クアラルンプール事件
テンプレート:Infobox 事件・事故 クアラルンプール事件(クアラルンプールじけん)は、1975年8月4日に日本赤軍が在マレーシアのアメリカとスウェーデンの大使館を占拠して職員ら約50名を人質として、日本国内の刑務所に収監中の囚人解放を要求したテロ事件である。当時の三木内閣がテロリストの要求に屈したため、日本赤軍はさらに同様な事件を起こした。
概要
事件発生
1975年8月4日に、武装した日本赤軍のメンバー5人が、マレーシアの首都のクアラルンプールにある、アメリカとスウェーデン大使館を襲撃・占拠し、館内にいたアメリカの総領事ら52人を人質に取った。
釈放要求
その後犯人グループは、人質の解放と引き換えに日本国内で服役・拘置中の活動家7人(西川純、戸平和夫、坂東國男、坂口弘、松浦順一、松田久、佐々木規夫)の釈放を日本政府に要求した。
日本政府は要求に応じ、「超法規的措置」として7人に日本赤軍への参加意思を確認。しかし、坂口は「私の闘争の場は法廷で、暴力革命を志す時期ではない」として、保釈中だった松浦は「今は闘争を保留しているので、誰に誘われても行く気はない」と拒否。日本赤軍に参加意思がある5人を釈放・出国させた。
反政府過激派が日本政府に対して勾留メンバーの釈放要求をして、実際に釈放させた初めての事件となった。釈放メンバーは出国し、犯人グループは7日に日本航空のダグラスDC-8型機でリビアに向け出国。8日にリビア政府に投降した。また、この事件は右翼の経団連襲撃事件として影響を与えた。
その後
釈放メンバー5人の内、西川純や戸平和夫は国際指名手配されて、国外で身柄拘束された後に日本送還され、日本で刑が下された。また実行犯の内、日高敏彦は1976年9月に身柄拘束された後で10月に獄中自殺し、和光晴生は起訴されて無期懲役判決が下った。
丸岡修や山田義昭も犯人と推認されたが、身柄拘束された後の裁判ではこの事件では起訴されず、丸岡は別件のテロ事件で無期懲役が確定し、山田は比較的微罪の偽造有印公文書偽造罪で懲役1年4か月が確定した。
現在、奥平純三・坂東國男・松田久・佐々木規夫は国際指名手配されている。
犯人グループ
釈放要求された7人のメンバー
メンバー | 所属 | 拘留 | 罪 | 釈放 要求 |
その後 |
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西川純 | 日本赤軍 | 東京拘置所 | ハーグ事件 | 同意 | 1997年10月、ボリビアで拘束 1997年11月、日本送致 2011年9月、無期懲役確定 |
戸平和夫 | 日本赤軍 | 東京拘置所 | 偽造旅券 | 同意 | 1997年2月、レバノンで拘束 2000年、日本送致 2002年9月、懲役2年6か月確定 2003年5月、出所 |
坂東國男 | 連合赤軍 (赤軍派) |
東京拘置所 | M作戦 あさま山荘事件 |
同意 | 国外逃亡(国際手配)中 |
坂口弘 | 連合赤軍 (京浜安保共闘) |
東京拘置所 | 羽田空港火炎瓶事件 あさま山荘事件 |
拒否 | 1993年2月、死刑確定 |
松浦順一 | 赤軍派 | 保釈中 (公判中) |
松江相互銀行M作戦 | 拒否 | 1978年6月、有罪判決確定 |
松田久 | 赤軍派 | 宮城刑務所 (懲役8年10か月) |
横浜銀行M作戦 | 同意 | 国外逃亡(国際手配)中 |
佐々木規夫 | 東アジア反日武装戦線 | 東京拘置所 | 連続企業爆破事件 | 同意 | 国外逃亡(国際手配)中 |