在家
在家(ざいけ[1])は、仏教において、出家せずに、家庭にあって世俗・在俗の生活を営みながら仏道に帰依する者のこと。出家に対する語で、仏教用語の1つ。
仏教徒のなかで、在家の信者は、男性は優婆塞(うばそく、upāsaka)、女性は優婆夷(うばい、upāsikā)と呼ばれる。「upāsaka」という語には、仕える、敬う、礼拝するという意味があり、一般に在家信者は出家者に布施を行うことによって功徳を積む。また、出家者からは教えを受けて(法施)、生活の指針とする。
在家の仏教徒は、出家者と同じく仏・法・僧の三宝に帰依するが、戒律の種類は出家者ほど多くなく、五つの生活規則、即ち五戒と、さらに進んで八斎戒を守り、戒律を維持するための「布薩会」(懺法)に参加することが前提とされる。(ただし末法無戒を唱える一部の法華系宗派では、在家であっても五戒は無用とされる。)
歴史
初期仏教
上座部仏教のパーリ仏典律蔵犍度の『大品』(マハーヴァッガ)には、釈迦が菩提樹の下で悟りに至ってから、仏教教団が成立するまでの経緯が書かれている。その記述によると、釈迦が悟りに至ってしばらくした後、ラージャーヤタナ樹の下で瞑想していると、タプッサとバッリカという二人の商人が麦菓子と蜜団子を寄進して帰依し、最初の在家信徒になった。
その後、釈迦が五比丘に対して最初の説法(初転法輪)を行い、釈迦を含めて計6名の僧伽が成立する。その後、ヴァーラーナシーで長者の息子ヤサに説教する過程で、彼を探しに来た父親が釈迦に帰依し、僧伽成立後としては最初の在家信徒となった。その後、ヤサは出家者(比丘)となり、僧伽の7人目のメンバーとなり、ヤサの母親と旧妻も、釈迦の説法で帰依し、初の女性在家信徒(優婆夷)になった。(その後、ヤサの友人4人、更に50人の友人が帰依・出家し、皆、阿羅漢になったので、僧伽は61人の阿羅漢で構成されることになった。)
脚注・出典
関連項目
外部リンク
- ↑ ざいか、とも読む場合もある