クイズ日本昔がおもしろい
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『クイズ日本昔がおもしろい』(クイズにっぽんむかしがおもしろい)は、1988年4月7日から1991年3月28日までTBS系列局で放送されたTBS製作のクイズ番組。放送時間は毎週木曜 19:30 - 20:00 (JST) 。
概要
日本国内の歴史に関する様々なクイズを出題。後期には各地方の風土も取り混ぜた番組構成だった。家庭用品メーカー・サンスターの一社提供番組で、後継番組『仰天!くらべるトラベル』もサンスターの一社提供番組だった。
出演者
司会
レギュラー解答者
前期(愛川時代)
後期(逸見時代)
ナレーター
クイズの進行
前期(愛川時代)
- 愛川時代の特徴としては、番組自体はよく言えば落ち着いた感じ、悪く言えば地味なフォーマットだった。前期前半(A)と前期後半(B)に分ける事が出来る。前期前半のリニューアルとして前期後半の形に移行して、逸見時代へ受け継がれる形となる。
- 前期前半は、2人1組の4チームが筆記問題に解答する。解答者は正解への自信に応じて、得点が2倍になるゴールドカードの解答フリップを使用できる(1枚のみ)。(→A)
- 前期後半には、逸見期に引き継がれた100点分割方式の得点方法が採用され、正解者数で均等分割された。ただし、最終問題は100点のままで倍にはならなかった。(→B)
後期(逸見時代)
- 愛川時代からベースフォーマットは受け継ぎながら、完全リニューアルをした。テコ入れとしては、最初の「○×ごあいさつ」や最終問題における得点の倍加算等に手を加えた。セット自体も赤を基調とした格子のもので、愛川時代と比べて華やかなデザインとなる。
- レギュラー4名+ゲスト解答者1名の計5人の個人戦は愛川期から引き継がれる。得点も100点を正解者数に応じて分割する方式は変わらない。加算方法は、1人だけが正解ならば100点、2人正解で50点、3人では33点…となる。最終問題は200点からの分割となる。(1時間の特番では300点になる時もあった。)ただし、まれに逸見時代に限り、解答根拠や解答の微妙な違いで、分割ウェイトを変えていた事(例えば2人正解でも微妙に違いがあった場合は、より近い方に60点、そしてもう1人に40点)もあった。
- 第1問は「○×ごあいさつ」として、○×問題が1問出題され、正解で得点を分割獲得することができた。(但し、初期は正解者の人数に関わらず一律20点だった。)なお、『新装開店スペシャル』の際に数問出題され、この際に10点の加点であった。
- この時、愛川時代には無かった“シンキングタイム”というコールや出題後にCMへ入る時の“シンキングタイム&コマーシャル”というコールを使い始めた。
- 逸見は、問題の解答を問題出題中に2回言ってしまい、その問題がボツとなるハプニングがあった。このため、代わりに同点決勝問題が使われた。
- 逸見が初回の『新装開店スペシャル』の際、「正解でも根拠がトンチンカンであった場合は得点を引きますから。私は愛川欽也さんではありません」と言っていたが、解答判定は甘かったという指摘もされている。
- 森口博子が珍回答をした場合、説明も良く分からなかった場合は逸見は「ハイ、ご苦労さん!」と言って次の回答者の方に行ってしまうのがお約束となっていた。
- 他にもシンキングタイム前の回答者からの質問に答えられない場合に逸見は「ひみーつ!!」と言うのもお約束となっていた。
- 逸見時代になると『クイズ 日本昔がおもしろい〜全国縦断!!秋の特大号〜』等と称し、1時間の期首特番を組んでいた。また、『クイズまるごと大集合』に逸見自身が解答者や出題者として参加していた。
備考
- TBSでのサンスターの一社提供番組は、塩野義製薬と業務提携していた時代の1967年11月から同年12月に放送の『コンビでいこう!』(水曜 19:30 - 20:00)以来約21年ぶり。ただし、この番組は当時ネットしていた朝日放送(ABC)製作だったため、TBS製作としては1964年から1966年放送の海外アニメ『トムとジェリー』以来実に22年ぶりだった。
- 逸見政孝がフジテレビを退社して初めて司会を務めたTBSのクイズ番組だった。
- 最終回のテーマは、「終わり=尾張」に因んで「名古屋」だった。なお、1985年6月終了の『SHARPワールドクイズ・カンカンガク学』(日本テレビ)の最終回のテーマも「名古屋」だった。
- 愛媛県では当時TBS系とのクロスネット状態だった南海放送(日本テレビ系)で日曜正午から3日遅れで時差ネットしていた(あいテレビ開局前)。