永源寺
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テンプレート:日本の寺院 永源寺(えいげんじ)は、滋賀県東近江市にある臨済宗永源寺派の本山。山号は瑞石山。
紅葉の美しさで知られる。開山忌が、毎年10月1日に行われる。
歴史
1361年創建。開山は寂室元光(正灯国師)、開基は佐々木氏頼(六角氏頼)。 中世戦乱期に兵火により衰微したが、江戸時代中期に中興の祖とされる一糸文守(仏頂国師)が住山し、後水尾天皇や東福門院、彦根藩の帰依を受けて、伽藍が再興された。 1873年に明治政府の政策により東福寺派に属したが、1880年に永源寺派として独立した。
三重県いなべ市に永源寺跡があるが、鈴鹿山脈を挟んですぐ東側の三重県いなべ市にも永源寺の一部があったと言われている。三重県いなべ市の伝承では、永禄年間(1558年 - 1570年)織田信長家臣である滝川一益の軍勢が、北伊勢地方の寺を焼き払いながら迫って来たため、三重県側の永源寺の僧は兵火を逃れるため、寺の宝物などを持ち一夜にして竜ヶ岳の南側にある鈴鹿山脈の石榑峠を越えて、近江の永源寺へ逃れたとされているが、永源寺側の記録には一切ふれられていない。[1]。三重県いなべ市の永源寺の建物は滝川一益の軍勢によって焼き払われたが、水田周辺に石垣の一部が残されている[2]。
東近江市永源寺地区は、永源寺コンニャクや政所茶の産地であり、木地師発祥の地として知られる。また付近からは平成22年に国内最古級・1万3千年前の土偶が発掘された。
文化財
- 重要文化財
- 絹本着色地蔵十王像 陸信忠筆
- 絹本着色約翁徳倹像
- 塑造寂室和尚坐像
- 寂室元光墨蹟(風攪飛泉詩)
- 寂室元光墨蹟(遺偈 貞治六年九月一日)
- 寂室元光消息(二月九日華蔵寺宛)
- 寂室元光遺誡
- 開山忌関係文書(一括指定)
- 永源寺開山祭文(貞治六年九月二日)
- 永源寺開山初七日香語(貞治六年九月八日)
- 永源寺開山十三回忌法語(康暦元年九月一日)
- 永源寺開山三十三回忌陞座語並ニ香語(応永六年九月一日)
- 永源寺開山西宋庵入祖堂法語(永和三年季春)
- 永源寺文書 8,747通
- 滋賀県指定文化財
所在地
滋賀県東近江市永源寺高野町41
- 永源寺ダムとは、約1.5km離れている。