大和五条藩
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大和五条藩(やまとごじょうはん)は、大和国(現在の奈良県五條市二見)に存在した藩[1]。別名に五條藩、五條二見藩(ごじょうふたみはん)、二見五条藩とも。
藩史
松倉重信は筒井順慶のもとで、島清興と共に筒井氏の片腕と呼ばれた名将であった。重信の死後、松倉氏は子の松倉重政が継ぐ。順慶の死後、重政は筒井氏を離れ浪人となる。
関ヶ原の戦いで重政は徳川家康に味方して軍功を挙げたことから、戦後に五條1万石を与えられ、ここに五條藩が立藩した。重政は城下町づくりや諸役免除など、藩政の確立に尽力して商業町としての五條藩を作りだした。
重政は大坂の陣においても徳川家康に味方して軍功を挙げたため、元和2年(1616年)に肥前島原藩4万3000石に加増移封され、五条藩は廃藩となった。
歴代藩主
松倉(まつくら)家
外様。1万石。
- 松倉重政(しげまさ)
関連項目
脚注
- ↑ 二木謙一監修・工藤寛正編「国別 藩と城下町の事典」東京堂出版、2004年9月20日発行(438ページ)