宝来麻紀子
テンプレート:半保護 テンプレート:バレーボール選手 宝来 麻紀子(ほうらい まきこ、1979年1月6日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。山口県宇部市出身。ニックネームはマホ(マキコ ホウライから)。
来歴
母親がママさんバレーをやっていたこと背が高かったことから、小学校4年生からバレーボールを始める。中学時代、さわやか杯に出場したのをきっかけに、バレーボールに本格的に打ち込む。三田尻女子高校(現・誠英高等学校)時代には、国体準優勝を経験[1]。
1998年、日立ベルフィーユに入団。2001年に廃部となり、JTマーヴェラスに移籍。2002年、チームはV1リーグ(現・チャレンジリーグ)に降格するが、この年復帰した竹下佳江と共に、翌年のVリーグ再昇格に貢献。
全日本代表として世界選手権(2002年)、ワールドカップ(2003年)、ワールドグランプリ(2001-2003年、2005年)などの国際大会には度々出場したが、2004年アテネオリンピック世界最終予選直前に代表メンバーから外れ、アテネオリンピック出場は果たせなかった。
2005年のワールドグランプリではライトのポジションではなく、センターで起用された。また同年、登録名を本名の麻紀子から眞紀子に改名[2]。姓名判断において「消極的なところがある、波が激しい、崩れやすい」と言われたためである。ただし、この登録名は2005年の一年間のみで翌年からは本名に戻している[2]。
2006年、世界選手権に出場。
2009年5月31日、JTを退社し、現役を引退。ビーチバレーへの転向を発表。
2010年1月、諸事情により、ビーチバレー転向を断念。ミズノなどの支援を受け、3年でプロゴルファーを目指すこととなる。ソフトボールから転向した岡本綾子を目標にしたいという[3][4]。
2011年6月16日、諸事情により、プロゴルファー転向を断念することを発表[5]。
人物・エピソード
- 幼少時は保母になることを夢見ていた[6]。
- 非常に目が細く、自分もこのことを気に入っている。JTマーヴェラスの公式ホームページ内では自分のチャームポイントとして、「細い目」とあげている。
- 2006年ドーハアジア大会で、オフの自主練習中に板が降ってきて右足の親指・人差し指・中指を痛め、人差し指にヒビが入り、他の選手から「看板娘」とあだ名をつけられた。
球歴
- 所属チーム履歴
- 三田尻女子高校(現・誠英高等学校)→日立ベルフィーユ(1998-2001年)→JTマーヴェラス(2001年-2009年)
脚注
外部リンク
- 宝来麻紀子プロフィール - 所属事務所(N.ジェネレーション)公式サイト内
- 宝来麻紀子オフィシャルブログ
- アスリートインタビュー 047:全日本女子バレーボールチーム 宝来眞紀子 - フジテレビ公式サイト内
- ↑ 準決勝で対戦した古川商業高等学校(現・古川学園高等学校)には、元チームメイトの菅山かおるがいた。
- ↑ 2.0 2.1 漢字 - 宝来麻紀子オフィシャルブログ(2010年6月22日)
- ↑ 日刊スポーツ、2010年1月20日p25
- ↑ asahi.com(朝日新聞社):バレー元代表の宝来プロゴルファー転身へ
- ↑ ご報告 - 宝来麻紀子オフィシャルブログ(2011年6月16日)
- ↑ テンプレート:Cite web