芦別駅
芦別駅(あしべつえき)は、北海道芦別市本町にある北海道旅客鉄道(JR北海道)根室本線の駅。駅番号はT26。電報略号はアシ。芦別市の代表駅である。
かつては急行「狩勝」の停車駅だった。現在も快速狩勝含む定期営業列車は全便が停車し、夏季に営業される臨時特急「フラノラベンダーエクスプレス」も停車する。
駅構造
2面2線の相対式ホームをもつ地上駅。かつては駅舎の向かい側のホームが島式ホームで、そこにあった3番のりばから三井芦別鉄道の列車が発着していた。上下ホームの移動は跨線橋を使う。
北海道ジェイ・アール・サービスネットが業務を行う業務委託駅で、窓口営業時間は 平日の7時00分から18時00分まで、それ以外の時間と日・祝日は休止となり、運賃は車内または着駅で精算する。みどりの窓口が設置されている。
駅周辺
- 北海道道788号芦別停車場線
- 国道38号・国道452号
- 道の駅スタープラザ芦別
- 芦別市役所
- 芦別警察署
- 芦別警察署駅前交番
- 芦別郵便局
- 北門信用金庫芦別支店
- 北洋銀行芦別支店
- 北海道銀行芦別支店
- たきかわ農業協同組合(JAたきかわ)芦別中央支店
- 日本通運芦別営業センター
- 星の降る里百年記念館
- 北の京・芦別
- 旭ヶ丘公園
- コズミックタワー
- 芦別市健民センター
- 芦別市消防本部 ・芦別市消防署
- 芦別市立芦別小学校
- 北海道芦別高等学校
- 芦別スキー場
- 空知交通「芦別駅前」停留所(駅前)
- 北海道中央バス「芦別」停留所(国道38号線沿い)
歴史
北空知でも有数の炭山を抱えた芦別は、早くから財閥系の炭鉱が多く掘られて、この駅や隣の上芦別駅を利用した。当駅への近代的な設備による運炭は、大正9年に空知川対岸の盤の沢(現旭町油谷)より芦別炭鉱株式会社の設置した軽便鉄道によるものが最初である。(ちなみに大正6年11月に、芦別川と空知川の合流地点にある「なまこ山」裏手の三菱鉱業第一坑まで、後の上芦別駅近くの本線から分岐線を設けて運炭したのが芦別地区の最初。)この軽便鉄道は後に炭鉱ごと三菱鉱業に買収されたが、昭和恐慌によって多くの炭鉱が撤退を余儀なくされると、この鉄道も昭和8年に三菱の一時撤退に伴って廃止された。その後、戦中の昭和13年からは、西北にある空知川支流の高根川筋に設けられた高根鉱業所から低山越え索道による運炭が、また昭和15年には、空知川支流の芦別川流域にある西芦別から三井鉱山専用線が敷かれる。再びこの地が活況を呈するのは戦後間もなくの昭和22年で、盤の沢筋の三菱鉱業(ペンケ三坑/第五坑)と久原鉱業の砿区を引き継いだ油谷鉱業が共同で当駅まで索道を、当駅南方にある三菱鉱業下芦坑(第四坑)から当駅まで引込み線を、空知川対岸の三井鉱山黄金坑から当駅まで索道を、それぞれ開設した。この内、三菱ペンケ坑と油谷坑は、すぐ後に三菱の開設した上芦別駅への専用鉄道に切り替わるが、その他は三井芦別鉄道を除いて昭和40年前後に閉山あるいはトラック輸送に切り替わるまで利用された。
- 1913年(大正2年)11月10日 - 下富良野線(後に根室本線となる)が開通し、野花南駅、奔茂尻駅(後に滝里駅となり、廃止)とともに下芦別駅(しもあしべつえき)として開業する。一般駅。
- 1920年(大正9年)4月 - 芦別炭鉱株式会社が盤の沢(ペンケ)-当駅間の運炭用に軽便鉄道を敷設し運用開始。
- 1923年(大正12年)6月1日 - 三菱鉱業、芦別炭鉱(株)の軽便鉄道に投資、共同経営者となる。
- 1928年(昭和3年)6月2日 - 三菱鉱業、芦別炭鉱(株)のペンケ坑及び軽便鉄道買収。
- 1933年(昭和8年)9月 - 三菱鉱業炭鉱閉鎖に伴い軽便鉄道廃止。
- 1940年(昭和15年)11月25日 - 三井鉱山専用鉄道下芦別(芦別) - 西芦別(三井芦別)間開業。
- 1942年(昭和17年)
- 7月 - 高根炭鉱が索道原動所設置。
- 9月10日 - 高根炭鉱索道原動所まで引込線敷設。
- 1945年(昭和20年)12月 - 三井鉱山専用鉄道 三井芦別 - 頼城間開業。
- 1946年(昭和21年)5月1日 - 芦別駅と改称される。
- 1947年(昭和22年)3月20日 - 駅舎改築。
- 1948年(昭和23年)
- 1949年(昭和24年)
- 1950年(昭和25年)6月 - 油谷炭鉱専用岐線が三菱鉱業芦別鉱業所専用鉄道と接続。索道廃止。
- 1960年(昭和35年)10月1日 - 三井鉱山専用鉄道を三井芦別鉄道が継承。高根炭鉱が索道を廃止し、積込み場までトラック輸送に切り替え。
- 1962年(昭和37年)9月30日 - 三菱鉱業下芦別坑(第四坑)閉山。
- 1966年(昭和41年)11月18日 - 三井鉱山黄金坑索道廃止に伴い原動所までの引込線撤去。トラック輸送に切り替え。
- 1968年(昭和43年)2月9日 - 高根炭鉱閉山に伴い引込線撤去。
- 1971年(昭和46年)8月12日 - 構内人道橋設置。
- 1972年(昭和47年)5月31日 - 三井芦別鉄道の旅客営業を廃止。
- 1985年(昭和60年)3月14日 - 荷物取扱い廃止
- 1986年(昭和61年)11月1日 - 三井芦別鉄道の連絡車扱貨物を除き、貨物の取扱いを廃止。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、国鉄駅はJR北海道が継承。
- 1989年(平成元年)
芦別炭鉱/三菱炭鉱 ペンケ軽便鉄道
大正7年5月、芦別炭鉱株式会社が空知川対岸のペンケホロナイ川盤の沢に炭鉱を開坑し、選炭場より空知川に架設した木橋を渡って市街を縦断し、芦別駅の富良野側に設けた貯炭場へ至る距離約8kmの軽便鉄道を敷設、大正9年4月から運炭を開始した。運用は蒸気機関車2t、3t、8tの3台で行われた。隣接鉱区で開坑した久原鉱業株式会社もこれを利用し[1]、さらに近隣で三菱鉱業が開坑すると、三菱はこれに投資して共同経営者となり、最終的に芦別炭鉱の所有する当鉱区及び施設、当鉄道の一切を買収した。なお芦別市史によれば買収は大正12年6月1日となっているが、三菱鉱業社史では大正12年5月に当鉄道に資金投資及び共同経営権の締結、昭和3年6月2日買収となっている[2]。昭和8年9月の三菱鉱業休山に際した当鉄道の扱いについて明確な記述は上記資料には見当たらないが、昭和23年の米軍撮影航空写真で見る限り、橋が橋脚を残して撤去されており、他に運用したとの記述も無い。
- 専用軌道敷設工事申請 大正7年8月20日 芦別炭鉱株式会社
- 敷設工事許可 大正8年6月4日 北海道庁