ヨゼフ・ピタウ
ヨゼフ・ピタウ(Joseph Pittau、1928年10月20日 - )は、カトリックの大司教で教育者。
概説
理事長、学長として上智大学発展の基礎を築いたが、ローマに呼び戻され、ローマのグレゴリアン大学学長なども務めた。
1981年にローマに呼び戻されたが、上智大学学長時代は、学内を歩きながら一学生にも流暢な日本語で気軽に声をかける気さくな性格で、学生から厚い信望を集めると同時に、「大学は勉強するところです」と大学の原点を厳しく説き、上智大学の発展に尽くした。大司教、教皇代理補佐なども務めたことから分かるように、ローマ・カトリック教会の重要人物であり、イエズス会の総長、さらにはローマ教皇になるのではと取りざたされたこともある。
略歴
イタリア、サルデーニャ州ヴィッラチードロの生まれ。
1945年にイエズス会に入会した。
1952年に来日し、上智大学と同じくイエズス会が運営する神奈川の栄光学園で教鞭をとった。
1960年に上智大学大学院神学研究科修了。
1963年にハーバード大学大学院政治学研究科を修了、日本の政治史に関する論文で博士号を取得した。
上智大学教授、理事長、学長を歴任している。
1981年、ローマで教皇代理補佐に就任し、以後2004年までローマにいた。
イエズス会総長顧問、教皇庁立グレゴリアン大学学長、教皇庁立科学アカデミー・社会科学アカデミー事務総長等を務め、1998年に大司教に叙階された。
75歳でバチカンを辞し、再来日後、カトリック大船教会協力司祭を務めた。
イタリア語名はジュゼッペ・ピッタウ(Giuseppe Pittau)だが、日本では「ヨゼフ・ピタウ」と名乗った。
学歴
略歴
- 1954-1956年 栄光学園中学校教師
- 1959年 司祭叙階
- 1966年-1981年 上智大学法学部政治学教授
- 1968年-1981年 上智大学学長
- 1981年 イエズス会管区長に就任
- 同年10月 教皇ヨハネ・パウロ2世の要請によりイエズス会本部へ
- 1992年-1998年 教皇庁立グレゴリアン大学学長
- 1997年-1998年 教皇庁立科学アカデミー・ 社会科学アカデミー会長
- 1998年 バチカン教育省局長に就任、およびサルデーニャ教会大司教に叙階
- 2004年 75歳の定年によりバチカンを辞し、再来日
- 2004年-2005年4月 カトリック大船教会協力司祭
エピソード
2006年、文藝春秋の「諸君!」9月号にジャーナリスト細川珠生との対談記事「カトリック大司教、『靖国』と『中国』を語る」が掲載される。聖職者として「死者の政治的利用」に反対し、厳密な政教分離の条件をつけながらも、戦没者慰霊施設としての靖国神社また公人の参拝を容認する見解を示している。
著書
- ヨゼフ・ピタウ『ヨゼフ・ピタウ大司教自伝 イタリアの島から日本へ、そして世界へ A Life Journey』、上智大学出版。
- 聖地アッシジの対話 聖フランチェスコと明恵上人(河合隼雄との共著、藤原書店 ISBN 4-89434-434-3)
外部リンク
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