テリーとうえちゃんのってけラジオ
テリーとうえちゃんのってけラジオは、タレントで演出家のテリー伊藤(テリー)と、ニッポン放送アナウンサーの上柳昌彦(当時の表記は平仮名の「うえやなぎまさひこ」、うえちゃん)がパーソナリティを務めていたニッポン放送のラジオ番組である。4年半放送され、全1140回。略称は「のってけ」(テリー&上柳時代を強調する場合は「テリうえ」ともいう。)
目次
概要
ニッポン放送はかつて「いまに哲夫の歌謡パレードニッポン」で同時間帯トップの座にあったが、1987年に文化放送が「吉田照美のやる気MANMAN!」をスタートさせるとその座を脅かされるようになった。
そこで1993年に「歌謡パレード」を終了して早朝番組で人気を博していた塚越孝アナウンサーを投入したものの内容がマンネリ化してしまい「やるMAN」に形勢逆転を許す結果になってしまった。そこで当番組の放送1年前からは塚越に代えてテリーを起用し「のってけテリー!渚の青春花吹雪」を開始した。しかし当時のテリーはまだ若干毒が強く過激な喋りと奇抜な番組スタイルが目立ち、塚越に比べると同時間帯の聴取者が付いていきづらく、思うように立て直しできなかった。
一方で当時まさに全盛の「やるMAN」の勢いは誰にも止められずにいたことから、同局のエース格であり照美とも何かと比較される存在でありながら、当時はかつての若年層向けパーソナリティのイメージが抜けて温存していた格好(聴取率争いがそれほど激しくなかった土曜午前枠とナイターオフの平日夜間枠が主戦場だった)の上柳に白羽の矢が立てられ、テリーと同格でコンビを組ませることで「やるMAN」と真正面から勝負ができる、これまでになかった番組の誕生を狙った。
「のってけラジオ」とは、「のってけテリー!渚の青春花吹雪」の「のってけ」を上柳がパーソナリティを務めていた「うえちゃんの花の土曜日おっかけラジオ」「うえちゃんのおっかけラジオ ヨッ!お疲れさん」の「○○ラジオ」の型式に当てはめたもので、テリーと上柳のツートップ体勢で取り組む姿勢を示したものである。
キャッチフレーズは「男2人でやってます」。当時、朝や昼の時間に、男性2人だけのパーソナリティといったラジオ番組は珍しく(たいていは男女コンビ)、そのスタイルは、文化放送の「陳平&寺ちゃんのハッピートゥモロー」にも影響を与えた。[1]
また、コンセプトは「得意先回りの営業マンが、営業車で、缶コーヒー片手に聞くラジオ」。
前番組では時報後にテリーとアシスタント役の女性アナが挨拶もなく延々と10分近くトークを繰り広げ、最後に番組タイトルのジングルが流れるという異色のオープニングだったが、当番組になってから頭のテリーと上柳のトークは5分程度に抑えられ、上柳、テリーの順に挨拶してから上柳が「3時間(2時間半)の生放送です、男2人でやってます、のってけラジオ始まるよ!」とコールするとテーマソングが流れ、それをBGMにテリーと上柳が近々のニュースを題材にトークする、というオーソドックスなものになった(このフォーマットは「やるMAN」の影響を受けている)。
テリーはベテランで自ら進行の主導権もとれる上柳とコンビを組んだことで適度に毒が抜け、かえってテリー自身の個性的なキャラクターが好意的に引き出された。また上柳も個性の強かったテリー相手に圧倒されることなく堂々と番組を仕切ったことで、平日帯ワイドの番組でも十分勝負できる信頼感を得るに至った。
これによりテリー・上柳のコンビは吉田照美・小俣雅子コンビとも堂々勝負でき、一時は「やるMAN」に勝利を収めるほどとなった(のちに「やるMAN」は、上柳卒業後の「のってけ」に引導を渡される形で放送終了に至った)。
また後述のとおり上柳が番組を降板してテリーが再び一人で進行の主導権を握らなければならなくなった後も、この上柳とのコンビ時代に培われた経験が功を奏して現在に至るまでのニッポン放送平日午後帯の立て直しに貢献している。
「うえやなぎまさひこのサプライズ!」を担当するため、上柳が番組を降板してからは、小口絵理子(当時)と外回り担当から昇格した垣花正(共にニッポン放送アナウンサー)が加わり、「テリー伊藤のってけラジオ」にタイトルを変更した。
なおその後、上柳はさらに平日早朝の「上柳昌彦のお早うGoodDay!」を経て当番組の時間帯に復帰して「上柳昌彦 ごごばん!」(2014年3月から金曜のみ)を、テリーは「テリー伊藤 サンデーのってけラジオ」を経て金曜16時枠の「テリー伊藤のフライデースクープ そこまで言うか!」を担当しており、当時に比べて規模は小さくなったものの、現在に至るまでこの二人はニッポン放送午後の時間帯で活躍を続けている。
放送時期・放送時間
- 1998年3月30日-2002年9月27日(4年半)
- 1998年3月30日-2001年3月31日
- 2001年4月3日-2002年9月27日
- 後時間番組・鶴光の噂のゴールデンアワーの時間変更に伴い、30分短縮
- 平日 月曜日-金曜日 13:00(1:00)-15:30(3:30)
主な番組コーナーおよび企画
恐怖川柳
- 「日常に起こる恐怖を川柳に」というコンセプトで開始された番組一番の長寿コーナー。
- しかしながら、送られてくる作品は〝恐怖〟の要素を残しつつも、基本的には爆笑ネタである。
- 「テリうえ」時代は、15時台の「テリーにまかせろ!」(火曜)で紹介された。
- なぜか静岡県、茨城県(水海道市)からの投稿が多く、テリーから「これしか娯楽がない」などと、散々に扱き下ろされていた。
- また都内からの場合は高級住宅地(成城、高輪など)からの投稿が多く、こちらには上柳から「そんな良い所に住んでて、恐怖川柳考えてる場合じゃないだろ!」などとツッコミを入れられていた。
- 平日午後の放送であるにもかかわらずこのコーナーにだけ中学生や高校生からの投稿が多く目立ち、春・夏・冬に学校が長期休暇に入る時期が近づくと上柳が「またガキんちょが参入してくる」と頭を抱えるのがお約束だった。
- 年明け第一回の放送では、「ちょっと気になるのってけテレフォン」のテーマが「恐怖川柳 歌会始」となり、レギュラー以外に電話投稿で恐怖川柳を受け付けたことがある。
- 詠み人は専らテリーであり、テリーが番組を休んだ際にピンチヒッターの川野良子アナが詠み人を務めたことがある。
- 上柳は以前テリーが不在の時の公開放送で詠んだことがあるが、全く盛り上がらずコーナーが終了してしまった。
番組出演最終回でテリーが「サプライズ!」にも恐怖川柳を送らせようとリスナーを煽ったが、上柳はこの件を引き合いに出して「オレは本当に恐怖川柳詠むの下手なんです!」「トラウマなんですよ!!」「(件の公開放送の際に)誰も笑わなかった!!!」などと(語気を強めて)発言し拒絶した。- 後に「お早うGoodDay!」でもリスナーから「リレー川柳コーナーを作ったらどうか」と持ち掛けられ、アシスタントの石川みゆきが乗り気になったものの、上柳は「僕は川柳を詠むのが本当に苦手」と語ってやんわりと断っている。
- 上柳は以前テリーが不在の時の公開放送で詠んだことがあるが、全く盛り上がらずコーナーが終了してしまった。
- 後に週刊漫画サンデーで連載されるようになったが、番組本としては扶桑社から出版された。
- その後、2009年4月まで「テリー伊藤 のってけラジオ」→「テリーとたい平 のってけラジオ」でコーナーが続けられた。また、「テリー伊藤 サンデーのってけラジオ」でも最末期にレギュラーコーナーとして復活を果たした事があった。
- ソーシャルゲーム「オールナイトニッポンを作ろう」でも夏休み限定企画として復活し、利用者に投稿を募集した事があった。
情報屋のゲンさん
- 初期の頃、毎週金曜に電話出演していた謎の男。巨人軍の裏情報などを語っていた。のちに冠二郎が歌うイメージソング「愛しき人よ」も作られた。
- 直後に松本秀夫が中継で登場するため、当初から「正体は松本アナなんでしょ?」とリスナーにバレていた。
- その後正体をごまかすため、『愛しき人よ』リリース前後の公開放送の際に、ゲンさんが近くに来ているという触れ込みで、黒づくめの服装の男(おそらく影武者)を会場付近に配置して、テリーと上柳に見つけさせるという演出が行われた。
祝!ジャイアンツ優勝ちょうちん行列
1998年に発売した、テリー伊藤の著書「君は長嶋茂雄と死ねるか」で「巨人軍が優勝したら、東京ドーム23番ゲートに集い、長嶋茂雄の自宅までちょうちん行列をしよう」と記述(結局1999年は中日ドラゴンズが優勝)。2000年、巨人が優勝し、その年の11月6日に、コースは駒沢オリンピック公園から巨人軍のグラウンドがあった多摩川まで、リスナーから選ばれた1000人と一緒に実施。ゴールの多摩川で、長嶋監督が登場した。
タイムテーブル
- 放送初期
- 13:00 オープニング
- 13:15 ニュース
- 13:18 ちょっと気になるのってけテレフォン
- 13:28 交通情報
- 13:30 のってけテレフォン その2
- 13:35 のってけリビング
- 13:45 天気予報
- 13:47 ハロー埼玉
- 13:55 のってけテレフォン その3
- 14:00 2時のオープニング
- 14:03 たよりになります
- 14:10 ニュース
- 14:15 噂にのってけ(ゲストコーナー)
- 14:28 交通情報
- 14:32 もっと噂にのってけ(ゲストコーナー その2)
- 14:38 ニッポン放送がやってきた!
- 14:46 ハロー神奈川
- 14:50 天気予報
- 14:52 交通情報
- 14:55 ニッポン放送がやってきた! その2
- 15:00 3時のオープニング
- 15:10 テリーにまかせろ!
- 月:天才タイアッパー
- 火:恐怖川柳
- 水:のってけダジャレなぞなぞ
- 木:?
- 金:私の二階堂達也(妄想ネタ)
- 15:20 天気予報
- 15:23 ロッテ街かどインフォメーション
- 15:30 のってけリビングアンコール~あの一曲 呼び込み
- 15:40 竹村健一のずばりジャーナル
- 15:47 サッポロビールあの一曲 → 出光のってけステーション あの一曲
- 15:53 交通情報
- 15:56 エンディング
- 後番組・テリー伊藤のってけラジオに続投したコーナー
- (のってけテレフォン→)ファイト!クイズ私のハプニング(事実上のリニューアル)
- (のってけリビング→)ハローリビング
- ロッテ街かどインフォメーション
- (ニッポン放送がやってきた!→)ジャックスプレゼンツ・ニッポン放送がやってきた!
- ハロー神奈川
- (恐怖川柳→)3時の恐怖川柳(毎日コーナー、2009年終了)・今日の恐怖川柳(毎日コーナー、2006年5月終了)
- (きょうの日が記念日→)出光のってけステーション・きょうの日が記念日
備考
- 放送開始前はこの二人のコンビがうまく機能するか、局側と聴取者の双方に懸念があったらしく、それを逆手にとった形の番宣CMが作られたこともあった。[2]
- 基本的にリスナーへの挨拶は上柳→テリーの順で行われるが、14時台の時報直後のみテリー→上柳の順で挨拶していた。
- エンディング曲は、放送1年目はサザンオールスターズの「わすれじのレイド・バック」、2年目以降ははっぴいえんどの「風をあつめて」が使用された。
- 番組は1998年3月30日にスタートしたものの、上柳の前担当番組だった「うえちゃんのおっかけラジオ ヨッ!お疲れさん」は同年3月31日まで放送されたため、最初の2日間だけ上柳は3時間の「のってけ」が終わった後に1時間40分(「鶴光の噂のゴールデンアワー」の放送時間帯)の休憩を挟んで「ヨッ!お疲れさん」のパーソナリティも務めていた。
- 巨人ファンのテリーらしく、前日の試合に巨人が敗戦するとオープニングトークで怒気を含んだぼやきを連発し、上柳を呆れさせていた[3]。
- テリーは急病で番組を突如欠席することが多かった。
- 一度テリーが前日風邪で寝込んでいたにもかかわらず「風邪を吹っ飛ばすため」と称してオープンカーで爆走した、というエピソードを披露したため上柳が思いっきり呆れ、その後テリーが病欠する度にネタにされた。
番組本
- 「テリーとうえちゃん のってけダジャレなぞなぞ」(扶桑社 ISBN 978-4594028367)
- 「テリーとうえちゃんの恐怖川柳」(扶桑社 ISBN 978-4594029081)
- 「テリーとうえちゃんの恐怖川柳 文庫判」(扶桑社 ISBN 978-4-594-03235-7)
外部リンク
- テリー伊藤のってけラジオ(2010年6月25日終了)
- 上柳昌彦 ごごばん!(現在の番組)
脚注
テンプレート:Reflist- ↑ ただし、ニッポン放送ではこの番組の放送前にも、朝の時間帯で「加トちゃんのラジオでチャッ!チャッ!チャッ!」の加藤茶・桜庭亮平アナのコンビがそれに近い形態をとっていた(もう一人、那須恵理子アナという存在はあったがほぼこの二人が中心で進行していた)。
また野末陳平と寺島尚正(文化放送アナウンサー、寺ちゃん)のコンビにしても、「ハッピートゥモロー」以前に「陳平のトクする11時」で経験済みである。
そもそもこのようなスタイルは昭和40年ごろの『談志・圓鏡歌合戦』での立川談志と月の家圓鏡のコンビによる放送が元祖とされている。 - ↑ 二人のコンビを危ぶむような、女子高生風のやりとりの後で上柳が「本人たちがいちばん不安!」と叫び、増山さやかアナがタイトルと放送開始日をコール、最後にテリーが「大丈夫ですぅ―!!」と叫んでいた。
- ↑ 一方で、上柳はヤクルトファンとして知られているが、この番組においては、そのことをアピールすることは全くといっていいほどなかった。
言うまでもなく、テリーの巨人ファンぶりが凄まじかったためである。