造幣局 (日本)
独立行政法人造幣局(ぞうへいきょく)は、硬貨の製造、勲章・褒章及び金属工芸品等の製造、地金・鉱物の分析及び試験、貴金属地金の精製、貴金属製品の品位証明(ホールマーク)などの事業を行う日本の機関である。
概要
本局は大阪市北区天満に位置し、構内に造幣博物館がある。支局は東京都豊島区と広島市佐伯区の2か所に位置する。
1871年の創設時以来、工場内および近隣周辺に貨幣鋳造時の余剰発生ガスでガス灯を灯しており、当初は本邦初のガス灯による街灯で見物人が多数訪れている。1964年東京オリンピックや長野オリンピックの金・銀・銅の各メダル、名古屋城の金鯱なども製作され、大阪造幣局とも俗称される。
沿革
明治新政府は1868年5月16日(慶応4年4月24日)に旧金座および銀座を接収し、6月11日(慶応4年閏4月21日)に貨幣司を設けて二分判および一分銀などの鋳造を引き継がせている。1869年3月17日(明治2年2月5日)に貨幣司が廃止されて太政官に造幣局が設置され、8月15日(明治2年7月8日)に造幣局は造幣寮へ改称されて大蔵省所属となる。
1868年(慶応4年)に参与会計事務官三岡八郎、外国事務局判事五代才助らが同年に廃止されたイギリス帝国・香港造幣局の造幣機械を6万両で購入する契約を結び、11月1日(明治元年9月17日)に英国建築技師トーマス・ウォートルスが雇用され局舎設計および機器購入などを担当している。1870年3月3日(明治3年2月2日)に旧香港造幣局長キンドルが造幣寮首長に任命[1][2]されている。
大阪本局は1871年1月17日(明治3年11月27日)に銀貨製造を開始し、4月4日(明治4年2月15日)に大蔵省造幣寮として創業式を挙行している。6月27日(明治4年5月10日)に新貨条例および造幣規則布告がされて近代的貨幣制度が開始される。
1875年(明治8年)1月31日限りでキンドルらお雇い外国人10人を解雇して寮務全般が改革され、試験分析局のディロンおよび冶金室のウィリアム・ゴーランドに造幣頭の顧問役を兼任させている。
1879年(明治12年)9月16日に大蔵省内で東京出張所が開設され貨幣製造のための地金受け入れ業務を開始する。東京支局は1907年(明治40年)5月17日に廃止されるが、1929年(昭和4年)7月1日に東京市麹町区内幸町へ東京出張所が再設され、1939年(昭和14年)11月20日に豊島区西巣鴨へ移転し、1943年(昭和18年)9月1日に造幣局東京支局へ改称され、1945年(昭和20年)4月13日に空襲で全焼し事業を停止している。同年6月7日に大阪本局も空襲で被災し工場の一部を焼失している。
1945年(昭和20年)2月1日に広島県佐伯郡五日市町へ造幣局広島支局が開設される。8月6日に広島市への原子爆弾投下により被災するが、1946年(昭和21年)1月15日に貨幣製造を再開し、同月に東京支局も貨幣製造を再開している。
1949年(昭和24年)6月1日から1952年(昭和27年)7月31日までは長官を長とする造幣庁と称し、後に造幣局に再度改称され、2003年(平成15年)4月1日に独立行政法人化されている。
東京支局がさいたま新都心隣接地へ移転し2016年度操業開始目標[3]と2012年(平成24年)9月に発表される。
拠点
- 大阪本局、造幣博物館(本局)
〒530-0043大阪府大阪市北区天満1-1-79テンプレート:Coord
- 東京支局、造幣東京博物館
〒170-0013東京都豊島区東池袋4-42-1テンプレート:Coord
- 広島支局、造幣展示室(広島支局)
〒731-5128広島県広島市佐伯区五日市中央6-3-1テンプレート:Coord
硬貨製造量
年銘別 貨幣製造枚数[4]による。
年銘 | 一円硬貨 | 五円硬貨 | 十円硬貨 | 五十円硬貨 | 百円硬貨 | 五百円硬貨 | 合計 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
昭和23年 | - | 74,520 | - | - | - | - | 74,520 |
昭和24年 | - | 291,588 | - | - | - | - | 291,588 |
昭和25年 | - | 181,824 | - | - | - | - | 181,824 |
昭和26年 | - | 197,980 | 101,068 | - | - | - | 299,048 |
昭和27年 | - | 55,000 | 486,632 | - | - | - | 541,632 |
昭和28年 | - | 45,000 | 466,300 | - | - | - | 511,300 |
昭和29年 | - | 0 | 520,900 | - | - | - | 520,900 |
昭和30年 | 381,700 | 0 | 123,100 | 63,700 | - | - | 568,500 |
昭和31年 | 500,900 | 0 | 0 | 91,300 | - | - | 592,200 |
昭和32年 | 492,000 | 10,000 | 50,000 | 39,000 | 30,000 | - | 621,000 |
昭和33年 | 374,900 | 50,000 | 25,000 | 18,000 | 70,000 | - | 537,900 |
昭和34年 | 208,600 | 33,000 | 62,400 | 23,900 | 110,000 | - | 437,900 |
昭和35年 | 300,000 | 34,800 | 225,900 | 6,000 | 50,000 | - | 616,700 |
昭和36年 | 432,400 | 61,000 | 229,900 | 16,000 | 15,000 | - | 754,300 |
昭和37年 | 572,000 | 126,700 | 284,200 | 50,300 | 0 | - | 1,033,200 |
昭和38年 | 788,700 | 171,800 | 411,300 | 55,000 | 45,000 | - | 1,471,800 |
昭和39年 | 1,665,100 | 379,700 | 479,200 | 69,200 | 10,000 | - | 2,603,200 |
昭和40年 | 1,743,256 | 384,200 | 387,600 | 189,300 | 62,500 | - | 2,766,856 |
昭和41年 | 807,344 | 163,100 | 395,900 | 171,500 | 97,500 | - | 1,635,344 |
昭和42年 | 220,600 | 26,000 | 158,900 | 238,400 | 432,200 | - | 1,076,100 |
昭和43年 | 0 | 114,000 | 363,600 | 200,000 | 471,000 | - | 1,148,600 |
昭和44年 | 184,700 | 240,000 | 414,800 | 210,900 | 323,700 | - | 1,374,100 |
昭和45年 | 556,400 | 340,000 | 382,700 | 269,800 | 237,100 | - | 1,786,000 |
昭和46年 | 904,950 | 362,050 | 610,050 | 80,950 | 481,050 | - | 2,439,050 |
昭和47年 | 1,274,950 | 562,950 | 634,950 | 138,980 | 468,950 | - | 3,080,780 |
昭和48年 | 1,470,000 | 745,000 | 1,345,000 | 200,970 | 680,000 | - | 4,440,970 |
昭和49年 | 1,750,000 | 950,000 | 1,780,000 | 470,000 | 660,000 | - | 5,610,000 |
昭和50年 | 1,656,150 | 970,000 | 1,280,260 | 238,120 | 437,160 | - | 4,581,690 |
昭和51年 | 928,850 | 200,000 | 1,369,740 | 241,880 | 322,840 | - | 3,063,310 |
昭和52年 | 895,000 | 340,000 | 1,467,000 | 176,000 | 440,000 | - | 3,318,000 |
昭和53年 | 864,000 | 318,000 | 1,435,000 | 234,000 | 292,000 | - | 3,143,000 |
昭和54年 | 1,015,000 | 317,000 | 1,207,000 | 110,000 | 382,000 | - | 3,031,000 |
昭和55年 | 1,145,000 | 385,000 | 1,127,000 | 51,000 | 588,000 | - | 3,296,000 |
昭和56年 | 1,206,000 | 95,000 | 1,369,000 | 179,000 | 348,000 | - | 3,197,000 |
昭和57年 | 1,017,000 | 455,000 | 890,000 | 30,000 | 110,000 | 300,000 | 2,802,000 |
昭和58年 | 1,086,000 | 410,000 | 870,000 | 30,000 | 50,000 | 240,000 | 2,686,000 |
昭和59年 | 981,850 | 202,850 | 533,850 | 29,850 | 41,850 | 342,850 | 2,133,100 |
昭和60年 | 837,150 | 153,150 | 335,150 | 10,150 | 58,150 | 97,150 | 1,490,900 |
昭和61年 | 417,960 | 113,960 | 68,960 | 9,960 | 99,960 | 49,960 | 760,760 |
昭和62年 | 955,775 | 631,775 | 165,775 | 775 | 193,775 | 2,775 | 1,950,650 |
昭和63年 | 1,269,042 | 396,120 | 618,112 | 109,112 | 363,112 | 148,212 | 2,903,716 |
昭和64年 | 116,100 | 67,332 | 74,692 | 0 | 0 | 160,042 | 274,166 |
平成元年 | 2,366,970 | 960,660 | 666,308 | 245,000 | 369,000 | 192,852 | 4,800,790 |
平成2年 | 2,768,953 | 520,953 | 754,953 | 274,953 | 444,953 | 159,953 | 4,924,718 |
平成3年 | 2,301,120 | 517,120 | 632,120 | 209,120 | 375,120 | 170,120 | 4,204,720 |
平成4年 | 1,261,240 | 413,240 | 249,240 | 51,240 | 82,240 | 132,240 | 2,189,440 |
平成5年 | 117,406 | 120,406 | 551,406 | 10,406 | 98,406 | 438,405 | 1,318,435 |
平成6年 | 1,040,767 | 197,767 | 190,767 | 65,767 | 81,767 | 105,772 | 1,682,667 |
平成7年 | 1,041,874 | 351,874 | 248,874 | 111,874 | 92,874 | 182,869 | 2,030,239 |
平成8年 | 942,213 | 207,213 | 546,213 | 82,213 | 237,213 | 99,213 | 2,114,278 |
平成9年 | 783,086 | 239,086 | 491,086 | 150,086 | 272,086 | 173,090 | 2,108,520 |
平成10年 | 452,612 | 172,612 | 410,612 | 100,612 | 252,612 | 214,608 | 1,603,668 |
平成11年 | 67,120 | 60,120 | 359,120 | 59,120 | 179,120 | 165,120 | 889,720 |
平成12年 | 12,026 | 9,030 | 315,026 | 7,026 | 172,026 | 595,969 | 1,111,103 |
平成13年 | 8,024 | 78,025 | 542,024 | 8,024 | 8,024 | 608,051 | 1,252,172 |
平成14年 | 9,667 | 143,662 | 455,667 | 11,667 | 10,667 | 504,661 | 1,135,991 |
平成15年 | 117,406 | 120,406 | 551,406 | 10,406 | 98,406 | 438,405 | 1,318,435 |
平成16年 | 52,903 | 70,903 | 592,903 | 9,903 | 204,903 | 356,903 | 1,288,418 |
平成17年 | 30,029 | 16,029 | 504,029 | 10,029 | 300,029 | 345,030 | 1,205,175 |
平成18年 | 129,594 | 9,594 | 440,594 | 10,594 | 216,594 | 381,593 | 1,188,563 |
平成19年 | 223,904 | 9,904 | 388,904 | 9,904 | 129,904 | 409,903 | 1,172,423 |
平成20年 | 134,811 | 9,811 | 362,811 | 8,811 | 93,811 | 432,811 | 1,042,866 |
平成21年 | 48,003 | 4,003 | 338,003 | 5,003 | 115,003 | 343,003 | 853,018 |
平成22年 | 7,905 | 510 | 328,905 | 510 | 67,905 | 406,905 | 812,640 |
平成23年 | 456 | 456 | 255,936 | 456 | 178,936 | 301,936 | 738,176 |
平成24年 | 659 | 659 | 279,211 | 659 | 402,211 | 267,211 | 950,610 |
単位千枚、端数は四捨五入。記念貨幣は含まず。 |
桜並木一般公開
大阪市北区の旧淀川沿いに位置する本局は藤堂家大坂屋敷の土地にあり、同家が植栽していた桜樹木約120品種、約400本が造幣局へ引き継がれている。造幣局長遠藤謹助が「役人だけが花見をしていてはいけない」と1883年(明治16年)に一般公開を始めて以降、大阪大空襲で多くを焼失したが職員らが蒐集し多品種の桜並木が復元され、日本さくら名所100選に選定されるなど毎年4月中旬から下旬の開花時期に春の伝統行事として賑わう。
一般公開は川崎橋方向の南側ゲートから入場し桜宮橋方向の北側ゲートへ抜ける一方通行で「通り抜け」と呼ばれ、夜間照明により日没後も夜桜鑑賞ができる。桜の品種は「ソメイヨシノ」が特段著名だが他一品種を「今年の桜」として毎年紹介している。
太平洋戦争空襲被災の1943年から1946年以外は毎年開催されている。 2009年は4月15日(水)から4月21日(火)に開催され「今年の桜」に『平野撫子』(ひらのなでしこ)が選定。 2010年は4月14日(水)から4月20日(火)に開催され「今年の桜」に『都錦』(みやこにしき)が選定された。 2011年は東日本大震災に際し内外での開催反対意見を抑え、震災の電力危機により夜桜ライトアップを取り止めた縮小規模で昼間開催され、開催7日間に1000万円余が募金箱へ集まった。
1967年に大阪から桜が移植された広島支局でも、1991年以降毎年開花時期に「花のまわりみち」として一般開放されている。
土産品
造幣局内売店の土産品「造幣せんべい」は、神戸亀井堂総本店が製造して煎餅両面に1円 - 500円硬貨の図案が焼かれ、造幣局の他財務省内売店でも販売し、東京支局が豊島区に所在する縁で2004年に豊島区選定名品・名産品となる。桜の通り抜け期間中に順路沿い特設売店での販売時期もあるが、現在は京阪シティモール地下入口前で販売している。
諸外国取引き
保有する高度な通貨偽造防止技術を活かし、諸外国の通貨・記念硬貨やメダル製造も手掛けている。
戦前は、1901年(明治34年)2月20日に台湾銀行兌換券の引換基金として日本一円銀貨踏襲の「台湾銀行兌換引換用圓銀」製造を請け、1905年(明治38年)4月8日に韓国金貨、銀貨、銅貨[1]製造を請け、1916年(大正5年)2月9日にロシア15カペイカおよび10カペーク銀貨[2]製造を契約している。
近年は、スリランカやニュージーランドの記念硬貨[5]や、2012年11月に戦後初の外国一般流通貨幣製造[6]となるバングラデシュのステンレス製2タカ貨幣5億枚を5億2千万円で落札し受注[7]するなど、電子マネー普及などの貨幣流通量減少による余剰設備活用と技術力維持のため外国からの貨幣製造[8]に注力している。
脚注
関連項目
- 独立行政法人国立印刷局
- 造幣東京博物館 - 東京支局内にある博物館
- フジインターナショナルミント
- 貨幣大試験
- 遠藤謹助
- 川崎実
外部リンク
テンプレート:日本の硬貨 テンプレート:日本の通貨 テンプレート:財務省
テンプレート:独立行政法人- ↑ 1.0 1.1 『造幣局六十年史』 大蔵省造幣局、1931年
- ↑ 2.0 2.1 『造幣局百年史(資料編)』 大蔵省造幣局、1974年
- ↑ さいたま新都心 開発再び 造幣局東京支局が移転方針:日本経済新聞2012年9月26日
- ↑ 年銘別 貨幣製造枚数 貨幣に関するデータ(独立行政法人造幣局)
- ↑ 財務省・造幣局、バングラデシュ貨幣の製造受注 - 日本経済新聞
- ↑ バングラデシュ中央銀行から2タカ貨幣の製造を受注しました(2012年11月13日)-造幣局プレスリリース
- ↑ 造幣局、バングラデシュ貨幣製造を受注 海外進出重視へ:朝日新聞2012年11月13日
- ↑ 財務省・造幣局、バングラデシュ貨幣の製造受注:日本経済新聞2012年11月13日