上野俊哉
テンプレート:存命人物の出典明記 上野 俊哉(うえの としや、1962年 - )は、日本の批評家、和光大学教授。専攻は、文化研究・メディア研究。
略歴
宮城県仙台市生まれ。和光大学人文学部人間関係学科卒業。在学中は岸田秀、安永寿延らの講義を聞いた。中央大学大学院法学研究科で、ジャン=ジャック・ルソーの政治思想を研究、その後博士課程を中退。武蔵野美術大学、和光大学非常勤講師、中部大学助教授を経て和光大学表現学部教授。2007年1月-4月、2008年1月-4月、2009年1月-4月、2010年1月-4月カナダ、モントリオールのマギル大学東アジア学科客員教授。
活動
カルチュラル・スタディーズの論客として知られるが、2009年に「自己破門」を宣言し、CSは既に一定の役割を終え、大学でのカリキュラムに組み込まれて本来のアクチュアリティーを失ったと論じた[1]。 テンプレート:独自研究 自由メディアや音楽などのサブカルチャーを通して社会文化を論じる。
また、『紅のメタルスーツ――アニメという戦場』などで、ポップ、アニメ、テクノなどサブカルチャーについても語っている。歯に衣着せぬ文体で、東浩紀ら論敵を批判している。オタクなど文脈を語らない意見(意味不明)にも強い批判を行っている。
1990年代にはオランダのアムステルダムにアパートを借り、毎年通い続けた。ヨーロッパでは野外レイブやクラブに通い続け、1990年代に日本ではあまり知られていなかった最新のサイケデリック・トランスのクラブミュージックに精通していた。
近年、内外の大学では花田清輝、安部公房、井筒俊彦、きだみのるなどについて講義し、大衆文化研究やアクティヴィズムからは撤退したように見られている。トランスからは離れたが、日本国内のアンダーグラウンドなテクノのシーンには今も積極的に関わっている。
備考
- 1998年のFIFAワールドカップでは、日本対クロアチア戦をアムステルダムでTV観戦。クロアチアサポーターと一緒にクロアチアを応援した。
- 東浩紀に対して「おまえ評論止めろ!死ね!」と上野が発言したことを、東自身がtwitter上で告白したが[2]、これは美術批評家椹木野衣の結婚式二次会において上野が「もう、批評家とかやめとけよ」と言い放ち、それを聞いた毛利嘉孝が「このへんまでは味方だと思うのに、どうしてそういうこと言うかなあ」というやりとりがあったことを指す。毛利によれば、「死ね!」発言は事実無根であり、東の一方的な歪曲であるという。
- この東の発言について上野は、両者の「すれ違い」は、合宿の飲み会の支度で、「ねえ、きみ、そのニンニク一カケとってくれる?」と上野が頼んだ時、「一カケってこれですか?」とまるごと皮のついたニンニクを東がよこしたときからはじまっているとした[3]。
著作
単著
- 『音楽都市のパラジット――共振する思考』(洋泉社 1990年)
- 『思考するヴィークル――クルマ/速度/都市』(洋泉社 1992年)
- 『シチュアシオン――ポップの政治学』(作品社 1996年)
- 『人工自然論――サイボーグ政治学に向けて』(勁草書房 1996年)
- 『紅のメタルスーツ――アニメという戦場』(紀伊國屋書店 1998年)
- 『ディアスポラの思考』(筑摩書房 1999年)
- 『アーバン・トライバル・スタディーズ――パーティ、クラブ文化の社会学』(月曜社 2005年)
- 『思想家の自伝を読む』平凡社新書 2010
- 『思想の不良たち 1950年代、もう一つの精神史』岩波書店、2013
共著
- (市田良彦・丹生谷貴志)『ワードマップ・戦争――思想・歴史・想像力』(新曜社 1989年)
- (粉川哲夫・武邑光裕・今福龍太・大島洋)『ポスト・メディア論』(洋泉社 1992年)
- (毛利嘉孝)『カルチュラル・スタディーズ入門』(ちくま新書 2000年)
- (毛利嘉孝)『実践カルチュラル・スタディーズ』(ちくま新書 2002年)
- (富野由悠季・大塚英志・ササキバラ・ゴウ)『戦争と平和』(徳間書店 2002年)
編著
- 『響像都市の地政学』(青弓社 1990年)
訳書
- ソル・ユーリック『メタトロン――情報の天使』(晶文社 1992年)
- ポール・ギルロイ『ブラック・アトランティック――近代性と二重意識』(月曜社 2006年)
- ポール・D・ミラー『リズム・サイエンス』(青土社 2008年)
- イアン・コンドリー『日本のヒップホップ――文化グローバリゼーションの<現場>』(NTT出版 2009年)(監訳)
脚注
- ↑ 『一冊の本』2009年9月号「カルチュラル・スタディーズの自己破門」
- ↑ [1]2010年3月8日
- ↑ 和光大学総合文化学科上野俊哉ブログ2010年3月記事