シテ島
テンプレート:Infobox シテ島(-とう; Île de la Cité)は、サン=ルイ島と並ぶ、パリの中心部を流れるセーヌ川の中州である。パリ市内で最も古い歴史をもつパリ1区及び4区に属し、“パリ発祥の地”とも称される。ユリウス・カエサルの『ガリア戦記』では、すでに紀元前1世紀にパリシイ族 (Parisii) が住んでいたことが述べられている。
歴史
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9世紀のシテ島の地図
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14世紀のシテ宮(現在のパレ・ド・ジュスティス (パリ))
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1550年のシテ島
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1590年または1593年のシテ島(右側)。この頃には既に相当都市化が進んでいた。この絵画はカルナヴァレ美術館に収蔵されている。
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1739年頃のシテ島
- Plan et description du quartier de la Cité, avec ses rues et ses limites, par Jean-Baptiste Scotin (1678-?).jpeg
18世紀のシテ島
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現在のシテ島
名所
以下の3つの中世建築物が、今もなおシテ島に残されている。
シテ島の交通
橋
シテ島は、セーヌ川右岸(北側)とは4本、左岸(南側)とは5本、隣のサン=ルイ島とは1本の橋で接続されている。このうち最も古い橋が島の西端に架かるポンヌフ(“新しい橋”の意)で、シテ島に架かる橋として唯一、右岸から左岸へと渡る一本の橋となっている。
鉄道
その他
シテ島にはノートルダム大聖堂とその向かいにパリ警視庁があり、その脇にオテル・デュー・ド・パリがある。文字通り訳せば、「パリの神の館」になるが、パリ市民病院のこと。旅の病人を宿泊させ、病になれば看病した教会、巡礼教会からの発展の名残である。近代外科医学の開拓者で、床屋医者の出身でもある外科医アンブロワーズ・パレが勤務していた病院としてもその名が知られている。
また、この島はとても狭いので、ここの住民たちは夜も一定の時間を過ぎるとトイレの水は流さない等、互いに気配りしつつ一緒に住んでいくことの不便さを味わってきた。ここから「シテ島に住む者」を表す古仏語 citeain (現代仏語シトワイヤン citoyan 、現代英語シティズン citizen)の意味が転じ、市民という言葉が成立したという(仏語 cité は英語の city に相当する)。
ギャラリー
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ヴェール=ギャラン小公園
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シテ島西端の建物
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西端のヴェール=ギャラン小公園
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- Palais de Justice côté Seine DSC 4396.JPG
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アルレー通り近くのパレ・ド・ジュスティス (パリ)
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サント・シャペル内部
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- Palais de Justice de Paris DSC 4367.JPG
パレ・ド・ジュスティス (パリ)の正面"cour du Mai"
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シテ島内の建物
- Statue of Henri IV - Pont Neuf, Paris, France.JPG
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- Hotel-Dieu de Paris (2007).jpg