)
立っている相手の前に後ろ向きに立ち、相手の顎を自分の肩口に乗せて両手もしくは片手で固定した後、ジャンプして尻餅をつくように着地し、その衝撃で顎と首に同時にダメージを与える。相手の頭部を完全に固定しておいて尻餅を突く反動で相手の首にむち打ちの効果を狙う技である。全日本プロレスに参戦し始めた頃、当時若手だった小橋もタッグマッチにおいて何度もフォールを奪われている。
メキシカン・エース・クラッシャー
走ってきた相手に対し、自らしゃがみ込んで相手の懐に入ると同時に、正面から両手で相手の体を抱え上げてリフトアップし相手を真上に放り投げた後、空中で相手の首をキャッチしエース・クラッシャー(新型)で叩きつけるエース・クラッシャーの応用技。三沢との三冠戦対策として考案し、同試合で披露。ダッドリー・ボーイズ(チーム3D)がフィニッシュで使う合体技「ダッドリー・デス・ドロップ(3D)」の動きをすべて1人でこなすような技である。
ギロチン・エース・クラッシャー
1990年代初頭から使用している技。前かがみさせた相手の斜め横に立ち、相手に近い方の足を相手の首筋に掛け、自分に近い相手の片腕を取り、その状態のままジャンプしてもう片方の自分の足を前方に投げ出し、尻餅をつく形で着地すると同時に相手をマットに衝突させてダメージを与える。フィニッシュとしてはあまり使用されない。名前はエース・クラッシャーの派生技のようであるが、実際はまったく別に開発された技といえる。
コブラクラッチ・スープレックス
スタンディングのコブラクラッチの状態から相手を背後に投げ捨てる。小橋とチーム「GET」結成後、エース・クラッシャーと並ぶエースのフィニッシュ・ホールドとなった。「エース・ボム」と自ら呼んだこともあったがこの呼び名は定着しなかった。
ジョニー・スパイク
インプラントDDT。フロントネックロックの状態から、開いている自らの片手で相手のタイツをつかみ、相手を垂直よりも少し前のめりに抱え上げて頭・前頭部から真下へ落とす。彼の必殺技としては各種エース・クラッシャーやコブラクラッチ・スープレックスのイメージが強いが、威力では最強の技とも言われている(タッグマッチではあるが、この技で三沢光晴から完璧な3カウントを奪取したこともある)。
ドクター・ボム
開発者はスティーブ・ウィリアムス。彼とタッグを組んでいたときに伝授されて使用。エース・クラッシャーと2大フィニッシュとして使用した時期もある。小橋からこの技でフォールも奪っている。
ムーンサルトプレス
小橋と抗争していた1994年頃に小橋を挑発する意図で初披露した。その後、小橋とタッグを組んでいた時に、この技を得意としていた小橋に触発されて再び出した。大試合でしか出さない隠し技である。

獲得タイトル

全日本プロレス
FCW
その他
  • ICWAフロリダ・ヘビー級王座:1回
  • OWFヘビー級王座:1回

入場テーマ曲

脚注

テンプレート:Reflist

外部リンク

  • アニマル・ウォリアー、アンドリュー・ウィリアム・ライト『ロード・ウォリアーズ 破滅と絶頂』P34(2011年、東邦出版、ISBN 4809409511)