ホットスパー (コンビニエンスストア)
ホットスパー(HOT SPAR)は、日本でかつてチェーン展開していたコンビニエンスストア。
目次
歴史・概要
ホットスパーの誕生と展開
1977年(昭和52年)に発足した全日本スパーグループは当初、ボランタリーチェーンとして、生鮮食料品を中心に扱う小型スーパーマーケット形態の店舗を展開していた[1]。 一方、サニーマート(1982年(昭和57年)に四国スパー本部としてスパー1号店を開店)や[2]、寿屋(同年に全日本スパー本部に加盟)[3]、平和堂は、展開し始めた当初からスパーをコンビニエンスストアとして出店していた[4]。
1985年(昭和60年)3月、関東地域スパー本部(現在のココストアイースト)がコンビニエンスストア業態のホットスパー1号店を開業させ[5]、同年11月に北陸スパー本部(現在のアルビス)が日本海酒販と共に北陸ホットスパーを設立して[6]からは、コンビニエンスストア業態の店舗はホットスパーブランドとして展開されるようになっていった。
1986年(昭和61年)8月には、沖縄スパー本部株式会社がコンビニエンスストア・ホットスパーの1号店を開業[7]。 1984年(昭和59年)6月に株式会社ベルセンター(ジョイスの関連会社)によって設立された東北スパー株式会社[8][9]もコンビニエンスストア業態を中心に展開し[10]、宮城地区スパー本部株式会社も同様にコンビニエンスストア業態で展開したほか、東海地域スパー本部もスーパーマーケット業態と並行してコンビニエンスストアも出店した[11]。 1993年(平成5年)4月1日にはコンビニエンスストア47店で加盟店売上高60億円を上げた[11]。 1996年(平成8年)6月には、従来スーパーマーケット業態のみを展開してきた甲信越地域スパー本部が新たにコンビニエンスストア事業部を設け、長野市に1号店をオープンさせた[12]。 このように、コンビニエンスストア業態で日本国内でのスパーの出店の中心的業態となっていき、1996年(平成8年)6月期の時点で、コンビニエンスストアは12地域本部合計2,236店(期中250店増)のうち78.3%を占めていた[10]。
なお、サッカーイングランド・プレミアリーグのトッテナム・ホットスパーFCとの関係は一切ない。
3大都市圏での弱さから店舗数の減少へ
首都圏スパー本部を買収して傘下に収めたカスミが、東京都や神奈川県などの首都圏の主要地域に出店していなかったために首都圏での店舗展開があまり進まかった。 また、名古屋を中心とする東海地方においても、トーカンがユニーやその子会社の大手コンビニエンスストアサークルケイ・ジャパンとの取引をメインとしており[13][14]、その子会社を通じて展開した関係から、1993年(平成5年)9月期末時点で48店舗に留まっていた[15]。
また、大阪府を中心とした近畿地方の本部である大阪地区スパー本部がホットスパーの展開を行わなかった[16].
この様なことが重なったため、3大都市圏での店舗展開に失敗。大手チェーンに大きく差をつけられる結果となった。
カスミコンビニエンスネットワークの訴訟問題から店舗数の減少へ
そうした中で、中核企業であったカスミコンビニエンスネットワークが加盟店オーナーから起こされた訴訟の影響で、1996年(平成8年)当時上場していたコンビニエンスストア4社中唯一、上期の店舗の増加数が前年実績を下回った[17]。 その結果、1995年(平成7年)時点で約770店舗のうち約500店舗と店舗数の大半を占めていた[18]旧ボランタリーチェーン契約店を中心とした既存店に多大な影響を及ぼし、同期のチェーン全店の売上利益は共に微増に留まることになった[19]。 そして1998年(平成10年)2月期決算で既存店売上が約2.7%の減少[20]。 これにより閉店数が新規出店を上回る事態となり、店舗数も844店舗へ純減。約1.52億円の最終損失となって設立以来初の赤字に転じる状況に陥った[20]。
翌年度1999年(平成11年)2月期も大手コンビニエンスストアチェーンの店舗開発が、カスミコンビニエンスネットワークの地盤である茨城県を含む北関東へ広がってきた影響を受け[21]、不採算店153店舗の閉鎖に追い込まれるなど、店舗数の純減が続いた[22]。 そのため約70.71億円の最終損失という大幅な赤字で2期連続の赤字となった[23]
また、2000年(平成12年)6月20日に九州地域スパー本部を傘下に持つ、九州コンビニエンスシステムズがココストアと業務提携を行い[24]、同年に不採算店25店を閉店した[25]。 その他の本部でも他チェーンとの競合などで不採算となった店舗の閉鎖が行われて店舗数が減少に転じ始めた。
グループからの離脱や営業譲渡の広がり
2000年(平成12年)3月にアルビスが北陸ホットスパーの全株式を日本海酒販へ譲渡した[6]のを皮切りに、グループからの離脱の動きが広がり始めた。
また、サニーマートの離脱方針の発表と同じ2001年(平成13年)3月に、盛田グループのココストアがカスミグループの所有する約46.29%を含むカスミコンビニエンスネットワークの全株式を公開買付(TOB)で取得して資本・業務提携してその傘下に入ることが発表され[26]、同年6月18日には壽屋が保有する同社株85.7%が、同じ壽屋傘下のコトブキヤコンビニエンスシステムズの全株式と共にココストアに譲渡されて同社の傘下に入るなど[27]、2社が相次いで当グループとココストアの2つのチェーンに重複して傘下に入った状態になっていった。
翌年2002年(平成14年)2月には宮城地区スパー本部株式会社から株式会社ホットスパーコンビニエンスネットワークスにコンビニエンスストア事業が営業譲受され[5][28]、同様にココストア系列に入った。
同月に東海地域スパー本部株式会社がコンビニエンスストア事業から撤退するなど、チェーンの再編は続いた[29]。
2004年(平成16年)も2月1日にエブリワンが子会社の九州地域スパー本部を吸収して独立した企業でなくなった[30]。 また、同年10月22日に岩手県を中心にホットスパー131店を展開していたベルセンターが、コンビニエンス事業をローソンに営業譲渡して店舗をローソンに転換することで合意して撤退[9][8]。 さらに、11月には日本海酒販が北陸ホットスパーの全株式をチックタックシステムズと同時にポプラへ譲渡して撤退した[31]。 こうして再編に伴う店舗数の減少が進んでいった。
さらに、翌年2005年(平成17年)には買収したポプラが店舗をポプラに転換して、12月13日付で北陸ホットスパーを同社に吸収合併。 また、エブリワンがココストアとエリアフランチャイズ契約を結んで[32]2002年(平成14年)に直営22店FC125店で加盟店売上高220億円を上げていた九州地域スパー本部のホットスパーの店舗[25]は2005年(平成17年)5月2日から5月26日までの期間で残っていた87店全てをココストアへ転換した[32]。 そのため、新たに買収されなかったものの当ブランドを掲げた店舗数の減少は更に進んだ。
グループの終焉
グループの中核企業であったホットスパーコンビニエンスネットワークスが2007年(平成19年)11月14日に店舗名を全てココストアに変更する方針を発表し[33]、同月29日に新規出店したココストア竜ケ崎川原代店から店舗名の切り替えを始め[33]、2008年(平成20年)2月~3月の2ヵ月間で[34]既存店419店舗[7]の内外装もココストアに切り替えた[35]、。 また、全日本スパー本部から脱会して[34]6月に[5]社名も株式会社ココストアイーストへ変更した[35]。
2008年(平成20年)11月末で、全日本スパー本部は国際スパー本部との契約を解消し、2009年(平成21年)2月末の総会で清算とすることになった[36]。
それに伴い、国際スパー本部と直接契約を継続することになった北海道スパーを除く他の各地区本部は、スパーとしての事業からは撤退して日本でのスパーの事業が事実上終了することになった[36]。 北海道スパーはホットスパーではないため、国際スパー本部の傘下としてのホットスパーは消滅した。
スパーとホットスパーの関係
「スパー」は世界最大の食品小売りチェーンである。 日本においても、全国各地の卸売業者、小売業者によって地区本部が設立され、食品スーパーマーケットなどが加盟店となり「SPAR」の看板を掲げた。
1985年(昭和60年)3月に関東地域スパー本部(現在のココストアイースト)がコンビニエンスストア業態の店舗名として「ホットスパー」の名を使い始め、他の地区本部もホットスパー店舗の運営に乗り出すこととなる(スパーも参照のこと)。
そのため、「ホットスパー」は日本独自のブランドである。なお日本以外のスパーでは、日本のコンビニエンスストアに近い業態の店舗を「SPAR Express」などの店名で展開している。
かつての主な運営統括会社
ホットスパーコンビニエンスネットワークス
2008年(平成20年)3月まで関東・東北・静岡・沖縄(2003年(平成15年)までに開店した店舗)の地域に出店していた。
2008年(平成20年)2月 - 3月末に既存店全店舗をココストアへ転換[35]。
- 1977年(昭和52年)12月[1]1日[37]にカスミにより茨城県地区スパー本部株式会社が設立[38]。1980年(昭和55年)5月に関東地域スパー本部株式会社に[5]、1991年(平成3年)9月にカスミコンビニエンスネットワークスに商号変更[5]。2001年(平成13年)3月にココストア傘下になった[26]ことに伴って同年7月1日にホットスパーコンビニエンスネットワークスに商号変更した[39]。関東には、1983年(昭和58年)に忠実屋が設立した首都圏地域スパー本部株式会社もあったが、1989年(平成元年)7月に関東地域スパー本部株式会社の子会社となり[5]、1993年(平成5年)3月に営業権を同社に譲渡している[5][40]。一部店舗ではNTTドコモのiDが利用できる。
1984年(昭和59年)に甲信越地域スパー本部株式会社に商号変更し、1996年(平成8年)6月に新たにコンビニエンスストア事業部を設けて1号店を開店した[12]が、翌年1997年(平成9年)7月28日にコンビニエンスストア事業を営業譲渡されて株式会社甲信ホットスパーを設立して事業を引継いだ[41]がその後撤退した。
- 1986年(昭和61年)に、宮城地区スパー本部株式会社設立(前身は石巻を中心に展開していたコンビニの「エイトテン」)。2002年(平成14年)2月にホットスパーコンビニエンスネットワークスに営業譲渡[5][28]。
- 1985年(昭和60年)に沖縄スパー本部株式会社が設立される。1989年(平成元年)2月に関東地域スパー本部の子会社となった後、1993年(平成5年)3月にカスミコンビニエンスネットワークスに吸収合併されている。
エブリワン
同社は現在はココストアイーストと同じココストアCVSグループである。
- 1981年(昭和56年)に、九州地域スパー本部株式会社設立。
1999年(平成11年)8月に株式会社コトブキヤ・コンビニエンスシステムズ(現・株式会社ココストアウエスト)や株式会社リョーユーチェーンサポートシステム(現・ココストアリテール)と統合する目的で九州コンビニエンスシステムズ株式会社を設立[42]。
2001年(平成13年)6月18日にココストアの傘下となった[27]のち、2004年(平成16年)2月1日に同じココストア系列となったエブリワンに吸収合併される[30]。
2005年(平成17年)5月2日から5月26日までの期間でココストアに転換[32]。
エリアフランチャイズ契約先であるホットスパーコンビニエンスネットワークスが「ココストア」にブランド統一し、社名もココストアイーストとなった。これに伴いエブリワンが運営する店舗も「ココストア」にブランド変更された。
東北スパー
2004年(平成16年)10月にコンビニエンス事業をローソンに営業譲渡して店舗は一部をのぞきローソンに転換[9]。
東近畿地域スパー本部
1982年(昭和57年)に平和堂が加盟して翌年に東近畿地域スパー本部を設立して[4]京都府、滋賀県、福井県の3府県で出店していた[44]。
2001年(平成13年)同年5月11日にファミリーマートに営業権を譲渡することで基本合意したと発表して同年8月末までに譲渡を完了させて撤退した[44]。
北陸ホットスパー
1968年(昭和43年)12月設立の北陸チューリップチェーン株式会社が、1978年(昭和53年)9月に富山県地区スパー本部株式会社となり、1985年(昭和60年)7月には北陸スパー本部株式会社に商号変更[6]。
同社が1985年(昭和60年)11月に日本海酒販と共にコンビニエンスストア運営の北陸ホットスパー株式会社を設立し[6]、富山県で店舗を展開していた[31]。
2004年(平成16年)11月に日本海酒販がポプラへ譲渡(同時にチックタックシステムズもポプラへ譲渡)[31]。その後ポプラに店舗転換し、2005年(平成17年)12月13日付で同社に吸収合併された(全事業を吸収し、法人自体は合併せず清算。ポプラが近年行う吸収合併はこの方式が多い)。
広島県東部地区スパー本部
1977年(昭和52年)に設立された株式会社桑宗の系列会社の広島県東部地区スパー本部[45]が、広島県福山市、尾道市、世羅郡世羅町に展開していた(2005年(平成17年)時点)。 店名はホットスパーであったが、業態としてはスパーに近かった。 スパーからの脱退に伴い、株式会社チューリップチェーン本部(桑宗)に転換。
四国スパー本部
高知県内最大手のスーパーサニーマートがフランチャイズ契約を結んで1982年(昭和57年)から店舗を展開し[2]、当時高知県内では全国展開をしている唯一のコンビニであった。
1997年(平成9年)にローソンが進出して顧客を奪われ苦戦が続き、2001年(平成13年)3月14日にスリーエフと提携し[46]、スパー出店を中止して[46]直営店の全店とフランチャイズ店のほとんどをスリーエフへと転換した[2]。
脚注
- ↑ 1.0 1.1 テンプレート:Cite news
- ↑ 2.0 2.1 2.2 テンプレート:Cite news
- ↑ テンプレート:Cite journal
- ↑ 4.0 4.1 テンプレート:Cite journal
- ↑ 5.0 5.1 5.2 5.3 5.4 5.5 5.6 5.7 テンプレート:Cite web
- ↑ 6.0 6.1 6.2 6.3 テンプレート:Cite report
- ↑ 7.0 7.1 テンプレート:Cite news
- ↑ 8.0 8.1 8.2 テンプレート:Cite news
- ↑ 9.0 9.1 9.2 9.3 テンプレート:Cite news
- ↑ 10.0 10.1 テンプレート:Cite news
- ↑ 11.0 11.1 テンプレート:Cite news
- ↑ 12.0 12.1 テンプレート:Cite news
- ↑ テンプレート:Cite report
- ↑ テンプレート:Cite report
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ 20.0 20.1 テンプレート:Cite news
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ 25.0 25.1 テンプレート:Cite journal
- ↑ 26.0 26.1 テンプレート:Cite news
- ↑ 27.0 27.1 テンプレート:Cite news
- ↑ 28.0 28.1 テンプレート:Cite news
- ↑ テンプレート:Cite report
- ↑ 30.0 30.1 テンプレート:Cite journal
- ↑ 31.0 31.1 31.2 テンプレート:Cite news
- ↑ 32.0 32.1 32.2 テンプレート:Cite journal
- ↑ 33.0 33.1 テンプレート:Cite news
- ↑ 34.0 34.1 テンプレート:Cite news
- ↑ 35.0 35.1 35.2 テンプレート:Cite news
- ↑ 36.0 36.1 テンプレート:Cite news
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- ↑ 44.0 44.1 テンプレート:Cite news
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ 46.0 46.1 テンプレート:Cite news