チャーリー浜
テンプレート:Infobox お笑い芸人 チャーリー浜(チャーリーはま、1942年11月7日 - )は、日本のタレント、コメディアン。本名、西岡 正雄(にしおか まさお)旧姓、浜野(はまの)。
来歴
近畿大学附属高等学校を卒業後、花紀京の弟子となる。
1960年に花登筐が主宰する「笑いの王国」入り(当初は大村崑のそっくりさんとして売り出された)。その後、「笑いの王国」の先輩で浜が師事していた花紀と共に、1962年6月に吉本に入門。花紀から厳しく鍛えられた。
吉本新喜劇では「アメリカかぶれのキザなお坊ちゃん」「キザなヤクザ」などの役どころが多く、大阪離れした奇異な言葉使い(「…じゃあ~りませんか」など)で印象をつけた後、劇の最後に大阪弁をまくしたててオチをつける、というコントラストで人気を得た。
元は「浜裕二」を名乗っていたが、1989年に事務所が東京へ進出する際、アメリカのテレビドラマ『チャーリーズ・エンジェル』にちなんで改名。「チャーリーズ・エンジェル」映画版の公開時には、「チャーリー浜ズ・エンジェル」として宣伝に参加した。
1990年、1991年には2年連続でNHK紅白歌合戦に応援合戦で出演。
1991年、自身も出演したサントリー「ポケメシ」のテレビCMで、新喜劇で長く使われていたギャグ「…じゃあ~りませんか」が全国区のブームに。同年の第8回日本新語・流行語大賞(自由国民社)で年間大賞に選出され、同時進行で行われていた吉本興業の東京進出に大きく貢献、初の東京公演や全国ネットでも新喜劇が大きく取り上げられるなど、新喜劇ブームの火付け役となった。これをきっかけに、新喜劇では重鎮ポジションに昇格した。
師匠の花紀や弟弟子にあたる間寛平と同様、南海時代からの熱心なホークスファンとして知られ、南海時代にはなんばグランド花月の近くにあった大阪球場で開催されていたファン感謝デーへ毎年の様に参加していた。また、1999年のダイエーホークス優勝時にはスポーツ新聞にファン代表の一人としてお祝いの言葉を寄稿した。
自宅でハリハリ鍋を食べていた際、酒に酔った浜がトイレへ行こうとして足でガスコンロの栓を外してしまい、そのままガス漏れで一時意識不明となって入院した。復帰後の舞台で、後遺症のため「ごめんください」「ありがとう」「こんにちは」がまともに言えず、自暴自棄で酒を飲み二日酔いで立った翌日の舞台で「ごめんください」を「ごめんくさい」と言い間違えてしまったことが、新ギャグ誕生・ブレイクのきっかけとなった[1]。松本人志は『放送室』の中でこの「ごめんくさい」を好きな一発ギャグとして挙げ、まだ全国区のギャグとして認知される前の気の抜けた言い方が良いと語っている。
横山やすし、オール巨人、中田カウスと並ぶスパルタ吉本芸人として知られ、『アメトーーク』の企画としておぎやはぎの小木博明が新喜劇の舞台に立った際にも他のメンバーが優しく指導している中で一人厳しく接していたほか、「山田花子をビンタした」「舞台中にセリフの順番を間違えた上ごまかそうとしたアドリブもすべってしまい客の失笑を買ったたいぞうに『(芸人が客に)笑われてどないする!笑わせんかい!』(これは花紀からよく言われた言葉でもある)と激怒した」などの逸話を持つ。
このため、「他人には厳しいが、自分にはとことん甘い」と他の新喜劇メンバーからは批判されることも多い。一方ファンサービスには非常に熱心で、街中などで声をかけられるとギャグを披露するなど、プライベート面での評判は良いといわれる。
現在も新喜劇には月1〜2週出演するが、近年は若手(「金の卵」組)並みに出演時間が短くなっている。ストーリーの本筋にさほど影響しない役柄(主に村長や町内会長役)で、持ちギャグを披露して3分ほどで退場することがほとんどである。2012年以降はNGKでの出演はほとんど無く、祇園花月や地方公演に出演のみとなっている。これはNGKだと一日のうちに新喜劇の公演が多いときで4回あり、拘束される時間が長いことに対して不満があるためである[2]。以前のような新喜劇での活躍を期待する声も多く、もう少し舞台に積極的に出てはどうか、と言う批判も少なくない。
このような自ら舞台へ溶け込もうとしない姿勢については、積極的に若手と交流する桑原和男と意見が対立しているとも言われ、前出の「他人には厳しいが、自分にはとことん甘い」態度の表れと見なす者もいる。小籔千豊は『オールザッツ漫才2005』においてほぼ名指しに近い形(名前は伏せたが語尾に「じゃあ~りませんか」を付けていた)の浜批判ネタを行った。 2005年12月20日に大阪のシアターBRAVA!で開かれた「ファン感謝祭」では、小籔進行によるフリートークコーナーで「もう帰っていいですかね」と発言。レイザーラモンHGに対して「お前はものすごいスピードで間違った方向に進んどるわ」と発言した際も、「面白いやん」と肯定する桑原と意見が対立した。ファン感謝祭以降、浜と桑原の共演機会はなくなり、2006年7月の公演で久々に両者が出演した際も、同時に舞台に立つシーンは無かった。
毎年の確定申告は大抵初日に一番乗りで行っており、「あなたどなた? 僕チャーリー」のギャグで職員がコケるシーンや、「確定申告は早めに済ませようじゃあ~りませんか」と締め括るシーンが、関西圏のニュースで例年取り上げられている。
前述のとおり、顔が大村崑に似ていたために、無名時代『頓馬天狗』の殺陣のシーンでは一部代役を行った経験があり、それが縁で後に舞台で「ザ・コンチャンズ」として共演したこともある。浜自身、大村を師匠と呼んで慕っており、その際に大村から受けた「下品なネタはするな」「シモネタはするな」「舞台で弱者を苛めて笑いを取るな」の教えを現在も頑なに守っている。
離婚歴が4回あるいわゆる「バツ4」であり、離婚回数は吉本の中でもナンバー1である。その原因は、主に過度の飲酒癖によるものではないかとされる。
主なギャグ
- 「ごめんくさい」「あ、こりゃまたくさい」「あーくさ~(「セッシボン」「長万部」「シャングリラ」の時もある静岡でエスパルスと言った時はすべったらしい。)」→他の人がコケたのを見て「ありゃりゃ?みなさんお若いのに足腰弱いですね~」
- 「君たちがいて、僕がいる」
- 「君たち元気かい? 頑張ってるかい? そうかいそうかい瀬戸内海」
- 「…じゃあ~りませんか」
- 「どこ(いずこ)へ~?」
- 「あなた○○さん? 僕チャーリー」
- 「馬鹿なこと言っちゃ~、あ、いけないよ」
- 「私、○○(会長・社長他)をなさっております…」
- 「アンドレと申します。おんどれ(ら)は?」
- 「言い忘れたわ」→「…あ、どうもっ♪」
- 「初めての初対面ですな」
- 「何たることをサンタルチーア」
- 「あのさ、僕さ、どっこいさ」
- 「実はサ、僕サ、ぁホイサッサ♪」
- 「朝夕めっきり冷え込んで参りました今日このごろ、如何お過ごしでございましょうか?」
- 「網走から小走りで…」
テレビ出演歴
レギュラー番組
- 毎日放送「よしもと新喜劇」
- 朝日放送「夕焼けの松ちゃん浜ちゃん」
- TBS系「超!よしもと新喜劇」
- TBS系「超コメディ60!」
- KBS京都「君たちがいて僕がいた」(メイン司会)
- 毎日放送「三枝きよし興奮テレビ」(レギュラー回答者)
単発番組
- NHK「第41回NHK紅白歌合戦」
- NHK「第42回NHK紅白歌合戦」
- フジテレビ系「あらま!吉本新喜劇じゃあ~りませんか」
- テレビ東京系「吉本新喜劇・香港じゃあ~りませんか」
- 関西テレビ「浜村淳の人・街・夢」
- TBS系「夫婦漫才」
- テレビ東京系「パチンコ・ナニワ極楽会館」
- NHK朝の連続テレビドラマ小説「やんちゃくれ」
- フジテレビ系「ナニワ金融道5」
- 毎日放送「笑道2」
- 朝日放送「ナイトinナイト」
- 関西テレビ「素のよしもと」
- フジテレビ系「京都喰い道楽古本屋ミステリー」
- フジテレビ系「京都喰い道楽古本屋ミステリー2」
- フジテレビ系「ホームレス中学生2」
- 関西テレビ「ごきげんライフスタイル よ〜いドン!」
- TBS系「オールスター感謝祭'91超豪華!クイズ決定版この秋お待たせ特大号」
ドラマ
- 科捜研の女 (2000年) - ドライビングスクール教官役
- 科捜研の女の中でも浜のギャグ(あーりませんかといずこへー)が出てきた。
CM
- サントリー ポケメシ(1990年)
- 小林製薬 トイレ消臭剤(1991年)
- 東芝 東芝ストアー(1991年)
- 阪神電鉄 なんばお笑いチケット(2010年~) - テレビ等ではなく、阪神電鉄の駅構内(ホーム上など)で、音声のみで流されている。
CD
吉本新喜劇オールスターズとして
- エクスタシー
- ドゥドゥ7回裏
- あんたが主役
YSPオールスターズとして
- ECSTACY-OSAKA
- ECSTACY TKREMIX|ECSTACY TK(小室哲哉)REMIX
ゲーム
- マカロニほうれん荘インタラクティブ(1995年、東芝EMI / 膝方歳三 役)
脚注
- ↑ 『素のよしもと』『ごきげんライフスタイル よ〜いドン!』などで語られた。
- ↑ 2013年11月3日放送の「なるみ・岡村の過ぎるTV」での、すっちーの発言による