宮城町
テンプレート:Infobox 宮城町(みやぎまち)は、1963年(昭和38年)から1987年(昭和62年)まで、宮城県宮城郡の西部にあった町である。
1955年(昭和30年)に広瀬村と大沢村の合併による宮城村として成立し、1963年(昭和38年)に町になった。町の名は郡の名をとったものである。1987年(昭和62年)に仙台市に編入された。現在は同市青葉区の一部となっている。
目次
地理
宮城県中部、宮城郡西部、広瀬川の上・中流域、仙台市の西隣にあった。町域は大部分山林で、広瀬川沿いの段丘と支流沿いに平地があった。河岸段丘である盆地が支流の芋沢川流域にあり、水田が作られた。これに匹敵する平地は対岸の愛子(あやし)にあったが、肥沃とはいえない地質であった。
町役場は愛子に置かれ、その辺りが町の中心市街であった。川にそって国道48号(作並街道、関山街道)が東西に通り、仙台と山形を結ぶ交通の要地であった。広瀬川上流に作並温泉があり、支流の大倉川流域には定義如来があって、訪れる人が多かった。
地目 | 比率 (%) |
---|---|
山林原野 | 87.36 |
畑 | 2.41 |
田 | 2.35 |
採草地 | 1.44 |
宅地 | 0.42 |
その他 | 6.02 |
隣接していた自治体
存在した集落・地区
- 愛子
- 町内の中心地。
- 折立
- 作並
- 作並温泉が存在する。
- 白沢
- 熊ヶ根
- 定義
- 源平合戦の平家落人の地とされる。古くから定義如来があることでも有名。
- 大倉
- 大倉ダム建設により地区の一部分が水没。
- 南吉成
- 北にある吉成地区は泉市。吉成地区と一体的に旧仙台市との合併直前に開発された。北環状線沿いには数多くの商店が存在する。
- 落合
- 仙山線の駅(陸前落合駅)があり、また昭和58年に宮城県宮城広瀬高等学校が開校したため、昭和50年代あたりから繁栄した。
- 新川
- ニッカウヰスキー仙台工場があり、観光地として親しまれている。
- 奥新川
- 山形県境近くにあり、木材搬出の拠点だった地。
- 葛岡
- 広大な葛岡霊園がある。葛岡ごみ処理場に隣接して葛岡温水プールがある。
- 栗生
- 宮城町時代末に開発された住宅地。仙台西道路に直結しているため仙台中心部へ短時間で行くことができる。
歴史
宮城村の成立は、町村合併促進法にもとづき、宮城県が提案した案による。1955年2月1日に、広瀬川の南側にある広瀬村と、北側にある大沢村が合併して宮城村になった。村の名は郡の名をとったもので、これ以前に宮城村が郡内の他地域をおいて宮城と呼ばれたことや、郡の中心地が宮城村に置かれたことはなかった。4月1日に名取郡秋保村から新川川流域の新川と奥新川を譲られた。新川川は広瀬川の支流なので、これによって広瀬川上・中流域がほぼ一つの村にまとまったが、なお秋保村に属する箇所も一部あった。村役場ははじめ大沢村役場を用いたが、翌年5月3日に上愛子の蛇台原にある新築の建物に移った。
1963年に町制を施行し宮城町になった。仙山線沿線の仙台市郊外として、宮城町の人口は急速に増加した。事務量が増えて今までの役場が手狭になったため、1979年5月28日に新築の建物に移った。
1975年11月3日に、町の木にウメ、町の花にミヤギノハギ、町鳥にヤマドリ、町の「その他の生物」にカジカガエルが選定された。
1987年11月1日に、合併推進派と反対派の激しい対立の中で仙台市との合併が実施された。これは政令指定都市をめざす仙台市が周辺市町村に働きかけて進めた合併の一環で、宮城町議会は6月15日に、日本共産党の議員を除く多数で合併することを決議した。このとき合併反対派は住民投票を請願したが議会に却下された。ついで議会のリコールを求める6896名の署名(必要な署名は有権者の3分の1で6570名)を7月29日に提出したが、選挙管理委員会は、転入してからの期間が短い町民の署名など無効が411名分あるので78名不足と判定した。あらためて9月18日に7309名分を再提出し、必要数6667名に対して7103名分の署名が認められた。合併推進派議員はこの署名に異議を申し立てて引き延ばしを図り、11月1日の合併成立で逃げ切った。町議会が消滅したためリコールは空振りにおわり、宮城町の議員はそのまま仙台市の議員になった。
行政
歴代村長・町長
代 | 氏名 | 就任 | 退任 | 期・備考 |
---|---|---|---|---|
初 | 庄子長吉 | 1955年3月11日 | 1959年3月10日 | 1期 |
2 | 蜂谷富四郎 | 1959年3月11日 | 1963年3月10日 | 1期 |
3 | 庄子長吉 | 1963年3月11日 | 1964年11月24日 | 1期(通算2期) |
4 | 1964年12月27日 | 1968年12月26日 | 2期(通算3期) | |
5 | 1968年12月27日 | 1972年12月26日 | 3期(通算4期) | |
6 | 白石今朝松 | 1972年12月27日 | 1976年7月3日 | 1期 |
7 | 庄子守 | 1976年8月22日 | 1980年8月21日 | 1期 |
8 | 1980年8月22日 | 1984年8月21日 | 2期 | |
9 | 1984年8月22日 | 1987年10月31日 | 3期、仙台市への編入合併に伴い失職 |
産業
1960年 | 1970年 | 1980年 | |
---|---|---|---|
第一次産業 | 51.7 | 26.2 | 22.1 |
第二次産業 | 31.3 | 26.7 | 42.0 |
第三次産業 | 9.5 | 28.5 | 62.0 |
20世紀半ばまで農業に従事する人が多かったが、副業も盛んであった。広い山林で林業が行われた。川沿いの平地では水田と畑を半々に農業を営み、米、麦、豆、野菜を作った。町内で広瀬川は深い谷を流れるため、用水は支流と溜め池に仰いだ。大倉ダムができると大倉川下流がこのダムの水で潤った。
蒲沢鉱山で砂鉄とチタンが採掘・精錬された。他に6か所で亜炭が採掘された。亜炭の炭鉱は1968年に閉山になった。
1960年代から中小の工場が多く立地した。従業員100人以上の大工場としては、ニッカウヰスキー仙台工場(宮城峡蒸留所)と、白松がモナカ本舗宮城工場があった。