法王
法王(ほうおう)は宗教上の最高指導者などに用いられる呼称。以下に示すように、様々な用法がある。
仏教
仏教における法王は、漢訳の法華経などに登場する仏教用語で、サンスクリットの「ダルマラージャ」に相当する。釈迦(ゴーダマ・シッダルタ)や如来(仏陀)などの、仏法におけるかしらを指す。
チベット
チベット仏教においては、いくつかの宗派が存在し、チベット仏教全体を束ねる長などは存在しない。ただし、宗派によってはその宗派の管長や領袖が存在したり、在家集団で指導者が存在しない宗派などまちまちである。中国語圏ではカルマパを「大寶法王」と称するなど、チベット仏教の宗派の長を法王と称する事例がある。かつての中国の王朝においてチベットの宗教的権威者たちに法王号が授与された歴史があった。
ダライ・ラマは宗教的にはゲルク派の高僧、世俗的にはチベットの(元)元首にすぎない。日本においてはダライ・ラマのことを法王と記述しているが、原文となっている英語は単に his holiness となっており法王の意味はない。クンドゥン(Kundun)(「存在」、または「尊きもの」の意)の尊称でも呼ばれる。
古代王朝の吐蕃王のうち、仏法がチベットに根づくのに功績があったソンツェン・ガンポ、ティソン・デツェン、テンプレート:仮リンクを後世のチベットでは3人の法王とする。この場合の法王はチベット語の「チューギェル」(テンプレート:Bo)に当たる。チューギェルはかつてのシッキム王国の藩王の称号でもある。ブータンでは、建国の父ンガワン・ナムギェルを「シャプドゥン」(足下に跪くべきお方)と尊称し、その身・口・意の三系譜に分かれた化身にチューギェルの称号が与えられた。
タイ
タイの仏教の最高位者の称号。上座部仏教を国教とするタイ王国では大長老会議を仏教の最高意思決定機関とし、法王がその議長を務めている。
日本
聖徳太子は後代に「法王」と呼ばれることがあった。太子の伝記のひとつは『上宮聖徳法王帝説』と名付けられている。
天平神護2年(766年)称徳天皇は寵愛する道鏡に対して「法王」の称号を授けている。これは、世俗は天皇が、仏門は法王が、それぞれ支配するということを意味したものだという。しかし称徳天皇が崩御すると道鏡は失脚、この称号もそれきりとなった。
なお出家した上皇のことを「法王」と書き表した例も見られるが、これは「法皇」とするのが通例である。
キリスト教
キリスト教では、カトリック教会の最高権威であるローマ教皇をさして「法王」あるいは「ローマ法王」と呼ぶことがある。
かつては「法王」と「教皇」が混用して用いられていたが、1981年のヨハネ・パウロ2世による史上初の教皇日本訪問に際し、日本のカトリック司教団が「王」という印象を与える「法王」よりも「教え」という文字が入っている「教皇」の方が現代の教皇のあり方にふさわしいと考え、両者の混用を廃することにした。それによってカトリック教会の表記では「教皇」に統一することとし、マスメディアにも呼びかけた。以来、カトリック教会としての公式な呼称は「教皇」で統一されているが、マスメディアや一般の書籍では未だに「法王」と「教皇」が共に用いられている。歴史関係では「教皇領」など教皇を使う場合が多い。
官報や外務省関係の書類やホームページでは、一貫して「ローマ法王」の語が用いられており、日本政府における公式称号はこちらである。これはバチカンと日本が外交関係を樹立した際に大使館名を「ローマ法王庁大使館」として届け出たことに由来する。後に上記の名称統一が行われた際にローマ教皇庁は「法王庁」から「教皇庁」への変更を申し出たが、日本政府は国号変更等の事情がない限り認められないとして棄却され、現在に至るまで「法王庁」の呼称のままである。また日本では「皇」という字は主に天皇及び皇室に使われる字であるため、皇室と無関係でありながら同じ「皇」の字を使う「教皇」を避けているという見方もあるテンプレート:要出典。
日本のカトリック教会の見解は下記の通り。上記の大使館名変更不可の経緯についても触れている。
- 「ローマ法王」と「ローマ教皇」、どちらが正しい? - カトリック中央協議会
また、退位した教皇の称号である名誉教皇を別称して「名誉法王」ともいう[1]。
イスラム教
イスラム教の信徒の共同体の指導者をカリフというが、かつてはこれを回教の法王あるいは教皇と訳すことがしばしばあった。
キリスト教の法王・教皇とイスラム教のカリフの違い
イスラム教のカリフは、ローマ教会の教皇(法王)に似ているとされる。確かに、カリフという語は「代理人」を意味し、使徒ムハンマドの代理人の資格でイスラム共同体を指導したので、使徒ペテロを継承し、キリストの代理人を自称するローマ教皇とよく似ている。また、アッバース朝期の後半からマムルーク朝期にかけては、有力な軍事指導者に大アミール、スルタンなどの称号を授与し、その権威を保証するものの、実態においてはまったく名目的・儀礼的な支配者に過ぎなかったことは神聖ローマ皇帝と教皇の関係に似る。またイスラム教側でキリスト教の教皇を『キリストのカリフ』と呼んだことにも両者の類似性が見て取れる。
しかしながら、教皇とカリフの間には非常に大きな相違もある。すなわち、ローマ教皇はカトリック教会における聖職者の最高位ではあるが、カリフは聖職者ではないし、イスラム共同体における宗教的な権威の最高位ではない。イスラム教では建前としては聖職者をおかず、また実際にはウラマーと呼ばれるイスラム教に関する学問を修めた知識人が聖職者にあたるが、カリフ自身の資格にはウラマーである必要も、イスラムの学問を修めている必要もない。カリフが存在するのはイスラム教の二大宗派のうちのスンナ派であるが、スンナ派では宗教的な解釈などの権威はウラマーの学界のコンセンサスによって成り立ち、それを動かす力をもつのは学識あると認められた高位のウラマーであって、カリフではない。このため、高位のウラマーの承認によってカリフが廃されることもしばしば起こった。
カリフはマムルーク朝の滅亡後いったん途絶え、18世紀後半から19世紀にオスマン帝国の皇帝がスルタンにしてカリフを兼ねる存在であるという言説とともに復活するが、この時代においても帝国内の宗務はウラマーの最高位であるシェイヒュルイスラームの権限であり、帝国外の宗務についてオスマン帝国の力は及ばなかった。近代におけるカリフは宗教的な指導者ではなく、全スンナ派イスラム世界の名目的な首長ととらえられていたとみるべきである。これはローマ教皇よりも、当時、東ローマ皇帝の権威を引き継いだと主張するロシア皇帝が、全正教会に対する保護者を自認していたのに似ている。
脚注
参照文献
- 『朝日新聞』2013年2月27日朝刊
- 『産経新聞』2013年2月27日東京朝刊
- 『日本経済新聞』2013年2月27日朝刊
- 『毎日新聞』2013年2月28日東京朝刊
- 『読売新聞』2013年3月1日東京朝刊