赤岩駅
テンプレート:駅情報 赤岩駅(あかいわえき)は、福島県福島市大笹生字赤岩にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)奥羽本線の駅である。「山形線」の愛称区間に含まれている。
駅構造
島式ホーム1面2線を持つ地上駅。ホームへは構内踏切を利用する。福島駅管理の無人駅。
山形新幹線の開業前は赤岩、板谷、峠、大沢の4駅連続スイッチバックで有名であったが、新在直通運転のための改軌工事が施され、4駅ともスイッチバックが撤去され現在の形となった。
駅周辺
かつては駅の直下を流れる松川に沿って赤岩、人道橋を渡った対岸にイラ窪(伊良窪)の集落が存在していた。しかしあまりにも山深い地であったことから、1980年代の半ばには相次いで無人となった。有人駅だった当時には、現在のプラットホーム北側にある植林地に、鉄道関係者用の住宅も見られた。しかしこれも駅の無人化と共に廃止され、取り壊された。
また以前には、隣接してスイッチバック時代の遺構がよく残っている事でも有名だった。しかし当駅周辺が板谷峠越えの急勾配地である事から、その対策として一部を壊し、電圧安定のための変電所が設置された。
現在では、駅の利用者以外の姿はこの地でほとんど見られず、鉄道関係の施設以外には、古い集落の跡だけが周辺唯一の人工物となっている。また、駅から徒歩30分ほどの所に大平集落があるが、数世帯しか住んでおらず限界集落と化している。
歴史
- 1899年(明治32年)5月15日 - 奥羽南線福島 - 米沢間開通と共に赤岩信号場設置。
- 1909年(明治42年)6月12日 - 信号場構内で煙害による列車脱線転覆事故発生(のちに米沢駅構内に慰霊碑建立)。
- 1910年(明治43年)
- 1911年(明治44年)9月5日 - 崩落トンネルを迂回する新ルートが完成し復旧する。東赤岩仮乗降場が廃止。
- 1958年(昭和33年)3月 - 駅舎改築。
- 1984年(昭和59年)12月1日 - 無人化。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により東日本旅客鉄道の駅となる。
- 1990年3月10日 - 山形新幹線の運行にあたり標準軌化工事を行う。スイッチバックを廃止し、現在の場所に移転。
- 2012年(平成24年)12月1日 - この日から2013年(平成25年)3月25日まで全列車通過[1]。以降もこの期間は全列車通過となる。
その他の特徴
奥羽本線の福島 - 米沢間に存在する各駅は、峠駅を除いて旧米沢街道の宿場町に接する形で作られた。かつて街道に存在していた宿場町、李平(すももだいら)との連絡が可能な場所に当駅もまた設置されており、トンネル崩落という事故対応によって駅となりながら、しかし修復後に再び信号所へと降格されかった理由の一つとして、当時は周辺にこの集落が存在していたということがある。
しかしながら、米沢街道自体は難路としても知られていたため、奥羽本線の開通などの影響を受け早くから衰退を強める事となった。「散歩コース、駅構内から松川を越えて旧米沢街道まで一時間」[2]との記述も見えるが、李平の宿も大正時代には廃村となっており、駅と宿場町との連絡道も自然に還り対岸へ渡る橋も存在しない。
この様に近在する宿場町を失い、駅名の元となった赤岩集落や隣接するイラ窪集落などが全て無住となった現在、福島市の大平地区のみが、事実上、当駅の利用者を擁する唯一の集落となっている。しかしこの大平地区もまた他集落との交通手段に乏しく激しい過疎状態にあるため年々利用者の減少が続き、冬季全列車通過という結果につながった。
駅と大平地区との連絡も林道に限られているが、駅で降りても徒歩でたどりつくのは容易ではない。[3]また冬季には積雪により通行そのものが事実上不可能となり、外界との連絡手段はほとんどなくなる。 これらの理由のため、当駅は秘境駅の一つとして一部の鉄道ファンなどから人気が高い。[4]
隣の駅
- 東日本旅客鉄道
- テンプレート:Color山形線(奥羽本線)