柳家さん喬
柳家 さん喬(やなぎや さんきょう、1948年〈昭和23年〉8月4日 - )は、東京都墨田区本所出身の落語家。落語協会所属。本名は稲葉 稔(いなば みのる)[1]。中央大学附属高等学校卒業。出囃子は「鞍馬獅子」[1]。紋は「丸に三ツ柏」[1]。
「さん喬」の名は、自身で考えた高座名であり、そのことから自身を「初代柳家さん喬」と称している。
なお、「柳家さん喬」は1953年(昭和28年)に死去した柳家小はん(初代、本名:鶴見正四郎)が一時期名乗っていたことのある名でもある。
人物・芸風
「人間国宝」となった5代目柳家小さんの門下。本所に生まれ育ち、歩いて5分のところに大歓楽街「浅草公園六区」があったため、幼少のときから祖父や父に寄席や演芸場に連れていってもらうなど、落語に親しむ環境にあった[2]。
初高座は1968年(昭和43年)12月28日で、場所は日本橋人形町末広の小さん一門会、演目は『道灌』であった[1][注釈 1]。
人情噺の評価が高いが、滑稽噺にも力量を発揮する実力派の噺家である[3]。もっぱら古典落語を演じていたが、近年では、まれに新作落語を演じることもある。得意とする演目は『うどん屋』『井戸の茶碗』『笠碁』『猫の災難』『野ざらし』『片棒』『そば清』『百川』『棒鱈』『幾代餅』『天狗裁き』『柳田格之進』『芝浜』『締め込み』『初天神』『真田小僧』など[2][3][4]。
つやのある声と柔らかな物腰で女性ファンも多く、江戸の四季を色あざやかに浮かび上がらせる情景描写や男女の心理描写に定評がある[3]。また、長屋噺を得意とし、長屋の生活の描写にもすぐれている[3]。
同じ5代目小さん門下の柳家権太楼と親交が深く、よきライバルでもあって、毎年8月の上野の鈴本演芸場や、年末の新宿末広亭における2人の高座は人気を博している。
柳家喬太郎はじめ多数の弟子をかかえている(一覧は後掲)。
2006年(平成18年)から毎年7月に、米国ミドルベリー大学夏期日本語学校に招かれ、落語を通して外国人に日本語と日本文化を紹介する活動を続けている。2007年の秋には、国際交流基金ブダペスト日本文化センター主催の「落語を通じてハンガリー人を笑わせる」試みに協力した[5]。
芸歴・職歴・受賞歴
- 1967年(昭和42年)3月 :5代目柳家小さんに入門。前座名は「小稲」[1]。
- 1972年(昭和47年)11月 :二つ目に昇進し、「さん喬」と改名[1]。
- 1980年(昭和55年)10月 :真打試験合格[1]。
- 1981年(昭和56年)3月 :真打昇進[1]。
- 1984年(昭和59年):国立演芸場金賞受賞[1]。
- 1986年(昭和61年):選抜若手演芸大賞 真打部門大賞受賞[1]。
- 1987年(昭和62年):文化庁芸術祭賞受賞[1]。
- 1994年(平成6年):浅草芸能大賞新人賞受賞[1]。
- 2001年(平成13年):落語協会理事付役員に就任[1]。
- 2006年(平成18年) :落語協会常任理事に就任[1]
- 2013年(平成25年):芸術選奨文部科学大臣賞(大衆芸能部門)受賞[1][6]。
趣味・特技
一門
- 柳家喬太郎
- 6代目柳亭左龍
- 柳家喬之助
- 柳家喬志郎
- 柳家喬之進(現在二つ目)
- 4代目柳家さん弥(現在二つ目)
- 柳家さん若(現在二つ目)
- 柳家喬の字(現在二つ目)
- 柳家小太郎(現在二つ目)
- 柳家小んぶ(現在二つ目)
- 柳家さん坊(現在前座)
脚注
注釈
出典
参考文献
外部リンク
- ↑ 1.00 1.01 1.02 1.03 1.04 1.05 1.06 1.07 1.08 1.09 1.10 1.11 1.12 1.13 1.14 1.15 1.16 1.17 落語協会 芸人紹介「柳家さん喬」
- ↑ 2.0 2.1 2.2 2.3 2.4 『落語のいき 4』(2009)pp.22-23
- ↑ 3.0 3.1 3.2 3.3 『CD付 落語入門』(2008)p.94
- ↑ 『古今東西落語家事典』(1989)
- ↑ をちこちマガジン「落語でハンガリー人がハンガリー人を笑わせる~柳家さん喬師匠、ブタペストに来たる」2014年1月15日閲覧
- ↑ テンプレート:Cite web
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