金敬姫
テンプレート:政治家 テンプレート:北朝鮮の人物 金 敬姫(キム・ギョンヒ、김 경희、1946年5月30日 - )は、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の政治家。朝鮮労働党中央委員会政治局員、党中央委員会書記局書記。朝鮮人民軍大将。北朝鮮を建国した金日成の娘であり、第2代最高指導者の金正日の妹。第3代最高指導者金正恩の叔母にあたる。
経歴
金日成と金正淑の間に生まれる。金正日の同母妹。本名は「敬子(ギョンジャ)」、光復後「ギョンヒ」に改める。次兄の金万一が溺死したこともあってか、兄の金正日からは溺愛されたといわれている。
夫の張成沢とは金日成総合大学で共に経済学を学んだ事から知り合った。一時期、張成沢の身分が低いことから二人の交際を反対した父・金日成に彼は遠ざけられたが[1]、金正日の取り成しなどで結婚した。
1987年に朝鮮労働党軽工業部長に就任し、1990年以降は最高人民会議の代議員に選出されている。1995年10月に北朝鮮の公式報道に党中央委部長の肩書で登場して以来、13年間にわたり動静が伝えられなかったが、2009年6月8日に朝鮮中央放送などが金正日総書記の平壌音楽大学(김원균평양음악대학)への視察に、夫と共に同行したことを伝えた(視察の日付は不明)。
金正日の後継者として金正恩の名前が取り沙汰されるなか、2010年9月21日には韓国メディアが金敬姫を、金正日の後継者候補として最有力であると報じた[2]。その後9月28日に金正日は金正恩と金敬姫に朝鮮人民軍大将の称号を授けた。同日に開催された第3回党代表者会議で金敬姫は中央委員に選出され、直後の中央委員会総会で政治局員に選出された。
2012年4月11日に開催された第4回党代表者会議で金敬姫は中央委員会書記局書記に選出された。
2013年12月3日に夫・張成沢の失脚が発表され、同月12日に死刑判決を受け即日処刑された[3]。これにより、金敬姫自身も「権力闘争の過程で力を失いつつある」という見方も出ていたが[4]、張成沢失脚後に死亡した金国泰の国葬の葬儀委員に金敬姫が高い序列で名を連ねており、政治的地位を保っていることが確認された[5]。
なお、金正恩の指示により張成沢が処刑される直前に張とは離婚したとの報道もある[6]。夫の処刑後は粛清の対象となったかが注目されていたが、同月14日、朝鮮中央放送による金正日追悼大会争議委員の序列は6位であった[7]。しかし同月17日の金日成追悼大会の生中継にその姿が映ることはなかった[8]。
長年アルコール使用障害に苦しんでいるとされる。張成沢の処刑後の報道では、同年8月より深刻な認知症を患っており、人の見分けができない状態とも言われている[9]。また、夫の処刑されたショックから心臓発作を起こし危篤状態であり、治療のため海外に出国したという情報もある[10]。
2014年1月6日付の朝鮮日報は韓国政府消息筋の話として張成沢の処刑後に自殺若しくは心臓麻痺により死去した可能性があると報じた[11]。また、後の北朝鮮消息筋の情報では、張成沢処刑後に出国し、スイスやポーランドに滞在しているともされる[12]。2月16日に行われた金正日の72回目の誕生日行事(光明星節)には姿を見せなかった[13]。
2014年3月11日に発表された第13期最高人民会議代議員選挙の当選者名簿では、同名の人物の存在から前回選挙では2名分掲載されていた「金敬姫」の名前が1名分しか載せられなかったため、削除された方こそが金敬姫であり、彼女の引退若しくは失脚を示していると分析された[14]。また同年4月9日に開催された第13期最高人民会議第1回会議で、最高幹部が居並ぶ雛壇に登場せず、2月以降に放送されている朝鮮中央テレビの記録映像からも、編集により金敬姫が映っていた映像が削除されているため、金敬姫の引退若しくは失脚がより確実視されている[15]。
家族
- 張成沢 - 夫。(1946年 - 2013年)、2013年12月に党籍剥奪、全勲章を取り消された上で死刑判決を受け即時執行。敬姫とは長い間別居していたとの報道がある。
- 長女:張琴松(チャン・クムソン)(1977年 - 2006年)、フランス留学中に、飲酒後の睡眠薬大量摂取により死亡。