ソニー・マガジンズ

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テンプレート:Infobox ソニー・マガジンズ(Sony Magazines)はかつて存在した日本出版社ソニーグループソニー・ミュージックエンタテインメント (SME) 傘下。2012年4月1日、株式会社ミュージック・オン・ティーヴィと合併し、株式会社エムオン・エンタテインメントの一部門となった。

沿革

CBS・ソニー出版時代

1974年CBSソニーレコード傘下で音楽出版や出版事業を行うエイプリルミュージックが設立された。その後、雑誌・書籍出版部門が分離独立し、1979年「CBSソニー出版」設立。設立当初は「セオリーZ」や「見えない洪水 ケースD」などの一般書籍も出していたが、主力は「ギターブックGB」(初代編集長・塚本忠夫はヤマハ出身)という月刊音楽雑誌だった。

当時の音楽雑誌は紙は悪く、グラビアページもモノクロ、というのが一般的だったが、「ギターブックGB」はカラーグラビアに多くの写真、フォークギター講座を企画し、更に付録として歌本をつけた。

ちょうどその頃にニューミュージックブームが起き、テレビには出ない彼らの言動や姿を見るために人気が出て、長いあいだ音楽雑誌の中ではナンバーワンの部数を売り上げた。テンプレート:要出典

やがて、チェッカーズがデビュー。テンプレート:要出典のが「PATiPATi」である(タイトルは拍手の音から)。

「PATi PATi」は判型を大きくし、カラーグラビアを増やしたところ大きな評判を呼ぶことになる。また、当時、一般にアイドルバンドと呼ばれていたチェッカーズ・C-C-Bプリンセス・プリンセス(当時は赤坂小町名義)なども偏見を持たずに取り上げ、実力を伴ったミュージシャンとして正当に評価する姿勢を貫いていた。他に、ソニー三大色物バンドと呼ばれていたブレイク前の米米クラブ爆風スランプ聖飢魔IIなども早くから取り上げ大きく紙面を割いた。オーディションやコンテストにも編集者自らが足を運び、新人を見出して掲載するなど積極的な誌面作りをしていた。1985年頃から発行部数も右肩上がりになり、人気音楽雑誌に成長する。 「PATi PATi」からは「PATi PATi Rock'n Roll」や「PATi PATi読本」のような兄弟誌が生まれ、バンドブームをバックアップ、牽引する雑誌の一つとなった。

この後、「GB」「PATiPATi」はCBSソニー出版の2本柱として切磋琢磨・競争していくことになる。

1987年にはF1フジテレビ系列(FNS)での全戦中継が始まったことや鈴鹿サーキットでのF1日本グランプリが始まったことに伴い、F1専門誌「F1グランプリ特集」(現・「GRAND PRIX SPECIAL」)を発刊。

ソニー・マガジンズ改名後

1991年ソニーがCBSレコーズを買収したことに伴い、社名を「ソニー・マガジンズ」に変更。

1990年初頭にはバンドブームに乗って大きく業績を上げたので、一般雑誌にも進出しようと発刊したのが「卑弥呼JAPON」であったが失敗。コミック部門に進出して「きみとぼく」を創刊、1994年にゲーム専門誌「HYPERプレイステーション」を創刊したものの、バンドブームも終息して主力の音楽雑誌の部数が低迷し、業績は悪化した。

その後、書籍部門を強化して「ブリジット・ジョーンズの日記」や「Itと呼ばれた子」などのヒットを出している。

2001年にコミック事業から撤退、コンテンツは幻冬舎傘下の幻冬舎コミックスに引き継がれた。2003年にはかつての看板雑誌である「Gb」(ギターブックGB→GB→Gbとタイトルが変わる)が休刊した。

2006年8月、書籍の編集部門をウィーヴに売却。これに伴い、ソニー・マガジンズ本体で編集するのは雑誌やアーティスト書籍のみとなり、その一方でウィーヴが新規に設立した株式会社ヴィレッジブックス編集の書籍についてソニー・マガジンズが営業機能を請け負う、という業務体制となる。

2008年4月、ヴィレッジブックスが自前の営業部を新設し完全独立した。このため、ソニー・マガジンズ新書を創刊するなどして、ソニー・マガジンズ本体での一般書編集が再開している。

2012年4月1日、音楽専門チャンネル「MUSIC ON! TV」を運営する株式会社ミュージック・オン・ティーヴィと会社統合、株式会社エムオン・エンタテインメントに社名変更された[1]

発行雑誌

過去に発行されていた雑誌

脚注

テンプレート:Reflist

外部リンク

  • 重要なお知らせ(2012年3月1日)