原俊介
テンプレート:Infobox baseball player 原 俊介(はら しゅんすけ、1977年8月30日 - )は、神奈川県秦野市出身の元プロ野球選手(捕手、一塁手、外野手)。
来歴・人物
1995年、福留孝介の外れドラフト1位で巨人に入団(7球団が競合した福留の外れ1位として巨人と中日が原を指名したが、原も外してしまった中日は荒木雅博を指名)。選手在籍時の監督でもある原辰徳とは、同姓で出身高校も同じであるが、血縁上の繋がりはない。
強肩強打の選手として早い時期からファームの主軸打者であったが、守備位置が一定せず(ポジションは捕手・内野手・たまに外野も)、村田真一に替わる正捕手候補は村田善則や小田幸平が起用されることが多く、その後鳴り物入りで入団した阿部慎之助の打撃力の向上もあり、2軍暮らしが長く続いた。8年目の2003年に打撃力のある控え捕手として期待され初めて1軍に昇格。プロ入り初本塁打は、東京ドームの看板直撃弾であったが、2003年7月24日放送のすぽるとで飛ぶボール問題を特集したとき、パワーヒッターではない選手の初本塁打がここまで飛ぶのかと採り上げられた。
2003年横浜戦で受けた唯一の死球はサヨナラとなる押し出し死球だった。
2004年以降は、1軍の捕手が2人体制となり、ファームでは不動の4番として活躍する一方、一・三塁手としての起用が多くなる。
2006年前年まで2番手の捕手として起用された小田幸平が中日ドラゴンズに移籍したことや、2003年1軍に昇格させた原辰徳が監督に復帰したことが追い風になると思われたが、星孝典や加藤健、新入団の實松一成などの台頭により、1軍でも打撃面を期待され指名打者や内野手としての起用がメインとなった。
2006年10月2日球団より戦力外通告を受け退団。その後12球団合同トライアウトに参加したものの、採用する球団はなかった。
後藤孝志と立ち上げた野球教室「TOKYO GUTS」でコーチをしている[1]。
詳細情報
年度別打撃成績
テンプレート:By2 | 巨人 | 40 | 47 | 45 | 7 | 12 | 2 | 1 | 3 | 25 | 8 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 1 | 16 | 2 | .267 | .298 | .556 | .853 |
テンプレート:By2 | 6 | 6 | 5 | 1 | 2 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | .400 | .500 | .400 | .900 | |
テンプレート:By2 | 9 | 17 | 16 | 1 | 2 | 0 | 0 | 0 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 5 | 1 | .125 | .176 | .125 | .301 | |
テンプレート:By2 | 13 | 21 | 19 | 1 | 3 | 1 | 0 | 0 | 4 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 4 | 1 | .158 | .200 | .211 | .411 | |
通算:4年 | 68 | 91 | 85 | 10 | 19 | 3 | 1 | 3 | 33 | 10 | 0 | 0 | 1 | 0 | 4 | 0 | 1 | 26 | 4 | .224 | .267 | .388 | .655 |
---|
記録
- 初出場:2003年3月29日、対中日ドラゴンズ2回戦(東京ドーム)、7回裏に工藤公康の代打で出場
- 初打席・初安打・初打点:同上、7回裏に久本祐一から右前適時打
- 初本塁打:2003年3月30日、対中日ドラゴンズ3回戦(東京ドーム)、4回裏に黒田哲史の代打で出場、野口茂樹から左越2ラン
- 初先発出場:2003年5月30日、対阪神タイガース10回戦(東京ドーム)、8番・一塁手で先発出場
背番号
- 38 (1996年 - 1999年)
- 62 (2000年 - 2006年)