根府川駅
テンプレート:駅情報 根府川駅(ねぶかわえき)は、神奈川県小田原市根府川にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)東海道本線の駅である。
関東の駅百選認定駅。
歴史
1896年(明治29年)から1922年(大正11年)までは、人車鉄道・軽便鉄道の豆相人車鉄道(のちの熱海鉄道)も存在していた。同線の「根府川駅」は、当駅よりも高台の位置に設けられていた。
- 1922年(大正11年)12月21日 - 国有鉄道熱海線 国府津駅 - 真鶴駅間の開通と同時に開業。旅客・貨物取扱を開始。
- 1923年(大正12年)9月1日 - 関東大震災により地すべり(土石流ともいわれる)が発生し、当駅に進入中の真鶴行き下り列車(8両編成、乗客約150名)が客車2両を残して駅舎、ホームもろとも海中に没する。列車に乗車していた約110名とホームに居た二十数名の計約130名が死亡した。駅周辺の住民も多数死傷した(根府川駅列車転落事故も参照のこと)。駅構内に残ったのは車止め一つだけだった[1][2]。
- 駅は翌年再建されたが、沖合の海底には当時のプラットホームが横たわっている。ホーム跡は漁礁のようになり、スキューバダイビングの潜水ポイントにもなっている。なお、ホーム跡にある駅名標は後に付けられたものである。
- ホームとともに沈んでいた機関車と客車は1934年(昭和9年)9月23日に地元真鶴町の業者によって海中から引き揚げられた。[3]。当時の新聞記事では一部は鉄道省に寄付、一部を地元で鉄屑として処分するつもりとある。直後に鉄道博物館(旧)で牡蠣の殻が大量に付着したバキュームホースと機関車のナンバープレート「977」(960形蒸気機関車)が展示された[4]。 現在バキュームホースは所在不明で唯一ナンバープレートのみが残されており、交通博物館から鉄道博物館に引き継がれ展示されている。
- この事故で娘を亡くした岡野喜太郎(スルガ銀行創業者)によって1932年(昭和7年)に真鶴駅寄りの海に面した場所に慰霊碑が設置され、1973年(昭和48年)には、改札横に根府川駅職員一同によって『関東大震災殉難碑』(写真参照)が設置された。
- 1934年(昭和9年)12月1日 - 熱海線所属から東海道本線所属に変更。
- 1970年(昭和45年)5月20日 - 貨物取扱を廃止。
- 1972年(昭和47年)3月15日 - 荷物取扱を廃止。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、東日本旅客鉄道の駅となる。
- 1999年(平成11年) - 関東の駅百選に選定される。
- 2001年(平成13年)11月18日 - ICカードSuica供用開始。
- 2002年(平成14年)3月1日 - 無人駅となる。
駅構造
2面3線のホームを有する地上駅。1番線は貨物列車専用のホームだったが1970年頃に撤去された[5]ため、のりばは2番線から4番線となる。東側の4番線は国道135号を挟んで相模湾に面しており、よく晴れた日には房総半島や伊豆大島まで見渡すことができる。ちなみに詩人・茨木のり子は、当駅を舞台にした「根府川の海」という詩を発表している。元旦にはJR東日本が運行する初日の出号が停車する。
高度差が大きいため(ホームの海抜は45m)、ホームはがけの下、駅舎はがけの上にある。ホームから上った跨線橋と同じ高さに木造瓦葺の駅舎がある。エスカレータやエレベーター、証明写真撮影機などは設置されていない。
東海道本線の中では美濃赤坂支線を除けば唯一の完全な無人駅である(真鶴駅管理)。Suica改札機、自動券売機(稼働時間8:30 - 16:30)と乗車駅証明書発行機が設置されているが、自動精算機は設置されていない。時折近辺の駅から出張してくる駅員が乗車券の回収や乗越精算を行っている。また、駅員不在時に連絡するものとして真鶴駅につながるインターホンが自動券売機の横に設置されている。
ホーム延伸工事が行われる以前テンプレート:いつは、15両編成停車時にドアカットが行われていた。
自動券売機の稼働時間外でのグリーン車への乗車の際は、駅で乗車駅証明書を取った後、車内改札でグリーンアテンダントに乗車駅証明書を見せれば、事前料金の値段で乗車することができる。
のりば
番線 | 路線 | 方向 | 行先 | 備考 |
---|---|---|---|---|
2 | テンプレート:Color東海道線 | 上り | 小田原・横浜・東京方面 | |
3 | テンプレート:Color東海道線 | 上り | 小田原・横浜・東京方面 | 待避時 |
下り | 熱海・伊東・沼津方面 | |||
4 | テンプレート:Color東海道線 | 下り | 熱海・伊東・沼津方面 |
当駅は駅の構造上、鉄道写真の撮影に適した駅(撮影ポイント)であり臨時列車などが運行される際は多数の撮影者が当駅を訪れる。そのため駅の架線柱などには注意書きがある。
利用状況
2008年度の1日平均乗車人員は639人である[6]。近年の推移は下記の通り。
年度 | 1日平均 乗車人員 |
---|---|
1998年 | 498 [7] |
1999年 | 466 [8] |
2000年 | 460 [8] |
2001年 | 595 [9] |
2002年 | 640 [9] |
2003年 | 627 [10] |
2004年 | 620 [10] |
2005年 | 610 [11] |
2006年 | 607 [11] |
2007年 | 633 [6] |
2008年 | 639 [6] |
2009年 |
駅周辺
根府川付近では箱根火山の溶岩である根府川石が産出されていた。現在では根府川ではなく北側にある米神の谷で採取されている。また、一帯はかつて日本でも有数のみかん栽培地であったが、その後の需要低迷や後継者不足により生産量は減りつつある。
- 神奈川県道740号小田原湯河原線(旧国道135号)
- 根府川温泉
- 寺山神社(「鹿島踊り」は神奈川県指定無形民俗文化財)
- 釈迦堂(テンプレート:要出典範囲)
- 根府川関所跡(箱根関所の脇関所として重要視されていた)
- ヒルトン小田原リゾート&スパ
- 根府川郵便局
- 神奈川県農業技術センター足柄地区事務所根府川分室(元・園芸試験場根府川分場)
- 国道135号(旧真鶴道路)
- 江之浦漁港
- 相翁松の碑
- 小田原市役所片浦支所
- 小田原市立片浦小学校
- 白糸川
4番線ホームからは眼下に海を臨むことができる。
また、当駅熱海寄りの白糸川橋梁はかながわの橋100選に選出されている。関東大震災で倒壊し、翌年再建されたもの。かつては鉄道写真の撮影ポイントとして有名であったが、防風柵設置により撮影には不向きになった。
バス路線
駅前広場に箱根登山バス「根府川駅」バス停留所が設置されている。
- 石名坂 ※平日のみ
- 小田原駅東口 ※平日のみ
- なお上記とは別に小田原駅 - 湯河原駅線(平日のみ運行)「根府川」バス停が海そばの道路に下りた所にある。
ギャラリー
- Nebukawa-Sta-entrance.jpg
待合室から見た改札口。向こうには相模湾が見える。
- Nebukawaekishakaranosagamiwan.JPG
高台にある改札を入ったところから相模湾を望む。
- Nebukawaekiekimeiheou.JPG
根府川駅の駅名標。
- Nebukawa-Sta-inside-for-Tokyo.jpg
跨線橋から東京方面を望む。
- Nebukawa-Sta-inside-for-Kobe.jpg
跨線橋から神戸方面を望む。
- JR-nebukawa-station-platform-4.jpg
4番線ホームの背後には海が見える。
- 根府川駅の、初日の出+ジョイフルトレイン『華』 186.JPG
元日には、ほぼ東向きの4番ホームから初日の出を望むことができる。
- Jr-shiraito-river-bridge.jpg
白糸川橋梁
- JR-nebukawa-station-earthquake-monument.jpg
関東大震災での犠牲者追悼のために建立された『関東大震災殉難碑』
- Nebukawa Station earthquake passenger car left.jpg
海岸に残った客車
- Nebukawa Station salvage.jpg
関東大震災で海中に沈んだ列車の引き揚げ作業を報じる東京朝日新聞
隣の駅
- 東日本旅客鉄道
- テンプレート:Color東海道線
- テンプレート:Color快速「アクティー」・テンプレート:Color普通
なお、湘南新宿ラインの特別快速が小田原 - 熱海駅間で延長運転されることがあるが、その列車は早川駅と当駅を通過する。
脚注
関連項目
- 日本の鉄道駅一覧
- 東海道線 (JR東日本) - 運転系統についてはこちらを参照。
外部リンク
テンプレート:関東の駅百選- ↑ 熱海線:根府川駅フォトライブラリー|東日本大震災の記録(日本鉄道旅行地図帳)(2012年1月18日閲覧)
- ↑ 関東大地震震害調査報告掲載写真(土木学会附属土木図書館)第二巻鉄道・軌道之部112-114、171-175が根府川駅の写真。(2012年1月18日閲覧)
- ↑ 東京朝日新聞1934年9月24日朝刊11面
- ↑ 佐々木冨泰・網谷りょういち『事故の鉄道史―疑問への挑戦』(日本経済評論社、1993年)P108より。呉服橋の高架下にあった頃という事なので、著者が展示を見たのは1936年4月以前。
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ 6.0 6.1 6.2 神奈川県県勢要覧(平成21年度)238ページ
- ↑ 神奈川県県勢要覧(平成12年度)220ページ
- ↑ 8.0 8.1 神奈川県県勢要覧(平成13年度)222ページ
- ↑ 9.0 9.1 神奈川県県勢要覧(平成15年度)220ページ
- ↑ 10.0 10.1 神奈川県県勢要覧(平成17年度)222ページ
- ↑ 11.0 11.1 神奈川県県勢要覧(平成19年度)224ページ