ガレオン船
ガレオン船(テンプレート:Lang-pt、 テンプレート:Lang-es、 テンプレート:Lang-en)とは、16世紀半ば~18世紀ごろの帆船の一種である。単にガレオン・ガリオンなどとも表記される。戦列艦の原型にもなった。
キャラックから発展した船形で、キャラックより小さめの船首楼と大きい1~2層の船尾楼を持ち、4~5本の帆柱を備え、1列か2列の砲列があった。キャラックに比べて幅と全長の比が1:4と長く、荷が多く積める、吃水が浅いためより速度が出るといったメリットがあった反面、安定性に欠け転覆もしやすくなるデメリットもあった[1]。
速度も出て積載量も多く、また砲撃戦にも適したガレオン船は西欧各国でこぞって軍艦・大型商船として運用され、スペインはこれを大型化して新大陸の植民地の富を本国に護送するために使った。フランシス・ドレークが世界一周に使用したゴールデン・ハインド号などは有名なガレオン船である。
日本製のガレオン船
詳細は、慶長遣欧使節の項も参照のこと。
1607年、テンプレート:仮リンク(120トン)が徳川家康の命令でウィリアム・アダムスによって伊豆国伊東の松川河口で建造された。日本で最初に建造された西洋式の大型帆船である。当時、フィリピン総督ドン・ロドリゴら一行が、マニラからアカプルコへ向けての航行中に台風に遭い、房総の御宿海岸で遭難し地元民に救出されていた。その後、一行がアカプルコへ帰還する際にサン・ブエナ・ベントゥーラ号を使用した。本船には田中勝介ら日本人22人が同乗し、アメリカ大陸へ渡った初めての日本人となった。帰国したドン・ロドリゴは、有名な航海士セバスティアン・ビスカイノを返礼の大使として日本へ派遣した。しかし、ビスカイノの帰国時に船が大破した為、伊達政宗が別のガレオン船建造を幕府に願い出て、承認された。
1613年、サン・フアン・バウティスタ号(500トン)が伊達政宗の命令でフランシスコ会宣教師ルイス・ソテロとセバスティアン・ビスカイノによって仙台藩石巻で建造された。サン・フアン・バウティスタ号は日本で最初に建造されたガレオン船であるとされている。ルイス・ソテロおよび支倉常長以下の使節団が、ローマ教皇のもとに派遣された時に、本船は太平洋を横断してメキシコ, アカプルコへ送りとどけ、同使節団の帰途にもメキシコから日本へ連れ帰った。