馬堀駅
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馬堀駅(うまほりえき)は、京都府亀岡市篠町馬堀六ノ坪にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)山陰本線の駅である。「嵯峨野線」の愛称区間に含まれている。
当駅から線路沿いに東方500mの地点に嵯峨野観光鉄道嵯峨野観光線(嵯峨野トロッコ)のトロッコ亀岡駅がある。
駅構造
相対式ホーム2面2線を持つ地上駅。2008年12月に亀岡駅までの複線化が完成したことに伴い、分岐器や絶対信号機がない停留所となった。
改札口は南側にある駅本屋内に1か所。駅本屋側が2番のりばであり、1番のりばへは跨線橋で連絡している。跨線橋とホームはエレベーター、階段で連絡している。駅舎への出入口は駅前広場に面した南側に設けられている。トイレは2番のりばの西寄り、跨線橋と改札口の間にあって男女別・車椅子対応で水洗式。
亀岡駅が管理し、ジェイアール西日本交通サービスが駅業務を受託する業務委託駅である。かつては無人駅であったが、周辺の1960年代からの宅地開発に伴う利用客数の増加に併せ有人駅化され、現在ではみどりの窓口も設置されている。ICOCA利用可能駅(相互利用可能ICカードはICOCAの項を参照)。
ホーム | 路線 | 方向 | 行先 |
---|---|---|---|
1 | テンプレート:Color嵯峨野線 | 上り | 二条・京都方面 |
2 | テンプレート:Color嵯峨野線 | 下り | 亀岡・園部・福知山方面 |
- 上表の路線名は旅客案内上の名称(愛称)で表記している。
利用状況
京都などのベッドタウンである場所柄、駅規模に比較して利用客が非常に多く時間帯によっては京都方面への列車は相当な混雑になる。また、最寄りに嵯峨野観光線の終点があるため、周辺住民からは快速の停車を希望する声が少なくない。トロッコ亀岡駅との乗換駅でもあり、観光客の利用も多い。1日の平均乗車人員は以下の通りである。
- 4,595人(1999年度)
- 4,625人(2000年度)
- 4,630人(2001年度)
- 4,605人(2002年度)
- 4,627人(2003年度)
- 4,668人(2004年度)
- 4,636人(2005年度)
- 4,690人(2006年度)
- 4,702人(2007年度)
- 4,677人(2008年度)
- 4,559人(2009年度)
- 4,488人(2010年度)
- 4,525人(2011年度)
- 4,600人(2012年度)
駅周辺
- 徳寿院
- 篠村八幡宮
- 桑田神社
- 王子神社
- 保津峡
- 亀岡市立図書館馬堀分館
- 亀岡市立病院
- 医療法人社団瀬尾医院
- 亀岡市立詳徳中学校
- 亀岡市立安詳小学校
- 亀岡市立詳徳小学校
- 平和堂アル・プラザ亀岡
- スーパーマツモト ベルタウン馬堀
- 京都北都信用金庫(北都信金 ほくとしんきん)馬堀支店
- 国道9号(山陰道)
- 旧山陰道(京都府道402号王子並河線) - 通称・異人道
バス路線
歴史
- 1935年(昭和10年)7月20日 - 国有鉄道山陰本線の松尾山信号場(現・保津峡駅) - 亀岡駅間に新設開業。旅客営業のみ。
- 1973年(昭和48年)4月19日 - 午前7時25分ごろ馬堀駅を出発しようとした亀岡発京都行き気動車9連が運転士の信号の見落とし出発して引込み線に進入車止めに衝突、前2両が脱線した。復旧は午前9時30分までかかり朝の通勤通学客足が奪われ大混乱した、また特急4本・急行5本・貨物列車4本が運休した。(京都新聞昭和48年4月19日夕刊1面の記事より)
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる。
- 1989年(平成元年)3月5日 - 嵯峨駅から当駅まで複線の新線に切り替え。現在の場所に移転。
- 1992年(平成4年)11月 - みどりの窓口営業開始。
- 2003年(平成15年)11月1日 - ICカードICOCA供用開始。
- 2008年(平成20年)12月14日 - 当駅から亀岡駅まで複線化。交換設備廃止。
隣の駅
- 西日本旅客鉄道
- テンプレート:Color嵯峨野線(山陰本線)
- テンプレート:Color快速
- 通過
- テンプレート:Color普通
- テンプレート:Color快速