マルクス兄弟
マルクス兄弟(まるくすきょうだい、マルクス・ブラザース、Marx Brothers) は、アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク市出身のコメディ俳優 。
5人兄弟のうちのチコ、ゼッポ、グルーチョ(グラウチョ)、ハーポの4人を一般にマルクス兄弟と称する。ドイツの経済学者・哲学者であるカール・マルクスとは血縁関係にない。
略歴
生い立ち
ユダヤ系ドイツ移民を両親に持つ。家庭の貧しさのため、学校を中退し、母親のミニーの指導で習い事を覚えたあと、兄弟でヴォードヴィルの旅回りの一座の舞台に立ちアメリカ全土を回る。
メンバー
最初は音楽中心だったが、のちに喜劇を中心に活動。15~20年にわたり巡業を続けるが、その間、兄弟のメンバーはめまぐるしく移り変わり、第一次世界大戦後に、グルーチョ・チコ・ハーポ・ゼッポの四人兄弟が生まれた。
芸名 | 本名 | 生年月日 | 没年月日 | 没年齢 |
---|---|---|---|---|
チコ | レナード (Leonard) |
1887年3月22日 | 1961年10月11日 | 74歳 |
ハーポ | アドルフ(1911年以降はアーサー) (Adolph / Arthur) |
1888年11月23日 | 1964年9月28日 | 75歳 |
グルーチョ | ジュリアス・ヘンリー (Julius Henry) |
1890年10月2日 | 1977年8月19日 | 86歳 |
ガンモ | ミルトン (Milton) |
1892年10月23日 | 1977年4月21日 | 84歳 |
ゼッポ | ハーバート (Herbert) |
1901年2月25日 | 1979年11月30日 | 78歳 |
なお、「グルーチョ」の発音は「グラウチョ」のほうが正確だが、日本では「グルーチョ」で定着している。
映画デビュー
そのうち、彼らの活躍が徐々に認められ、1924年のニューヨーク公演が雑誌『ザ・ニューヨーカー』の批評家アレクサンダー・ウールコットに絶賛されたことで注目される。1925年には『ココナッツ』がロングランとなり、1928年には『けだもの組合』が大当たりとなる。こうして、1929年パラマウント映画社に招かれ、第1作『ココナッツ』で映画デビューする。
スター
続く『けだもの組合』(1930年)・『いんちき商売』(1931年)・『御冗談でショ』(1932年)と立て続けにヒット作を発表、チャールズ・チャップリンやバスター・キートンに代わる新時代の喜劇映画スターとして君臨する。
世代的には、「サイレント・コメディ映画」の喜劇王たちと比較すると、チャップリンと同世代で、キートン、ハロルド・ロイドよりは年上だった。が、映画がトーキーの時代となり、しゃべりと音楽で笑いを取る彼等の出番が来て、ようやく映画が作られるようになった。そのため、映画が作られ始めた時点で彼等の年齢は既に、40代前半から30代後半であった。その(当時としては)高年齢で、あれほどの動きをみせたのは、長年の舞台での修練の賜という他ない。
兄弟が人気絶頂のころ、チャップリンは「せめて君たちのように喋れたらなあ」とグルーチョにこぼしたら「あなたはあれほど稼いで、まだ欲張るのかね」とやり返されたというエピソードが残っている。
舞台時代の演目を映画化したものが多い初期の作品はアメリカの「大不況」の時代でもあり、彼等の過激で狂騒的な笑いは時代に絶望していた庶民を大いに惹きつけた。しかし1934年に公開された『我輩はカモである』はあまりに荒唐無稽すぎて興行的には失敗したため、同作を最後にパラマウント映画から離れMGMに移籍。以降は制作側の意向もあってギャグを減らしストーリー性を重視した作風に変化する。
低迷、解散
だが、彼らをメトロ・ゴールドウィン・メイヤー(MGM)に迎え入れた名プロデューサー、アーヴィング・タルバーグの死後は作品もマンネリ化、人気も凋落して往年の冴えは見られなくなり、第二次世界大戦終結直後の1946年の『マルクス捕物帖』を最後に映画から撤退、コンビも解消する。
ゼッポは、『我輩はカモである』を最後にチームを脱退。兄弟での活動が終了した後、グルーチョはラジオやテレビに活動の場を移す。ハーポとチコも時々、テレビ・バラエティーなどに出演を行った。
評価
ナンセンスでスピーディーなギャグで有名。ハーポの狂奔的な動きと、グルーチョのナンセンスなマシンガントークが最大の売り。「イタリア訛り」でしゃべるチコは、ハーポとコンビでの役柄が多いが、喋らないハーポとグルーチョとの間のコミュニケーション・ギャップの通訳的役割で笑いを取ることも多い。また、ハーポのハープ演奏、チコの「指一本でのピアノ演奏」もウリであった。ちなみに、グルーチョのヒゲは最初は付けヒゲだったが、のちに、黒く塗るようになった。
淀川長治は、マルクス兄弟について「映画ではなく舞台である」と発言しており、実際、彼等の初期の傑作は、舞台でのヴォードヴィル・コメディを、ほぼそのまま映画で再現したものである。ほとんどの作品で、グルーチョの相手役として「裕福な老夫人」役を演じたことで知られる女優マーガレット・デュモンは、「彼等の私生活は、彼等のコメディ同様の大騒ぎだった」と語っている。
影響
日本のコメディアンたちに与えた影響も大きい。横山エンタツなど戦前のコメディアンには、グルーチョの影響を受けた者が多い。浅草の喜劇人で、エンタツと同様、吉本興業(東京吉本)所属の永田キングも、グルーチョの扮装、メイク、動き、レトリックをそっくりそのまま真似て、「和製マルクス」を自称し、主演映画も撮っている。戦後では、ザ・ドリフターズが「偽の鏡」「グルーチョのヒゲと動き」など彼等の芸を一部、オマージュしている。その後「偽の鏡」ははなわ、内藤大助、ザ・たっち、板野友美、山内鈴蘭が真似ている。
アンドレ・ブルトン、サルバドール・ダリを初め、クロード・レヴィ=ストロース、アントナン・アルトーなど思想家達にも愛された。ウディ・アレンやテリー・ギリアムも彼等の大ファンで、多くの作品でマルクス兄弟作品からの引用を行っている。『世界中がアイ・ラヴ・ユー』のラスト・シーンでは、全員がグルーチョのヒゲを付けていた。日本では小林信彦、筒井康隆、立川談志、ケラリーノ・サンドロヴィッチ、いとうせいこう、景山民夫らが熱狂的なファンである。
イギリスのロックバンド、クイーンも4枚目のアルバムを『オペラ座の夜(A Night at the Opera)』、5枚目のアルバムを『華麗なるレース(A Day at the Races)』と、マルクス兄弟の映画のタイトルを題しており、影響がうかがいしれる。
作品リスト
数字は現在発売中のDVDボックス(正規版)[1]の収録巻数(レンタルでは単品で貸し出し中);#は正規版DVD(単品、¥980)で発売中;※は激安DVDで発売中
- 『ココナッツ』The cocoanuts(1929)
- 『けだもの組合』Animal Crackers(1930)
- 『いんちき商売』Monkey Business(1931)
- 『御冗談でショ』Horse Feathers(1932)
- 『我輩はカモである』Duck Soup(1933)※
- 『オペラは踊る』A Night at the Opera(1935)(1)#※
- 『マルクス一番乗り』A Day at the Races(1937)(2)#※
- 『ルーム・サーヴィス』Room Service(1938)(米国版DVDボックスに収録(3a)、日本は未収録)
- 『マルクス兄弟珍サーカス』At the Circus(1939)(3)(米国版は(3b))#
- 『マルクスの二挺拳銃』Go West(1940)(4a)#
- 『マルクス兄弟デパート騒動』The Big Store(1941)(4b)#
- 『マルクス捕物帖』A Night In Casablanca(1946)(5)#※
- 『ラヴ・ハッピー』Love Happy(1949)
4aと4bは大変珍しい両面1層の1枚に纏められた。米国版の3aと3bも同様である。
その他
- ステュアート・カミンスキーのハードボイルド小説「トビー・ピータース・シリーズ」の第三作『我輩はカモじゃない(You Bet Your Life)』では依頼人の設定とされている。
- 原題はグルーチョが1947年から担当した聴取者参加型のラジオ番組のタイトルからで、1950年からはテレビに移り1961年まで放送された。ラジオ時代には三大ネットワークで一度に放送された人気番組だった。
- 非SI接頭辞において10-27、10-30、10-33、10-36、10-39を表す「ハーポ」、「グルーチョ」、「ゼッポ」、「ガンモ」、「チコ」はマルクス兄弟の名から取られている。
参考文献
- ポール・D・ジンマーマン『マルクス兄弟(ブラザーズ)のおかしな世界』中原弓彦・永井淳訳、晶文社、1972年、新版1991年 ISBN 4794958226
- 小林信彦『世界の喜劇人』新潮社〈新潮文庫〉、1983年、ISBN 4101158061
- いとうせいこう監訳『マルクス・ラジオ』角川書店、1995年、ISBN 4048834258
- グルーチョ・マルクス『グルーチョ・マルクスの好色一代記』諸岡敏行訳、青土社、1993年、ISBN 4791752848