灘五郷
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灘五郷(なだごごう)は、「灘の生一本」で知られる日本酒の生産地。兵庫県神戸市の東灘区・灘区と同県西宮市を合わせた阪神間の地域を指す。酒造りに適した上質の酒米(山田錦)と上質のミネラル水(宮水)が取れ、製品の水上輸送に便利な港があったことから、日本酒の名産地として栄えた。
歴史
かつては伊丹・池田が摂津の代表的な酒どころであった。しかし幕府が江戸に移って以降、当時の技術で品質を落とさずに江戸まで酒を輸送するのには困難がつきまとった。そこで、伊丹・池田よりも輸送所要日数にして2・3日は短縮可能な灘地区が、江戸時代中期以降の上方酒の主流となっていった。また、江戸時代中期には灘では絞油業も栄えて、絞油業を大坂に独占させて江戸への油の一元的供給を図ろうとした江戸幕府と対立したが、後に江戸への直接販売が認められるようになった[1]。
明治期以降、豊かな醸造家は阪神間モダニズム文化の牽引役となった。
灘五郷を本拠地とする酒造メーカーのほか、各地の酒造メーカーの進出も多く、京都の松竹梅、滋賀の道灌なども灘五郷にも工場を置いている。かつては、京都の月桂冠、伊丹市の白雪、和歌山の世界一統なども工場を置いていた。また、忠勇、富貴、富久娘、福徳長など非関西資本の傘下に入ったところもある。
阪神・淡路大震災では、白壁土蔵造りの酒蔵、赤煉瓦の酒蔵など伝統的な景観が大いに損なわれた。震災後、中小蔵元の廃業も見られた。
とはいえ、多くの有名メーカーが軒を連ね、日本一の酒造業地帯であることに変わりはない。仕込みの時期には新酒の香りも漂い、それが環境省のかおり風景100選にも選ばれた。
江戸前期までの灘目三郷
江戸時代の灘五郷
- 今津郷:現在の兵庫県西宮市今津地区
- 東郷(魚崎郷):現在の兵庫県神戸市東灘区魚崎・本庄地区
- 中郷(御影郷):現在の兵庫県神戸市東灘区御影地区
- 西郷:現在の兵庫県神戸市灘区西郷地区
- 下灘郷:現在の兵庫県神戸市中央区ならびに兵庫区
明治中期以降の灘五郷
括弧で区切ったものは廃業した蔵である。
- 今津郷:現在の兵庫県西宮市今津地区
- 西宮郷:現在の兵庫県西宮市浜脇・用海地区
- 魚崎郷:現在の兵庫県神戸市東灘区魚崎・本庄地区
- 御影郷:現在の兵庫県神戸市東灘区御影地区
- 西郷:現在の兵庫県神戸市灘区西郷地区
灘五郷にある日本酒をテーマとする施設・博物館
- 白鹿記念酒造博物館(兵庫県西宮市)
- 白鷹禄水苑(西宮市)
- 日本盛酒蔵通り煉瓦館(西宮市)
- 白鶴酒造資料館(兵庫県神戸市東灘区)
- 神戸酒心館(神戸市東灘区)
- 菊正宗酒造記念館(神戸市東灘区)
- 浜福鶴吟醸工房(神戸市東灘区)
- 櫻正宗記念館櫻宴(神戸市東灘区)
- 酒匠館(神戸市東灘区)
- 沢の鶴資料館(兵庫県神戸市灘区)
脚注
関連項目
外部リンク
テンプレート:Asboxテンプレート:Sake-stub- ↑ 津田秀夫「油江戸積み禁止令」/高尾一彦「油絞運上」(『国史大辞典 1』(吉川弘文館、1979年)および藪田貫「油仕法」(『日本歴史大事典 1』(小学館、2000年)