初転法輪

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テンプレート:Sidebar 初転法輪(しょてんぽうりん)とは、釈迦が初めて仏教の教義(法輪)を人びとに説いた出来事を指す。

具体的には、釈迦が菩提樹下で悟りを開いた後、ヴァーラーナスィー(波羅奈国)のサールナート(仙人堕処)鹿野苑(施鹿林)で元の5人の修行仲間(五比丘)に初めて仏教の教義を説いた出来事を指す。当初は誰も耳を傾ける者がなく、鹿を相手に法を説いたとする経典もある。

経緯

以下、パーリ律蔵の『マハー・ワッガ』(和訳:『南伝大蔵経』第3巻)を主な資料として記す。

釈迦は当初、仏法の説明は甚だ難しく、衆生に教えを説いても理解されず徒労に終わるだろうと、教えを説くことをためらったとされる。『マハー・ワッガ』をはじめとする初期仏典には、沈黙を決した釈尊を索訶主梵天(brahmaa sahaMpati)が説得したという伝説(梵天勧請)が記されている。梵天の懇請を容れた釈迦は、世間には心の汚れの少ないもの、智慧の発達した者、善行為を喜ぶものもいることを観察した上で、最終的に法を説くことを決意した。(「甘露の門は開かれたり 耳ある者は聞け」に始まる有名な偈はこの時説かれたとされる。)

釈迦がヴァーラーナスィーに向かう途中、アージーヴィカ教徒の修行者ウパカに無師独覚を話したが軽く受け流されている。これは仏法を説いたことにはなっていない(ウパカは後、釈迦に帰依して出家した)。

当初、この元の5人の修行仲間は、修行を捨てた釈迦が遠くから来るのを見て軽蔑の念を抱き歓迎を拒むことを決めた。しかし釈迦が徐々に近づくにつれ、その堂々とした姿を見て畏敬の念を抱き、自然に立ち上がって座に迎えた。自らが阿羅漢であり正等覚者(仏陀)であることを宣言した釈迦は、なお教えを受けることを拒む5人を説得して、最初の説法を為した。このとき説かれた教えは、中道とその実践法たる八正道、苦集滅道の四諦、四諦の完成にいたる三転十二行相、であったとされる。

5人の修行者は釈迦の説法を歓喜して受けた。また、この時、5人のうちコンダンニャに「生ずるものはすべて滅するものである。」という法眼が生じた(悟りを得た)。伝統的に、これは四沙門果の第一、預流果に達したことと説明されている。釈迦による五比丘への教導は比丘が3人ずつ順に托鉢を行い6人が食する合宿式に続けられ、ワッパバッディヤマハーナーマンアッサジの4名にも次々と法眼が生じた。釈迦は次に「無我相」の教えを説き、五人比丘に五蘊無我の修習を指導した。五人はじき阿羅漢果(四沙門果の第四)に達して、釈迦を含めて6人の阿羅漢が誕生した。

彼らは釈迦と共に初期仏教教団を創設し、インド各地で布教活動を行ったことから、「説法波羅奈」(せっぽうはらな)として釈迦の人生の4つの転機の1つに数えられている。

参考文献

  • 「マハー・ワッガ」『南伝大蔵経』第3巻
  • 「転法輪経」『大正新脩大蔵経』巻2内

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