筑摩書房

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テンプレート:Infobox 筑摩書房(ちくましょぼう)は、日本の大手出版社。筑摩書房のマーク(空を截る鷹)のデザインは青山二郎作。

文学者を中心に個人全集は、増補改訂し繰り返し刊行するので、「全集の筑摩」と称されている。また現在まで古典・現代文の教科書を毎年出版している。なお月刊PR誌に『ちくま』がある。 『世界文学全集』は多くの類書シリーズを刊行する。特に『筑摩世界文学大系』は1971~98年に全91冊を、『世界古典文学全集』は『第1巻. ホメーロス』が、1964年に発刊以来、数度新版を刊行し、丸40年を経て2004年5月に、54冊目『第17巻 老子・荘子』が刊行完結した。 再建以降のヒット作としては、「ちくま文学の森」(1988年)、赤瀬川原平「老人力」(1998年)などがある。

沿革

倒産・再建について

2007年平成19年)3月、出版関係者の集いの『本の会』主催の講演会(東京・文京区本郷)にて、社長の菊池明郎(倒産時は入社7年目の営業マン)が、『筑摩書房はどのようにして復活したのか、倒産30年の軌跡』で詳細な経緯を語った。

  • 「損をしてもいいから、良い本を出そう」が創業精神であったため、経営がピンチになるたびに、創業者の古田晁が自分の財産である山林を売って、赤字を補填してきた。
  • 倒産時まで、社長が労働組合を恐れ、ボーナスを大盤振舞いし、放漫経営をしていた。
  • 再建のために、『マーケティング重視への転換。実売率を高めていく』の方針をたてた。
  • まずは、書店からの売上スリップでデータを取り、分析、解析。やがて、POSデータの活用も行った。また、解析のためのシステムの開発も十分に行い、同業他社に比べ、早くから社内LANを導入し、全員がパソコンを持った。埼玉にある倉庫にも無線LANを使い、返品、入庫のデータを飛ばすなどした。
  • ロバート・キヨサキ著『金持ち父さん 貧乏父さん』は、シリーズとして250万部以上が売れるベストセラーになった。

関係者による書籍

  • 菊池明郎『営業と経営から見た筑摩書房 出版人に聞く〈7〉』論創社 2011年、聞き手小田光雄による回想と検証
  • 柏原成光『本とわたしと筑摩書房』パロル舎 2009年
  • 同『黒衣の面目 編集の現場から』風濤社 1997年
倒産・再建の経緯や、関連人物を回想している。
  • 同『友 臼井吉見と古田晃と――出版に情熱を燃やした日々』紅書房 2013年
筑摩書房創立に深い関わりを持つ二人の友情を、青年期から古田の死後まで辿ったドキュメント。
  • 田中達治『どすこい出版流通 筑摩書房「蔵前新刊どすこい」営業部通信 1999-2007』ポット出版、2008年
著者(1950~2007年)は菊池の後任の営業部長で取締役にも就いたが、2007年7月にガンで退任し数か月後に病没した。
著者は専務取締役を経て顧問、多くのマスメディアに登場。詳しい内情が記されているが、柏原や菊池とは(露骨なメディア出演や、出版路線などをめぐり)対立している。
  • (近年の)古田の伝記は、塩澤実信『古田晁伝説 人間ドキュメント』河出書房新社 2003年
  • 創業時の回想などは、臼井吉見編『そのひと ある出版者の肖像』径書房 1980年
    • 元版 井上達三編『回想の古田晁』筑摩書房、1974年 非売品

本社

〒111-8755 東京都台東区蔵前二丁目5番3号

神田神保町の隣の神田小川町に小さな建物の本社があったが、そこを1988年に売却し、蔵前に移転。もとは貸しビルだったが買い取り本社にした。川本三郎がエッセイの中で、編集者たちが神保町という偉大な図書館から離れてしまったために、色々と苦労させられている旨が述べられている。 サービスセンターは、大宮市(現在さいたま市北区櫛引町)にある。物流の拠点で受注・出荷・改装を受け持つ。刊行書籍の奥付に「在庫の問い合わせなどはそちらに連絡して下さい」との、ただし書きがある。なお上尾市に改装センター倉庫がある。

主な書籍シリーズ

休刊・廃刊
  • 筑摩叢書

関連項目

外部リンク