コミュニティ・ストア

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テンプレート:Infobox コミュニティ・ストア(COMMUNITY STORE)は、国分グローサーズチェーン株式会社が運営する日本コンビニエンスストアチェーンである。関東東海関西地方を中心に、314店店舗(2012年12月末時点)を展開している。

概要

同チェーンの前身は、国分株式会社が取引先酒販店の経営支援を狙って結成したボランタリー・チェーン(VC)である。そのため、酒販店から業態転換した加盟店が多く、それぞれが酒販店時代からの固定客を抱えており、同チェーンは他チェーンよりも客の年齢層が高くなっている(2004年時点)[1]。1999年(平成11年)からは一部店舗でデリバリーサービス「親切・ふれあい便」を開始したが、これには旧酒販店の人脈と御用聞きの経験を生かす狙いがあった[2]

同チェーンでは、VCとフランチャイズ・チェーン(FC)の長所だけを組み合わせた[3]とする「ニューコンビニエンスシステム[4]を標榜している。大手コンビニエンスストアチェーンの多くが

  • オープンアカウント制(加盟店は売上の全額を本部に送金し、会計処理を本部に任せる)
  • 粗利分配方式(加盟店の粗利[5]のうち一定割合をロイヤルティとして本部に支払う)

といった仕組みを採っているのに対し、コミュニティ・ストアはこれらを採用していない。加盟店は仕入代金、ロイヤルティ等だけを本部へ送金すれば良く、またロイヤルティは売上や粗利に関係なく定額となっているなど、VC的な契約内容が盛り込まれている[6]。一方で、品揃え、情報システムなどのチェーンオペレーションは、FC制の他チェーンと同様に本部主導で統一されている[7]

歴史

1977年(昭和52年)、国分株式会社によりボランタリー・チェーン「国分グローサーズチェーン・アライアンス(KGCA)」が結成された。1992年(平成4年)7月時点では、北海道から九州にかけての広い地域で国分株式会社が本部となっていたものの

  • 株式会社丸ヨ岡田(北海道国分株式会社の前身企業の一つ) - 旭川本部
  • 宮本商産株式会社(後に同社の卸事業は北海道国分へ引き継がれる) - 帯広本部
  • 合名会社畠兵商店 - 能代本部
  • 合資会社月の友酒店 - 茨城本部
  • 株式会社河安(カワヤス国分株式会社の母体となった企業) - 岐阜本部
  • 株式会社井阪商店(後に三重国分株式会社へ営業を統合される) - 三重本部
  • 渡弥 - 福井本部
  • 香川流通株式会社 - 香川本部

といった提携業者もKGCAに加盟し、それぞれ地区本部業務を行なっていた[8]。1993年(平成5年)2月時点でKGCAは、

  • コンビニ型店舗「コミュニティ・ストア」720店
  • リカー&バラエティーと称する酒類専門店「タウンショップ」250店

という2種類の店舗を展開し、合わせて970店を有していたが、当時は各店の内外装も統一されておらず、POSネットワークも整備されていなかった[9]

1994年(平成6年)に国分株式会社は新会社「国分グローサーズチェーン株式会社」を設立し、各地区本部を順次、新会社へと統合するとともに、「ニューコンビニエンスシステム[4]」を標榜し

  • チェーンオペレーションの統一
  • POS、受発注、検品など新情報システムの導入
  • 店主・従業員研修体制の確立

などを推し進めた[10]

しかし、旧来の加盟店のうち新システムに移行できない店が脱落したことや、提携卸業者のうち最多の加盟店を持っていた合資会社月の友が1995年(平成7年)に脱退(独立チェーン化)したこともあり、1998年(平成10年)3月時点での加盟店数は690店[3]に減少。以後も店舗数減少に歯止めがかかっておらず、現在の営業地域は関東、東海、関西地方にほぼ絞られている。

2011年には、京王ストアと共同で京王線つつじヶ丘駅構内に「京王ストアエクスプレスwithコミュニティ・ストアつつじヶ丘店」をオープンした[11]。このお店の特徴としては生鮮食品厨房で作られた惣菜を販売している[12]

沿革

  • 1977年昭和52年) - 国分株式会社の事業部門としてKGC(国分グローサーズチェーン)首都圏本部が発足する。
  • 1978年(昭和53年) - 東京都渋谷区に1号店を開店する。
  • 1988年(昭和63年)11月 - 東北本部の第1号店、「同中勇分店」開店。
  • 1990年平成2年) - 首都圏以外の地区本部が発足する。
  • 1993年(平成5年)3月31日 - 持ち帰り弁当とCVSの複合店「コミュニティストアきよむら」開店。
  • 1993年(平成5年) - 帯広本部であった宮本商産株式会社がチェーンから脱退し、同地区は国分株式会社直轄となる。
  • 1995年(平成7年)1月1日 - 国分株式会社からKGC首都圏本部が分社独立し、子会社「国分グローサーズチェーン株式会社」となる。
  • 1995年(平成7年) - 茨城本部であった合資会社月の友が加盟店とともにチェーンから脱退し「モンペリ」の店名で独自のチェーン展開を始める。
  • 1997年(平成9年) - 公共料金収納代行サービスを開始する。
  • 同年 - 岐阜本部であった株式会社河安と、三重本部であった株式会社井阪商店がチェーンから脱退し、両地区は国分株式会社直轄となる。
  • 1998年(平成10年) - 国分株式会社直轄の地区本部すべてが、国分グローサーズチェーン株式会社に移管される。
  • 同年 - 旭川本部であった旭川国分株式会社(株式会社丸ヨ岡田より営業を継承)が、加盟店とともにチェーンから脱退する。
  • 同年 - エムエムチェーン株式会社(後述)と業務提携する。のちに同社の加盟店を国分グローサーズチェーン株式会社が引き継ぐ。
  • 1999年(平成11年) - 一部店舗でデリバリーサービス「親切・ふれあい便」を開始する。
  • 2000年(平成12年) - 香川本部であった香川流通株式会社から、加盟店と本部業務を国分グローサーズチェーン株式会社が引き継ぐ。これにより、すべての地区本部が同社へ統合された。
  • 2011年(平成24年) - 京王線つつじヶ丘駅構内に京王ストアと共同で「京王ストアエクスプレスwithコミュニティ・ストアつつじヶ丘店」がオープンした。

エムエムチェーン

エムエムチェーンは、かつて神奈川県を中心にコンビニエンスストア「コンビニマート」を展開していたボランタリー・チェーン。神奈川県相模原市食品卸業者、水谷商事株式会社(東京国分株式会社の前身企業の一つ)が主宰していた。加盟店には酒販店が多かった[13]

1983年(昭和58年)「エムエムチェーン協同組合」として結成され、最盛期には108店舗を擁していた[14]が、加盟店の廃業や大手チェーンへの鞍替えなどで店舗数は減少に転じた。85店舗[13]となった1996年(平成8年)には、体制強化を狙って本部を改組し「エムエムチェーン株式会社」とした[15]。35店舗となった1998年(平成10年)には、国分グローサーズチェーン株式会社との業務提携に踏み切り、同年6月より物流、POSなどのシステムを順次コミュニティ・ストアのシステムに一本化していった[16]。のちに、すべての加盟店がコミュニティ・ストアへと移籍している[17]

脚注

テンプレート:脚注ヘルプ テンプレート:Reflist

関連項目

外部リンク

テンプレート:日本の大手コンビニエンスストア

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  1. 『日本食糧新聞』2004年8月11日より。
  2. 『日本食糧新聞』1999年3月29日より。
  3. 3.0 3.1 『流通サービス新聞』1998年(平成10年)3月20日 5面より。
  4. 4.0 4.1 当初は「限りなくFCに近い超ボランタリー」と称していた。
  5. ただし粗利の算定方法は一般的な売上総利益の算定方法と大きく異なる。
  6. 国分グローサーズチェーン株式会社テンプレート:PDFlink、社団法人日本フランチャイズチェーン協会、2008年より
  7. 『日本工業新聞』1997年11月19日 27面より。
  8. 『日本食糧新聞』1992年7月8日より。
  9. 『流通サービス新聞』1993年2月23日 5面より。
  10. 『日本食糧新聞』1995年7月29日、1997年4月2日より。
  11. 『日本食糧新聞』 2011年12月14日 国分グローサーズチェーン、京王ストアと共同で駅に生鮮コンビニ出店
  12. 【京王ストア】 生鮮コンビニ多店舗化へ、2号店を駅構内に出店 DFオンライン 2012年11月15日
  13. 13.0 13.1 『日本食糧新聞』1996年8月19日より。
  14. 『日本食糧新聞』1998年3月30日より。
  15. 『日本食糧新聞』1996年11月18日より。なお、この記事ではエムエムチェーン店舗数を42店舗としている。
  16. 『日本食糧新聞』1998年7月13日より。
  17. 『日本食糧新聞』2002年9月30日より。