ココリコ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
2014年8月17日 (日) 06:56時点におけるSato1015 (トーク)による版 (来歴・人物)
(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)
移動先: 案内検索

ココリコフランス語で「コケコッコー」というの鳴き声の擬声語が原義)


テンプレート:Infobox お笑いコンビ ココリコは、日本お笑いコンビ吉本興業東京本社(東京吉本)所属。1992年5月に吉本バッタモンクラブのオーディションに合格しデビュー。

メンバー

来歴・人物

豊中市立豊島小学校時代に同級生として2人は出会う。豊中四中学時代には共に、準硬式野球部でバッテリーを組んでいた(遠藤がピッチャーで田中がキャッチャー)、その後、遠藤は香川県の高校に野球留学し、田中はハンドボール部で活躍する。2人とも高校卒業後、遠藤は事務機器のセールスマンをしていたが、退職し、無職だったため、専門学生だった田中を誘いオーディションへ。結果、見事合格しココリコボンバーズを結成。大阪出身だったが吉本興業東京本社(東京吉本)からデビューした。

コンビ名は2人が中学生の部活帰りの時拾ったシステム手帳に書かれていた「喫茶ココリコで待ち合わせ」から。それを落とし主に届けたところ、謝礼として1万円を貰い、縁起のいい名前として付けた。「ボンバーズ」とは当時「ン」がつくコンビ名は売れるというジンクスがあったため付足した。しかし、後に極楽とんぼ加藤浩次(田中と同じ誕生日)からアドバイスを受け「ボンバーズ」は撤去され現在のコンビ名となった。当初の仕事は『吉本印天然素材』の前説。初舞台は赤坂プレイボックスでのイベントであった。その後、『ガキの使い』の前説を経てレギュラーへ昇格する。

大阪NSC11期生である中川家陣内智則などや、11期生とほぼ同期である藤井隆海原やすよ・ともこ等とはお互い同期と番組でも公言しているが、デビューが1992年5月のため実際には彼らよりほぼ1年先輩であり、厳密には大阪NSC10期出身者(ジャリズムメッセンジャーなど)がほぼ同期にあたる。本人達は同じNSC11期出身のたむらけんじに対しても同期として接しているが、当のたむらはココリコを先輩と思っているという[1]

現在はルミネtheよしもとにて月一回漫才をしている。2007年4月に開催された吉本興業主催のお笑いイベント「LIVE STAND 07」では初日の大トリを務めた。

出演・作品

個々の出演は遠藤章造田中直樹の項目を参照。

現在
過去
ドラマ
CD
  • 遠藤章造と田中さん『悲しみの夜明け』(2001年5月23日)
  • Re:Japanの一員としてシングル2枚・アルバム1枚を発売
連載
  • H『田中直樹のH(スケベ)な写真集』
映画
CM

受賞歴

脚注

テンプレート:Reflist

テンプレート:ココリコ

テンプレート:ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!
  1. アメトーークより。同様のことをケンドーコバヤシも発言している(2010年1月17日 プレミアムにけつッ!!より)。