上芦別駅
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上芦別駅(かみあしべつえき)は、北海道芦別市上芦別町にある北海道旅客鉄道(JR北海道)根室本線の駅。駅番号はT27。電報略号はミヘ。標高113.3m。
かつては急行「狩勝」の停車駅で、1972年までは急行「そらち」【初代】の発着駅でもあった。
駅構造
駅周辺
- 国道38号
- 北海道道365号上芦別停車場線・北海道道567号上芦別停車場野花南湖線
- 芦別警察署上芦別駐在所
- 上芦別郵便局
- 野花南湖
- 野花南ダム
- 空知交通「上芦別駅前」停留所
- 北海道中央バス(高速ふらの号)・空知交通「上芦別小学校」停留所(国道38号線沿い)
歴史
大正2年5月、この地を開拓していた京都植民協会上芦別農場を三菱鉱業の前身である三菱合資会社が買収し、多くの炭鉱施設を建設して「三菱村」が形成され、芦別地域で最初の大規模炭鉱開発が始まった。本線に接続する専用線が敷かれて運炭が開始されるに伴い、当駅が開設された。昭和8年の三菱鉱業一時撤退後、西芦別の東頼城町と緑泉町近くの六線沢(加藤ノ沢)に開坑した第二坑、第三坑まで敷かれていた専用線は、帝室林野局に売却され、奥芦別から駅土場へ木材を運ぶ芦別森林鉄道に利用された[1]。昭和恐慌に端を発する不況による三菱の撤退はこの地を震撼させたが、空知川対岸の金剛地区に東芦別炭鉱が開かれ、駅まで索道を設けて運炭を開始。戦中の労働力不足とインフレの混乱で中小鉱山が相次いで閉山する中、東芦別炭鉱の一切を明治鉱業が買収して、対岸に「明治村」を形成した。戦後になると石炭増産政策により、三菱鉱業が再開して専用鉄道を敷設し、明治鉱業も索道をやめて坑外電車軌道を敷設するなど増産体制を整えた。その後昭和30年代後半のエネルギー転換政策により各炭鉱の閉山を迎え、この駅を利用する貨物は殆ど無くなった。
- 1917年(大正6年)11月 - 三菱合資会社(後の三菱鉱業)第一坑まで分岐線2.4km敷設。12月運炭開始。
- 1920年(大正9年)1月16日 - 国有鉄道の駅として、下芦別 - 野花南間に新設。一般駅。同時に三菱鉱業第三坑(六線沢/加藤ノ沢)までの専用線4.7km運用開始。
- 1932年(昭和7年)9月 - 三菱鉱業第一坑閉鎖。
- 1933年(昭和8年)9月 - 三菱鉱業第二坑、第三坑閉鎖、三菱鉱業上芦別炭鉱休山[2]。
- 1934年(昭和9年)11月 - 帝室林野局上芦別出張所が芦別森林鉄道31.2kmを竣工。
- 1937年(昭和12年) - 空知川対岸の金剛地区から山崎幸輔(後に東芦別炭鉱を設立)が索道を設置して運炭。
- 1938年(昭和13年) - 山崎幸輔が当駅隣接の貨車積み込み貯炭庫設置。
- 1944年(昭和19年)11月 - 明治鉱業が東芦別炭鉱(山崎幸輔)を買収。明治鉱業上芦別鉱業所設立。
- 1949年(昭和24年)
- - 明治鉱業が当駅に隣接して選炭場を設置し、空知川鉄橋及び輪車路(専用軌道)を敷設。同時に索道廃止。
- 12月24日 - 三菱鉱業芦別鉱業所専用鉄道 上芦別 - 辺渓間開通。
- 1954年(昭和29年) - 三菱鉱業芦別鉱業所専用鉄道 辺渓 - 辺渓三坑間開通。
- 1961年(昭和36年) - 芦別森林鉄道廃止。中間地点に北菱炭鉱の運炭用3.8kmを残して軌道撤去。トラック輸送に切り替え。
- 1963年(昭和38年)1月31日 - 明治鉱業上芦別鉱業所閉山。
- 1964年(昭和39年)3月 - 三菱鉱業芦別鉱業所閉山に伴い専用鉄道廃止。
- 1975年(昭和50年)2月1日 - 貨物取扱を専用線発着車扱貨物に限定。
- 1982年(昭和57年)5月30日 - 貨物・荷物扱い廃止。無人(簡易委託)化。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR北海道に継承。
- 19xx年 - 簡易委託廃止、完全無人化。