浦幌駅
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浦幌駅(うらほろえき)は、北海道十勝郡浦幌町本町にある北海道旅客鉄道(JR北海道)根室本線の駅。駅番号はK40。電報略号はウラ。
特急「スーパーおおぞら」2号・11号が停車する。
駅構造
- 2面2線の相対式ホームの地上駅。列車の発着は、上下線とも、基本的に、本線である駅舎側の1番線を使用し、2番線は、列車交換の場合のみ使用される。お互いのホームは跨線橋で連絡している。
- 社員配置駅。みどりの窓口(営業時間7時40分 - 16時30分)設置。
駅名の由来
駅名は、アイヌ語の「オラプ・オロ→オラポロ(山シャクヤクの根がある所)」に由来する。
駅周辺
浦幌町の中心駅。市街地を通るバス路線は2011年(平成23年)4月1日までに全廃されている(浦幌町#バス参照)。
- 北海道道413号浦幌停車場線
- 北海道道56号本別浦幌線、北海道道597号十弗浦幌線
- 浦幌町役場
- 池田警察署浦幌駐在所
- 浦幌郵便局
- 帯広信用金庫浦幌支店
- 浦幌町農業協同組合(JA浦幌町)本所
- 北海道浦幌高等学校
- 国道38号
歴史
- 1903年(明治36年)12月25日 - 北海道官設鉄道の駅として開業。一般駅。釧路機関庫浦幌派出所設置。
- 1904年(明治37年)12月15日 - 釧路機関庫浦幌派出所を池田機関庫扱いに変更。
- 1905年(明治38年)4月1日 - 国有鉄道に編入。
- 1918年(大正7年) - 大和鉱業浦幌炭砿ケナシ坑(常室川流域)より当駅へ馬車鉄道約17km敷設。
- 1922年(大正11年) - 浦幌炭砿休止に伴い馬車鉄道廃止[1]。
- 1933年(昭和8年) - 釧路側約4km地点(常豊信号場手前に相当)から分岐する浦幌炭砿までの専用線敷設工事開始。
- 1936年(昭和11年)頃 - 炭砿専用線敷設工事中止[2]。
- 1938年(昭和13年) - 浦幌炭砿から尺別炭砿側の選炭場へ山越え索道設置、運炭開始。当駅の利用が無くなる[3]。
- 1966年(昭和41年)12月14日 - 跨線橋設置。
- 1978年(昭和53年)11月26日 - 駅舎改築。
- 1982年(昭和57年)9月10日 - 貨物扱い廃止。
- 1984年(昭和59年)2月1日 - 荷物扱い廃止。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR北海道に継承。
隣の駅
関連項目
参考文献
- 北海道旅客鉄道釧路支社編『JR釧路支社 鉄道百年の歩み』(2001年)
- 浦幌町史 昭和46年3月発行。
- 「尺別鉄道 50年の軌跡」 大谷正春著 昭和59年7月 ケーエス興産発行。
- 沿線炭礦要覧 昭和12年2月 札幌鉄道局発行。
- 釧路叢書 第14巻「釧路炭田」昭和49年1月 釧路市発行。
脚注
外部リンク
テンプレート:根室本線2- ↑ 大正11年7月7日に当浦幌炭砿は馬車鉄道から切り替えるため、常室-新浦幌と称する終端駅を持つ鉄道新設、並びに浦幌駅との連絡設備設置の許可を受けているが、結局工事に着手せず、昭和3年6月に免許が失効した。(1928年6月9日付け官報)
- ↑ 大和鉱業経営悪化のため中止となった。このため同線で使用するはずであった昭和10年に購入した国鉄7200形蒸気機関車3両は、浦幌炭砿と共に昭和11年10月19日付けで雄別炭礦鉄道に譲渡され、雄別本線で使用された。
- ↑ それまでは専用道路をトラックにより当駅まで運炭していたが、冬期間の積雪や凍結などで通行不能になることが頻繁だった。炭砿の経営が大和鉱業から雄別炭礦鉄道に移って隣の尺別炭砿と同じ経営者となったため、鉄道のある尺別炭砿まで索道を設けた。しかしこれも冬期間の凍結によりゴンドラ落下などの運用障害がしばしば起きたため、抜本的な解決策として尺別側へ隧道を通して坑内電車軌道により運炭することが計画され、昭和14年9月に工事開始、昭和16年には尺浦通洞と呼ばれる延長約6kmの隧道が完成、軌道敷設及び試運転を経て昭和17年11月より運炭が開始された。