古在由秀
古在 由秀(こざい よしひで、1928年4月1日 - )は、日本の天文学者[1]。専門は、天体力学。最後の東京天文台長・初代国立天文台長である。
経歴
古在由正・澄江夫妻の長男として東京府北豊島郡巣鴨町駒込(現・東京都豊島区駒込)に生まれた[1][2][3]。父・由正は古在由直(農芸化学者)・豊子(清水紫琴及び古在紫琴の筆名で作家として活動した)夫妻の長男で[4]、母・澄江は東洋史学者・幣原坦の次女[4]。従ってマルクス主義哲学者の古在由重は父方の叔父にあたり(由重は由直の次男)[3]、外交官出身の政治家で第44代内閣総理大臣・第40代衆議院議長の幣原喜重郎は母方の大叔父にあたる(喜重郎は坦の弟)[2]。また、父方の従弟に千葉大学学長の古在豊樹(豊樹は由重の息子)が、母方の従弟に弁護士の幣原廣(廣の父・幣原顕は幣原坦の長男で由秀の母・澄江の弟)がおり、古在家と幣原家という2つの名門家系の血を引いている。
1940年、東京府立第十四中学校(後の東京都立石神井中学校、現・東京都立石神井高等学校)に入学[5]。1945年、旧制第一高等学校理科に入学[6]。1948年、東京大学理学部天文学科に入学[7]。大学時代は萩原雄祐の下で天体力学を学んだ[8]。1951年、東京大学理学部天文学科を卒業。東大大学院に進み[9]、大学院で学びながら東京天文台に勤務する[9]。
1952年、東京大学附属東京天文台助手に就任[10][11]。1958年、学位論文「土星の衛星系にかんする研究」で理学博士号を取得。渡米してスミソニアン天体物理観測所及びハーバード大学天文台の客員研究員となった[10][12]。1961年から『理科年表』編集に携わる。1963年、東京大学附属東京天文台助教授に就任[10]。同年朝日賞を受賞[10]。1965年、東京天文台附属人工衛星国内計算施設長に就任[10]。1966年、東京大学附属東京天文台教授に就任[10]。1973年、東京天文台附属堂平観測所長に就任[10]。1979年6月11日、土星衛星、人工衛星及び小惑星の運動の研究により日本学士院賞及び恩賜賞を受賞[10]。1980年、日本学士院会員となる。
1981年、東京大学附属東京天文台長に就任[10][13]。1988年7月東京天文台は緯度観測所・名古屋大学空電研究所第三部門と統合され国立天文台となったため[14]、古在はそのまま初代国立天文台長に就任した。1988年8月、日本人で初めて国際天文学連合 (IAU) 会長に就任[10]。1991年、国際天文学連合を辞任し、1994年、国立天文台長も辞任した[10]。
1997年、群馬県立ぐんま天文台の台長に就任[10]。2002年、秋の叙勲で勲二等瑞宝章を受章[10]。2009年、文化功労者に選ばれた[15][10]。2010年、三鷹市名誉市民に選ばれた[16]。2012年、群馬県立ぐんま天文台名誉台長となった[10]。2014年現在、古在は群馬県立ぐんま天文台名誉台長[10]、東京大学・総合研究大学院大学・国立天文台の各名誉教授でもある。
業績
- 人工衛星の軌道を割り出す「コザイの式」で天体力学の世界的権威として脚光を浴びた。
- 小惑星の運動の力学的研究において著しい業績をあげた。特に小惑星の軌道に関する「古在共鳴」 (Kozai resonance) の発見が良く知られている。
- 天体力学が太陽系の起源の問題にかかわりを持つとの新しい考え方を示した。
- 欧文研究報告 (PASJ) において、ジャッジ制を取り入れるなどの改革を行った。
- 研究所の所長としては、任期制を取る事を提唱し、実際に任期期間で辞任した。
- 天文雑誌『星の手帖』の編集委員及び「星のチロ賞」の選考委員を務めた[17]。
- 東京都三鷹市に本部を置く国立天文台を拠点として国際的な天文学者として活動したことから、三鷹市名誉市民に選ばれた[16]。
系譜
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著書
単著
- 『太陽系・惑星および衛星の運動』(恒星社厚生閣 新天文学講座2 新版 1963年)
- 『天体の軌道計算・摂動の数値計算』(恒星社厚生閣 新天文学講座14 新版 1964年)
- 『地球と月・月の運動』(恒星社厚生閣 新天文学講座3 新版 1965年)
- 『天文学のすすめ』(講談社 講談社現代新書 1966年)
- 『月』(岩波書店 岩波新書 1968年)
- 『地球をはかる』(岩波書店 岩波科学の本 1973年)
- 『ほうき星の話』(NHKブックス・ジュニア 1974年)
- 『十番目の惑星』(講談社 ブルーバックス 1975年)
- 『太陽系の構造と起源・太陽系の構造と惑星、衛星の運動』(恒星社厚生閣 現代天文学講座 1979年)
- 『月と小惑星』(編 恒星社厚生閣 現代天文学講座2 1979年)
- 『天文学者のノート』(文藝春秋 1984年)
- 『天文台からみた世界』(読売新聞社 1990年)
- 『星座・みえてきた宇宙』(作品社 日本の名随筆 1992年)
- 『天文台へ行こう』(岩波書店 岩波ジュニア新書 2005年)
- 『宇宙のしくみ - 特別なことと普通のこと』(高等研選書18)
共著
訳書
脚注
外部リンク
テンプレート:国立天文台長- ↑ 1.0 1.1 交詢社 監修 『日本紳士録 第78版』 交詢社出版局 編集、ぎょうせい 発行、2004年4月5日、こ 436頁。
- ↑ 2.0 2.1 新・未知への群像 古在由秀氏 1
- ↑ 3.0 3.1 新・未知への群像 古在由秀氏 2
- ↑ 4.0 4.1 『昭和人名事典 第4巻 外地・満支・海外篇』 日本図書センター、1987年10月5日、ISBN 4-8205-0696-X、台湾 32頁。
- ↑ 新・未知への群像 古在由秀氏 3
- ↑ 新・未知への群像 古在由秀氏 4
- ↑ 新・未知への群像 古在由秀氏 6
- ↑ 日本の天文学者の系図
- ↑ 9.0 9.1 新・未知への群像 古在由秀氏 7
- ↑ 10.00 10.01 10.02 10.03 10.04 10.05 10.06 10.07 10.08 10.09 10.10 10.11 10.12 10.13 10.14 10.15 職員名簿 - 古在 由秀
- ↑ 新・未知への群像 古在由秀氏 8
- ↑ 新・未知への群像 古在由秀氏 9
- ↑ 新・未知への群像 古在由秀氏 14
- ↑ 歴史 - 国立天文台
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」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません - ↑ 16.0 16.1 初代国立天文台長古在由秀氏が三鷹市名誉市民に! - 国立天文台・天文情報センター・アーカイブ室新聞 第357号(PDFファイル)
- ↑ 藤井旭 著 『星になったチロ』 ポプラ社 ポプラ・ノンフィクション、1984年4月、ISBN 4-591-01422-3、193頁。