Rまにあ
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Rまにあ(ろっこつまにあ、Rマニア)は、浅井企画に所属していたお笑いコンビ。ともに横浜市泉区出身。1996年9月結成、2006年解散。
メンバー
- しゅく
- 本名: 宿輪 竜一(しゅくわ りゅういち)、 1976年11月5日 - 、血液型B型。
- 解散後は関根勤から「しゅく造め」と命名されてピン芸人として活動。
- 中島 ゆたか
- 本名:中嶋 裕(なかじま ゆたか)、1977年1月24日 - 、血液型O型。
- 解散後は芸能界を引退。
来歴
- 幼稚園、小学校、中学校とずっと一緒だった宿輪、中嶋の二人によって1996年6月に結成。宿輪の肋骨が浮き出て見えていたことから「Rマニア」と名付けられた。
- 『進ぬ!電波少年』で1998年4月から1999年10月まで約1年6か月に亘って放送された企画「電波少年的無人島脱出」「電波少年的スワンの旅」で有名になる。「電波少年的スワンの旅」では内田有紀が応援ソングを歌った。過酷な企画だったと言えるが、その割に終了後の見返りが少なかったとされている。
- この「電波少年的スワンの旅」で使用されたスワンボートは池で貸し出されているスワンボートとは違い、航洋向けにヨットデザイナー高井理に設計を依頼した番組オリジナル。国内用に2隻、インド洋用に1隻建造された。国内用は純然たる人力航行のシステムで、2人で漕ぐことで最高耐水速力5ノットの設計であったが実際は海況にもよるものの2~3ノットと実に微速であり、また人力船ゆえに軽量が求められ、構造上脆弱なため、緊急時の曳航もままならず、よって番組の収録は過酷を極める結果となった。続く海外版では、1回の航行距離が長くなることと、先の過酷さから学び、特別設計の推進システムを採用し、船体も補強して臨むものの故障が多く、結果としてオール等の人力主体となり、熾烈なロケを強行せざるを得なくなった、とされている。
- この「電波少年的スワンの旅」で使用した脚力を使い、今度は雷波少年の企画「シドニーへの道」において競輪競技の世界へ挑戦することになり、競輪の学校に2人で短期入学をした後、東京ドームで行われた競輪の選手権に出場するが、ケガで断念したという形で終了した。
- 先輩の関根勤と仲がよく、ゲームなどでよく遊んでいるらしい。
出演
テレビ
- 進ぬ!電波少年 (日本テレビ 1998年4月 - 1999年10月)
- 雷波少年 (日本テレビ 1999年10月 - 1999年12月、2000年4月 - 2000年5月)
- お台場・音楽・夜一番 (東京メトロポリタンテレビジョン 2000年10月 - 2001年3月)
- 電リク!BEAT BOX! (東京メトロポリタンテレビジョン 2001年4月 - 9月 月曜日レギュラー)
- ビバ!アミーゴ (キッズステーション 2001年4月 - 2003年3月)
- アミーゴ情報局 (キッズステーション 2003年4月 - 2004年3月)
- ハイパーGTステーション (キッズステーション 2004年)
- 爆笑オンエアバトル(NHK総合)戦績0勝1敗 最高105KB
ラジオ
- コサキンDEワァオ!
- TBSラジオ
- 「コサキンヤング部24(ツーフォー)劇場」のコーナーに出演
ライブ
- Rまにあ単独ライブ
- Rまにあ単独ライブ第2段!「加藤コーチ」(2000年5月27日 Shibuya eggman)
- Rまにあ単独ライブ第3段!(フリートークライブ) (2002年6月1日 欽こん館)
- ずん(R)まにあ (2005年6月30日、2005年11月18日 ずんと共演のライブ)
他
舞台
映画
連載
- 週刊パーゴルフ (2000年)
書籍
- Rマニア航海記 Part1 (1999年8月、日本テレビ放送網、ISBN 978-4820397311)
- Rマニア航海記 Part2 (1999年10月、日本テレビ放送網、ISBN 978-4820397359)