ヤマナカ
テンプレート:Infobox 株式会社ヤマナカは、愛知県名古屋市東区に本社を置く企業。同県を地盤として岐阜県・三重県にスーパーマーケットを展開する。名古屋証券取引所2部に上場。
愛知県では老舗のスーパーであり、特に名古屋市内に店舗が多く名古屋全16区に出店しているほか、近年は岐阜県や三重県にも出店している。また近年、全国展開を行うイオンやベイシアなどが母体または核テナントとなる巨大スーパー・ショッピングセンターが東海3県にも多く出店するなど経営環境に変化がある中にあって不採算店舗を閉店させる一方、高級スーパー「フランテ」を設立し随時出店するなど、引き続き地域密着型の経営を行っている。
目次
概要
1922年(大正11年)2月7日に名古屋市中区正木町にて中野商店が食品店を開いたのが始まりである[1]。
生鮮食料品に強みを持ち、名古屋市を中心とする地域にドミナント出店する地域密着型の展開をしている[2]。
初期の出店は名古屋市を中心とする愛知県西部の尾張地区への出店が主体であったが[3]、1979年]](昭和54年)5月に豊橋市に本拠を置くマルイと合併したため[4]、豊橋市など東三河地区へも進出したほか、愛知県西部と隣接する岐阜県や三重県にも店舗を展開している。
岡崎市のたつきビルに招聘されて出店する際に岡田屋(後のジャスコ)と一緒になり、その過程で当社の当時の社長であった中野富彦の人望の篤さについて岡田屋社長の岡田卓也が日本経済新聞の私の履歴書で記述するくらいであったため[5]、その後当社の鳴子ショッピングセンターやジャスコの瀬戸ショッピングセンター[6]、ダイヤモンドシティ名西[7]など互いに出店しあう共同での出店も行われた時期があった。
リーマンショックによる経済状況の変化に対応するため、チラシを廃止して従来より約20%安くする常時低価格(EDLP)を実現するディスカウント店の1号店として「ザ・チャレンジハウス太平通店」を2009年(平成21年)7月4日に開業した[8]。
また、2010年(平成22年)11月には新ポイントカードのグラッチェカードを導入し、2011年(平成23年)2月には名古屋市港区のしおなぎ生鮮加工センターを稼動させるなど、顧客の囲い込みや経費節減を見据えた戦略も並行して進めている[9]。
沿革
- 1922年(大正11年)2月7日 - 名古屋市中区正木町にて中野商店が食品店を創業する[1]。
- 1951年(昭和26年)3月 - 合資会社ヤマナカ商店を設立する。
- 1957年(昭和32年)7月 - 株式会社ヤマナカを設立する。
- 1960年(昭和35年)12月 - セルフ方式導入により、中部地区初の本格的なスーパーマーケットを開店する。
- 1972年(昭和47年)7月 - 全ヤマナカ労働連合組合が設立される。
- 1979年(昭和54年)5月 - マルイと合併する[4]。
- 1981年(昭和56年)2月 - 名古屋証券取引所第二部に上場する。
- 1984年(昭和59年)11月 - 衣料品部門「エスポ」を開設する。
- 1985年(昭和60年)10月 - POSシステムを導入する。
- 1986年(昭和61年)5月 - 店舗作業システムを導入する。
- 1989年(平成元年)7月 - 名古屋商品サービスセンターを開設する。
- 1991年(平成3年)4月 - 「アルテ」1号店を愛知県岡崎市に開店する。
- 1993年(平成5年)5月 - 豊川商品サービスセンターを開設する[10]。
- 1994年(平成6年)2月 - プロセスセンターを開設する。
- 1995年(平成7年)
- 5月 - 株式会社新乳館を設立する。
- 8月 - ヤマナカメンテナンス株式会社を設立する。
- 1996年(平成8年) - ホームセンター事業を開始する。
- 1996年(平成8年)11月 - 医薬品部門「ハーブ」を開設し、医薬品の取り扱いを開始する。
- 1997年(平成9年)11月21日 - 「フランテ」1号店(八事フランテ)を名古屋市天白区に開店する[11]。
- 1999年(平成11年)4月1日 - 西三河商品サービスセンターを開設する[12]。
- 2001年(平成13年)11月9日 - 岐阜フランテ館を開店し[13]、岐阜県内に初出店する。
- 2005年(平成17年) - 大府東海商品センターを開設。これに伴い豊川商品サービスセンターを閉鎖する(跡地にはパチンコホール「マドンナグランプリ」が立つ)。
- 2007年(平成19年) - ヤマナカFranteカードの発行を開始する。
- 2007年(平成19年)11月 - ヤマナカ忠節フランテ館が開業する[14]。
- 2008年(平成20年)
- 2009年(平成21年)
- 2010年(平成22年)
- - 名古屋市に則武店を開店する。
- - ヤマナカ冷凍物流センターの稼働を開始する。
- 11月 - チャレンジハウスを除く全店舗にグラッチェカードを導入[9]。
- 2011年(平成23年)2月 - 名古屋市港区のしおなぎ生鮮加工センターが稼動を開始する[9]。
- 2012年(平成24年)1月27日 - 当期連結決算が赤字となることなどを受け、店舗業態の再編や希望退職者募集などの経営刷新策を発表する[17]。
- 2013年(平成25年)
店舗ブランド
- 「フランテ」と「フランテ館」は品揃えが多少異なる。
- フランテ:新しい出会いと新しい発見という意味を込めた造語である[21] 。上質商品を揃えた[22]高級食品スーパー[23]。標準の売り場面積は450坪である[15]。
- アルテ:衣料品売り場を併設する大型の食品スーパー[20]。
- ザ・チャレンジハウス:チラシを廃止して従来より約20%安くする常時低価格(EDLP)を実現するディスカウント店[8]。
社会貢献活動
- 食育:(平成17年)からファイブ・ア・デイ協会に加盟し[24]、栄養士による栄養相談や食事バランスガイドなどの食育活動を行っている[25]。
- おかえりやさい:環境保護の一環として名古屋市内の店舗や施設から出る生ごみを堆肥化し、それを用いて栽培した野菜のブランドで2009年(平成21年)から名古屋市内の一部の店舗で発売している[26]。
業界活動
- 日本チェーンストア協会:中野富彦が中部支部長や食品衛生委員長、常務理事を歴任した後副会長兼組織委員長のまま死去した[27]。
- オール日本スーパーマーケット協会:加盟企業の中ではサミットや関西スーパーマーケット、とりせんと並ぶ売上高上位であるため、同協会では無投票で役員を務めることになっている[28][29]。
- 睦(むつみ)会:ニッショーの堀内彦仁社長の紹介で「5社会」として発足したスーパーの勉強会で、サミットとニッショーの他、ヤマザワや千葉薬品が参加していた[30]。
同族経営
前社長の中山富彦の長男中野義久が[31]、先代社長の急死後に社長に就任[32]。
同時に会長に就任した小出長徳は[32]、1961年(昭和36年)1月に中野家の長女との婚姻とともに入社した創業家の一員であると同時に丸栄の前身十一屋の創業家の末裔である[33]。 2010年(平成22年)3月21日付で代表取締役会長を退任し、取締役相談役になった[34]。
店舗・事業所
総店舗数70店のうち、大半の62店を愛知県内に出店している。なお、岐阜県と三重県にはそれぞれ4店舗ずつ出店している。[35]
事業所
- ヤマナカ本部(名古屋市東区)
- 大府東海物流センター(東海市)
- しおなぎ生鮮加工センター(名古屋市港区):精肉や鮮魚の加工を行なう[9]。
- ヤマナカ冷凍物流センター(名古屋市港区)
店舗
かつて存在していた店舗
愛知県
名古屋市
- 小幡店(2000年(平成12年)11月10日開店[36] - 2012年(平成24年)9月2日閉店)
- 千代ヶ丘店(現在はアオキスーパー)
- 曙店(2011年(平成23年)4月3日閉店)
- 堀田店(現在はフィール堀田店)
- 鳴子店:当社が開発したショッピングセンターにジャスコが出店[6]。(現在はコノミヤ鳴子店)
- 名西店(西区香呑町6丁目56番地[7]-1970年(昭和45年)11月20日開店[7]-2005年(平成17年)6月20日閉店[37])
- 平安店(2002年(平成14年)10月19日開店[38])
- 2011年(平成23年)4月23日にザ・チャレンジハウス平安へ業態転換[39]。
- アルテ太平通(1998年(平成10年)4月15日開店[40] - 2009年(平成21年)6月30日閉店)
- 道路拡幅に伴って閉店し、解体された[41]。
- (2代目)中島店(2003年(平成15年)開店[41] - 2006年(平成18年)9月10日閉店)
- 初代店舗が道路拡幅に伴って閉店したため、全面的に建て替えられて開設された[41]。
- アルテ新中島
- 2006年(平成18年)9月23日に「新中島フランテ館」へ業態転換[42]。
尾張地区
- ヤマナカホームセンター日進店(1992年(平成4年)4月24日開店[43] - 2000年閉店)
- アルテ日進店に併設のカインズホーム日進店として開業[44]。
- ヤマナカホームセンター春日井西店(2003年(平成15年)10月閉店)
- ザ・チャレンジハウス春日井西店(2013年6月9日閉店)
- 勝川店(2007年(平成19年)2月18日閉店)
- 2007年(平成19年)10月5日に勝川フランテとして開業した[45]。
- 味美店(2000年(平成12年)11月23日開店[46] - 2010年(平成22年)10月25日閉店)
- 2010年(平成22年)10月30日にザ・チャレンジハウス味美へ業態転換[47]。
- 高蔵寺店
- 一宮西店(1994年4月22日開店[48])→一宮フランテ館へ業態転換
- 武豊店
- 江南店(1995年(平成7年)10月6日開店[49] - 2010年3月9日閉店)→2010年3月13日にザ・チャレンジハウス江南店へ業態転換。
- 瀬戸店:ジャスコ瀬戸店内に出店[6]。
- 共栄店(2010年(平成22年)9月14日閉店)→2010年(平成22年)9月18日にザ・チャレンジハウス共栄へ業態転換[50]。
- ライフタウン三郷店(2010年10月5日閉店)
- 東海店(1974年(昭和49年)開店[52] - 閉店)
- 跡地に1992年(平成4年)10月23日にアルテ東海が開店した[52]。
- 新舞子店(1985年(昭和60年)11月開店[53] - 閉店)
- 跡地に1994年9月9日にアルテ新舞子が開店した[53]。
西三河地区
- 豊田店(1971年(昭和46年)9月開店[54] - 閉店)
- 長崎屋豊田店地下1階に入居して食料品売り場を担当した[54]。
- 陣中店→豊田フランテ館へ業態転換
- 西尾駅東店(1975年(昭和50年)11月開店[55] - 2011年(平成23年)8月16日閉店)
- 近隣に2014年(平成26年)6月14日に西尾寄住店が開店[56]
- 岡崎店(1965年(昭和40年)2月開店[5] - 閉店)
- 岡田屋(後のジャスコ)の入居していたたつきビルの地下に出店していた[5]。
- 羽根店(2005年(平成17年)7月10日閉店)
- (初代)高浜店(1971年(昭和46年)7月開店[57] - 閉店)
- 跡地に1993年(平成5年)7月23日に(2代目)高浜店が開店した[57]。
- 新川店(1970年(昭和45年)開店[55] - 閉店)
東三河地区
- 殿田橋店
- 小池店(2006年(平成18年)3月19日閉店)
- 東田店
- 南栄店
- 旧マルイ南栄店[55]。
- 仲ノ町店
- アルテ二川店(1994年(平成6年)11月3日開店[58])→二川フランテ館へ業態転換
- 御立店(2011年(平成23年)3月20日閉店)
- (初代)田原店(1974年(昭和49年)開店[55] - 1995年(平成7年)3月16日閉店[59])
岐阜県
- 岐南店(2010年(平成22年)11月24日閉店)
三重県
- 松阪店(2003年8月閉店)
- 松阪西店(2003年閉店)
- エース店(2006年2月8日閉店)
- ヤマナカホームセンター津新町店
- アイリス店(2007年2月14日閉店)
関連会社
- 株式会社アイビー - 生花販売
- アスティ開発株式会社 - 不動産管理
- アスティスポーツ株式会社 - スポーツクラブ運営
- 株式会社健康デリカ - デリカ事業とファーストフード店運営
- サンデイリー株式会社 - 食料品製造
- 新安城商業開発株式会社 - 不動産管理
- 弥富共同開発株式会社 - 不動産管理
- ヤマナカ商亊株式会社 - 保険代理業
- ヤマナカメンテナンス株式会社 - メンテナンス事業
脚注
- ↑ 1.0 1.1 “ヤマナカ、創業70周年事業を展開。来年3月まで多彩な催し”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (1992年1月29日)
- ↑ “中部地区新春特集:スーパートップインタビュー=ヤマナカ・中野義久社長”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2002年1月11日)
- ↑ 『東三河の経済と社会 第三輯』 愛知大学 中部地方産業研究所、1982年5月。
- ↑ 4.0 4.1 三家英治 『現代日本小売経営戦略』 晃洋書房、1985年5月。ISBN 978-4771002906
- ↑ 5.0 5.1 5.2 岡田卓也 『私の履歴書 小売業の繁栄は平和の象徴―岡田卓也 ―』 日本経済新聞出版社、2013年10月。ISBN 978-4-532-28018-5
- ↑ 6.0 6.1 6.2 『日本商業年鑑 1970年版』 商業界、1970年。
- ↑ 7.0 7.1 7.2 『ダイヤモンドシティ「名西ショッピングセンター」6月20日(月)35年の歴史に幕』 ダイヤモンドシティ (2005年5月18日)
- ↑ 8.0 8.1 8.2 8.3 “ヤマナカ、初のEDLP店「ザ・チャレンジハウス太平通店」オープン”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2009年7月13日)
- ↑ 9.0 9.1 9.2 9.3 海野裕之 (2010年10月18日). “ヤマナカ、将来を見据え布石 PCセンター稼働・ポイントカード導入”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社)
- ↑ “ヤマナカ、第2物流センター「豊川商品サービスセンター」が完成 静岡展開にらむ”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1993年6月18日)
- ↑ “ヤマナカが「八事フランテ」をオープン、ミールソリューション対応に挑戦”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1997年11月21日)
- ↑ “ヤマナカ、西三河商品SCを開設”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1999年4月7日)
- ↑ 13.0 13.1 “ヤマナカ、高級SMフランテ2店オープン”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2001年11月12日)
- ↑ “中部流通特集:小売業界、出店相次ぐ=ヤマナカ「忠節フランテ館」”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2007年11月30日)
- ↑ 15.0 15.1 “ヤマナカ、愛知県外初の「多治見フランテ」オープン”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2008年6月27日)
- ↑ “ヤマナカ、「四日市富田フランテ館」オープン 三重県にフランテ館初出店”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2008年9月29日)
- ↑ ヤマナカ 希望退職100人募集 - 読売新聞(2012年1月28日付、同年4月5日閲覧)
- ↑ “ヤマナカ、「常滑青海店」オープン 水産とデリカが充実”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2013年10月16日)
- ↑ 19.0 19.1 “全国小売流通特集:2003年注目の新店舗戦略=ヤマナカ”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2003年7月21日)
- ↑ 20.0 20.1 “中部流通特集:トピックス=ヤマナカ、「安城フランテ館」オープン”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2005年11月17日)
- ↑ “ヤマナカ、複合型SC「八田フランテ館」オープン”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2004年7月28日)
- ↑ “ヤマナカ、「覚王山フランテ」が開店、年間20億円目指す”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2003年8月18日)
- ↑ “村瀬勝己シェフの連続セミナーが好評 ひと味違うフランス料理に舌鼓”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2004年5月17日)
- ↑ “ユニーとヤマナカ、ファイブ・ア・デイ協会に加盟 食育へ取組み高まる”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2005年10月17日)
- ↑ “中部流通特集:地域密着型食品スーパー、食育活動に積極的取組み=ヤマナカ”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2007年11月30日)
- ↑ “ヤマナカ、なごや循環型野菜「おかえりやさい」が好評 店舗増やし販売”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2009年12月14日)
- ↑ “中野富彦氏(ヤマナカ・社長)の急逝を悼む”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1997年4月7日)
- ↑ “オール日本スーパーマーケット協会、総会開催 荒井伸也会長を再選”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2011年6月20日)
- ↑ “オール日本スーパーマーケット協会、総会開催 教育・商品開発の2本柱推進”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2009年6月26日)
- ↑ “ヤマザワ特集:ヤマザワさんのさらなる発展を祈って=サミット・荒井伸也会長”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2002年5月27日)
- ↑ “故・中山富彦氏告別式26日に”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1997年4月16日)
- ↑ 32.0 32.1 “ヤマナカ、新社長に中野義久氏”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1997年5月14日)
- ↑ “食品産業功労賞受賞者プロフィル:流通部門=ヤマナカ・小出長徳氏”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2002年10月17日)
- ↑ “ヤマナカ、小出長徳会長が相談役に就任 3月21日付”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2010年3月1日)
- ↑ 2009年10月現在。
- ↑ “オープン情報=ヤマナカ”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2000年11月17日)
- ↑ “ダイヤモンドシティ 名西ショッピングセンター 6月20日閉店へ 愛知県名古屋市”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2005年5月23日)
- ↑ “オープン情報=ヤマナカ「平安店」”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2002年10月30日)
- ↑ 海野裕之 (2011年5月2日). “ヤマナカ、DS業態「ザ・チャレンジハウス平安」オープン”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社)
- ↑ 40.0 40.1 “ヤマナカ「アルテ太平通」を開店、有機・産直を導入”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1998年4月15日)
- ↑ 41.0 41.1 41.2 41.3 41.4 “ヤマナカ、「ヤマナカ中島店」が全面リニューアル”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2003年12月17日)
- ↑ “ヤマナカ、「新中島フランテ館」改装オープン”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2006年9月27日)
- ↑ “集中オープン、各店とも上々のスタート切る”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1992年4月29日)
- ↑ “ヤマナカ、アルテ日進店、4月24日オープン”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1992年4月29日)
- ↑ “ヤマナカ、「勝川フランテ」オープン フランテ業態6店舗目、名古屋市外で初”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2007年10月22日)
- ↑ “オープン情報=ヤマナカ”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2000年11月29日)
- ↑ 海野裕之 (2010年11月15日). “ヤマナカ、業態変更「ザ・チャレンジハウス味美」オープン”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社)
- ↑ “ヤマナカ、尾張北部初の出店「一宮西店」オープン”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (1994年4月22日)
- ↑ “ヤマナカ、1フロアSSM「江南店」オープン”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1995年10月11日)
- ↑ 50.0 50.1 海野裕之 (2010年10月18日). “ヤマナカ、業態8店目「ザ・チャレンジハウス三郷」オープン”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社)
- ↑ 『日本商業年鑑 1972年版』 商業界、1972年。
- ↑ 52.0 52.1 “ヤマナカ、シリーズ第5号店「アルテ東海」23日新築オープン”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1992年10月28日)
- ↑ 53.0 53.1 “ヤマナカ「アルテ新舞子」オープン”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (1994年9月14日)
- ↑ 54.0 54.1 豊田市教育委員会 『豊田市史 第4巻 現代』 豊田市、1977年。
- ↑ 55.0 55.1 55.2 55.3 55.4 55.5 55.6 55.7 『東三河の経済と社会 第二輯』 愛知大学 中部地方産業研究所、1977年3月。
- ↑ “復活へ強み磨く ヤマナカ新店舗ルポ”. 中部経済新聞(中部経済新聞社). (2014年6月14日)
- ↑ 57.0 57.1 “ヤマナカ、23日に「高浜店」をオープン”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1993年7月28日)
- ↑ “ヤマナカ、豊橋に「アルテ二川」開店 アルテ業態8店に”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1994年11月7日)
- ↑ 59.0 59.1 “ヤマナカ、「田原店」オープン 地場生鮮など充実”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (1995年4月14日)