あんたがたどこさ

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あんたがたどこさは、童歌(わらべうた)の中の手鞠歌のひとつ。熊本県熊本市(異説 埼玉県川越市)が舞台。正式な題名は肥後手まり唄

歌詞

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エビをかたどった船場橋の橋柱燈
あんたがたどこさ 肥後さ 肥後どこさ(もしくは「肥後もっこさ」) 熊本さ 熊本どこさ 船場(せんば)さ
船場山にはがおってさ それを猟師鉄砲で撃ってさ 煮てさ 焼いてさ 食ってさ それを木の葉でちょいと隠(かぶ)せ

あまり知られていないが、もう一つある。

あんたがたどこさ 肥後さ 肥後どこさ 熊本さ 熊本どこさ 船場さ
船場川にはえびさがおってさ それを漁師が網さで捕ってさ 煮てさ 焼いてさ 食ってさ

また、九州では「それを木の葉でちょいと隠(かぶ)せ」ではなく、「うまさのさっさ」になっている場合が多々あり、実際、歌の舞台となっている船場橋(路面電車の駅名としては洗馬橋の漢字表記となっている)一帯でも「うまさのさっさ」の歌詞で広く伝わっているため、こちらが原型であるという説もある。

この歌詞でまりつきをする時は、歌詞の「さ」でまりをついた手とまりの間に足を通す。また、最後の「隠せ」ではまりを袴で覆ってしゃがむ。まりが袴から転がり出してしまったら失敗となる。和服を着ていなければスカートで代えることができるが、ズボンではこれが出来ない。

異説

あんたがたどこさ関東地方童歌とする資料・研究が多方面からなされている。実際、唄われている歌詞は熊本弁ではなく完全な関東方言である、と古くから研究者の指摘が多い。熊本のことが触れられているだけで、熊本で生まれた童歌ではない、とする熊本の研究家も少なからずいる。

この童歌の発祥地は、武蔵国川越藩埼玉県川越市)とする説である[1][2]

あんたがたどこさのような「問答歌」は、幕末から明治時代初期に生まれた手鞠歌の形式である。

史実として戊辰戦争時に、薩長軍が東征軍として彰義隊の残党である振武隊を追って川越城に進駐し、城に隣接する仙波山に駐屯していた。仙波山とは仙波古墳群のある周辺一帯の別名である(熊本には船場川はあっても船場山や仙波山という地はない)。仙波山付近の子供たちが兵士にどこからきたのか尋ね、熊本藩出身の兵士が答える様子が歌詞に描かれているという。「肥後どこさ 熊本さ」という問答は肥後(熊本)に不案内な関東だからあり得る会話で、官軍に帰順した川越藩の子供たちが立派な銃を所持している官軍兵士のご機嫌を取っている場面が唄われている、などの説である。

川越の仙波山は、「古狸」と呼ばれた江戸幕府開祖の徳川家康を祀る「日本三大東照宮」のひとつ、仙波東照宮がある。

あんどこゲーム

この手鞠歌を題材としたゲーム。 2001年にテレビ「伊東家の食卓」内のコーナー「大発見」で紹介され、当時の一部の小中学生の間で流行した(小中学校の中には、教室の床材として木を正方形に区切った物を使用している教室もあり、前述のフィールドが用意しやすい学校があった)。

まず、一辺が2メートル弱の正方形のフィールドを用意し、そこを十字で区切る(区切る線の太さは5センチメートル程度。以後区切られた4区分を、左前、右前、左後ろ、右後ろと呼ぶ)。区切られたフィールドの左後ろに立ち、上述の歌(上のほう)を歌いながらリズムを取って、区分線を飛び越えて左後ろと右後ろを交互に移動(ジャンプ)する。歌詞中に「さ」が出てきた時は区分線を飛び越え前の区分に飛び、次のリズムで後ろに戻る。

(左後ろから始めて)「あんた(右後ろ)・がた(左後ろ)・どこ(右後ろ)・さ(右前)・ひご(右後ろ)・さ(右前)・ひご(右後ろ)・どこ(左後ろ)・さ(左前)…」といった具合に足を動かし移動する。

歌が歌い終わるまで足の運びを間違えなければ成功。

関連項目

  • 洗馬橋停留場 - 歌の舞台となったといわれる船場町の近くにある。また、電車接近時にこの曲のインストが流れる。
  • デンセンマン - 『電線音頭』に「それを猟師が〜」以下のフレーズが使われている。

脚注

  1. 熊本の歌資料編
  2. 太田信一郎『童歌を訪ねて』富士出版、昭和63年
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